稔りの秋です会津です。
10年ほど前から圃場のイナゴが激減したと思っていたんですけど、どうしたんでしょうか今年はいなごが圃場の道にいっぱいいるんですよ。ただね昔のイナゴはよく飛び跳ねて逃げましたけど、今年のイナゴは羽を動かして農道の草むらから田んぼの稲のほうに飛んで逃げるんですよ。遺伝子情報が変わったんでしょうかね。跳ぶんじゃなくって飛ぶんですよ、イナゴが。
10年ほど昔は稲刈りが終わると熟年のおばさんたちが袋を持ってイナゴ捕りをして捕ったイナゴを佃煮にしてみんなに食べさせてくれました。でも今の若い人たちはあんな虫のイナゴを食べるなんて気持ち悪いと驚くでしょうね。
私が幼い頃(昭和の始め頃)はイナゴを捕って食べ記憶はありません。でもあの太平洋戦争の戦中戦後極端に物資が不足した頃から大事な蛋白源として食べるようになったように記憶しています。そのイナゴの佃煮は美味しかったんですよ。でも今はその私でさえイナゴをとって食べる気には到底なれません、時代は移り変わっていくんですよね。
稲刈りだって昭和の中頃までは、鎌で刈りとって稲藁で縛って束ね、サデに掛けて乾燥させ足踏みの脱穀機で脱穀していました。それがバインダーというエンジンつきの機械で稲を刈りとって束ねるようになり、脱穀は単気筒水冷のエンジンと大型の脱穀機をベルトで連結し脱穀するようになってきてすごいな思っていたら
間もなく稲を刈り取って脱穀し、刈り取った稲藁を自動で束ねるコンバインが出来ました。でもまだ小型でしたけどそれぞれの農家では皆さんがそのコンバインを使って稲刈りをするようになりました。ご主人がコンバインを運転し、奥様がコンバインついている刈り取った籾を受けて入れる袋の交換するためにコンバインについてあるっていました。
そしてそれから間をおかず少し大型のコンバインが出来て刈り取り脱穀した籾はコンバインにためておきいっぱいになったら太いパイプで籾運搬用の軽トラに自動で移すようになり今のコンバインの原型ができました。奥様は軽トラで籾の運搬だけをすればいいようになりました。
それからはコンバインは年々大型化してスピード・効率が改良されてきました。今はこんな大型のコンバインが主流のようです。金上のSさんのコンバインです。
それでもアメリカの稲作農場の大型コンバインに比べると比較にならないほどの小型コンバインだというんですから驚きです。アメリカの大型コンバインです。写真はネットからお借りしました。