築港!なんとも懐かしい地名ではありませんか?( 画像をクリックしていただくと少し大きくなります)
といっても、このブログを見られた方の中で,どれほどの方が懐かしさを感じられるかは判りません。
小学?年生の頃、大阪市電を乗り継いで連れて行ってもらった記憶があります。
港の岸壁から潜水夫さんが仕事をされていたのを見続けた想い出が、何故か鮮明に残っています。
思い起こせば蒲生4丁目から市電に乗り,福島西通りで乗り換え,川口町~築港まで行ったような?
当時の大阪市内には、現在の地下鉄を凌ぐ鉄道網が完備されていたのではないかと思います。
結果論ですが、市電を廃止しないで残していればおれば?年寄の戯言ですね。
大川から堂島川~中之島~土佐堀川~天保山(登頂)~渡し(スケッチは対岸からの風景)で対岸の桜島へ、USJの駐車場からスケッチをしたのですが、市営の渡し(無料!)は初体験でした。驚いたことに乗船客の半数は外国人でUSJで仕事をされている方達のようです。
元気が残っていたので天六の中華屋さんで遅い昼食を摂り,自宅まで自転車で帰り着くと走行距離は50数キロになっていました。道理でお尻が痛いはずです。
といっても、このブログを見られた方の中で,どれほどの方が懐かしさを感じられるかは判りません。
小学?年生の頃、大阪市電を乗り継いで連れて行ってもらった記憶があります。
港の岸壁から潜水夫さんが仕事をされていたのを見続けた想い出が、何故か鮮明に残っています。
思い起こせば蒲生4丁目から市電に乗り,福島西通りで乗り換え,川口町~築港まで行ったような?
当時の大阪市内には、現在の地下鉄を凌ぐ鉄道網が完備されていたのではないかと思います。
結果論ですが、市電を廃止しないで残していればおれば?年寄の戯言ですね。
大川から堂島川~中之島~土佐堀川~天保山(登頂)~渡し(スケッチは対岸からの風景)で対岸の桜島へ、USJの駐車場からスケッチをしたのですが、市営の渡し(無料!)は初体験でした。驚いたことに乗船客の半数は外国人でUSJで仕事をされている方達のようです。
元気が残っていたので天六の中華屋さんで遅い昼食を摂り,自宅まで自転車で帰り着くと走行距離は50数キロになっていました。道理でお尻が痛いはずです。