さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

朴の葉が幼き空に回る見え

2012-09-16 | 日記
 山の道の道脇に大きくもそして小さくも大きな緑の葉を茂らして朴の木は立っていました。



 朴の木は幼い日の懐かしい思い出の木の一つです。

 古里の春四月は堅雪の季節です。真冬に2メートルを超えた積雪は四月になってもどっしりと消え残っています。でも雪解けの水を含んだ雪は寒い朝の気温に凍ってきらきらと輝いています。堅く凍った雪原も山もわら靴で自由に歩けるようになるのです。

 子供たちは急な山の斜面を高く登って杉の葉を尻にすいて滑りおりるのです。すごいスピードが出てどこへ行くのか分かりません。歓声を上げて遊んでいるうちに雪の斜面には幾筋もの緑のスジができました。昭和の初期の山の子供にはスキーなどありませんでした。
 
 遊び疲れて帰る道、大きくふくらんだ朴の葉の芽で小さな角笛を作って吹き鳴らしながら帰りました。さわやかな朴の芽の香りが今も思い浮かびます。

 そして5月、朴の木はこぶしの花に似た大きな花を咲かせます。



 六月、山の山毛欅(ぶな)の森のさわやかな緑にエゾハルゼミの声が初夏の喜びいっぱいに聞こえる頃、はな垂れ小僧たち(当時の男の子は例外なくはなを垂らしていました)は朴の木の大きな葉を肥後の守で(当時の子供はみな持っていた安ナイフ)枝ごと切り取って風車(かざぐるま)を作ってはしりました。子供たちは昨日学校で習ったオランダの風車を思い浮かべて走っていたのです。



 学校で先生に彫刻刀で版木を彫ることを習いました。見事に何枚も刷れる絵や字に感動したものです。その版木は美しい緑色の朴の木の板でした。朴の板はきめが細やかで美しく子供が版に彫るには適していたのです。

 意気軒昂、弊衣破帽で寮歌を歌う生意気な若者たちは裸の足に朴歯の足駄を踏みならしていました。(私なんかうらやましくて一度でいいから履いて大地を踏みならしてみたいと思っていました)



 朴歯の足駄、上の部分は桐材、歯は堅く緻密な朴の板で出来ています。歯が減ったら取り替えます。写真はネットからかりました。6000円から8000円くらいでネットで買えるみたいです。おもしろいですけど足の皮の薄い今の人ではちょっとはきこなせないと思いますよ。 

地方によっては朴葉飯、朴葉寿司などがつくられ、また古墳の中から飯を盛ったと思われる朴の葉が見つかったなどと聞いたこともあります。

 私が子供のころは朴の木は貴重な木だったんですよ。

 朴の花 かざぐるま 足駄に写真はネットからかりました。

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