「来週は完治ですよ」
先生にそう言われ、看護師さんに笑顔で「よかったね」といわれて心が晴々しました。
ですから帰り道の街通りも
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家近くの道脇のフキノトウも輝いて見えました
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2月15日急ぎのことがあって階段を駆け下り転倒落下して43日、ようやく完治の見通しがつきました。実は左手の腕の関節から先が腫れて痛むのを打撲の痛みと思って湿布薬などで治療していたのですが、腕の裏側で目に見えないところが化膿して関節の骨の部分にまで達していたのです。これはもう左腕は使えなくなるんじゃなかろうかとさえ思ったのです。それがようやく両手を使って顔を洗えるよになりました。看護師さんの話では関節を包む袋の部分まで化膿が届いていてなかなか完治しなかったとのことでした。まだ少し痛みは残っていますけど完治の見通しが出来るようになってとても嬉しいです。
困難な時代を生き抜いた人々の声を少しでも聴かなければならないと思っています。
私は、祖父、祖母、父、母の声を聴こうと思っています。
想像の世界の中でそれらの人々の声を聴いています。さんたろうさんの声は、その人たちの声に一番近い肉声だと思います。コメントはなかなか書けませんが、必ず読ませていただいています。
ブログの発展を、今後も期待しています。
現役の神職をお勤めのM.Hさんが古い時代を生き抜いて人々の心を聞きたい、祖父・祖母・父・母の声をに聞きたいとおっしゃるのに心打たれます。
私も、慶応2年(1866)生まれ、昭和22年81歳で亡くなった祖父の生き様や、末年「もう充分に生きたよ」と言っていた祖父の言葉を思ったりもしています。それより10年もつまらぬ生を生き延びてまだ迷いながら生きてる自分にあきれているんです。
いずれにせよ完治までは慎重に為さって下さい。私には未だ未ださんたろうさんに見習うべき事が沢山有りますので、これからも宜しくお願いしますよ。
懲りまして充分反省はしてますけどどうなることやら困ったボケ爺いです。
お諭しのお言葉充分に心いたします。ありがとうございます。