「血染めの白昼夢」
王政復古の大号令が下ったのが慶応三年(1867年)。その100年前から幕府の足元を脅かすような事件が東西で起こっていた。幕府はその度首謀者を捕え流罪や死罪に処したが、倒幕の小さな芽が潰えることはなかった。
桃井寿三郎(号は菁峯)と、その内弟子池内志津摩(号は菁華)も京都奉行所配下の同心につけ狙われる身であった。逃亡生活の末、二人は菁峯の内弟子の一人早瀬源次郎の家に身を寄せた。二人は、「同志たちが次々に捕えられ処刑されている今、同志への義を貫き、天朝様に政を取り戻すことができなかったことをお詫びするために、明朝御所の門前で二人揃って腹を切る」と源次郎に打ち明ける。源次郎は自分も二人の供をしたいと申し出る。菁峯は、君には追手もかかっていないしまだ若いから自分たちの志を継いでほしいと止めるが、源次郎はなおも食い下がる。
当年四十八の菁峯は二十四の志津摩と衆道の仲であった。さらに志津摩と十九の源次郎も同じく衆道の仲であった。二人きりで逃亡し、今また二人きりで切腹して果てようとする菁峯と志津摩に、源次郎は嫉妬に近い感情を抱いていた。「ひとり残されるご母堂のことを思いなさい」と説く菁峯だったが、源次郎は母の同意を取り付けてくる。それならばと菁峯も、源次郎も供にゆくことを承知する。
三人になったので切腹の順序を考えなければならない。菁峯がまず切腹し、続いて志津摩と源次郎が切腹し刺し違える。二人が絶命したのを見届けたのち、菁峯が自らとどめを刺す。そう決めて三人は、体が汗に濡れるまで何度も切腹の稽古をした。その後、若い二人のことを考えて二人とは別の部屋で休むことにした菁峯だったが、隣室の契りが交わされる気配に血が騒ぐ。堪えきれず、声をかけると二人は快く菁峯を受け入れた。死を目前にした三つ巴の交わりがいかなる狂態を演じたかは読者の想像力に委ねたい(―と書かれている)。
早朝と呼ぶにもまだ早すぎる時刻、三人は起き出し準備を整えた。と、源次郎がただならぬ叫び声を上げる。母が自害して果てていたのだ。最期になって息子の心が乱れぬように、との母心だった。
途中町方に出くわしたりして遠回りをし、御所の門前に着いたのは早朝の物売りたちが往来にちらほらし始める頃であった。三人の切腹の準備に、自然周囲の目が集まる。
どうやら、本気のようだ。数十人に膨れ上がった見物人は、男ぶりもいい三人が、芝居ではなく本当に腹を切り割く姿を期待して異様な熱気に包まれた。騒ぎを聞きつけ同心が駆け付けたが、三人の気迫に気圧され名前を聞くことぐらいしかできない。しかし、「それがしは河内ノ国の住人、楠木左衛門尉正成」「同じく弟、正季」「同じく正行」とあっさりかわされる始末。
いつしかざわめきは静まり、この場のすべての人間の眼は一点に集まっていた。菁峯は鎧通しの切っ先を左脇腹に突き刺し、ググッと右脇腹まで引き回した。疵口が大きく口を開け、鮮やかな小腸がぶくぶくはみ出す。志津摩と源次郎は膝を突き合わせるまでにじり寄り、同時に切っ先を己の腹に突き立てた。噴き出す血が相手の胸や腹にバシャバシャと掛かる。腹を存分に切り終えた二人は震える手で脇差を握り、陶酔の色が浮かぶ瞳で見つめ合ったまま左乳の下を刺し違えた。二人の最期を見届けた菁峯は己の喉を掻き切り、重なり合って倒れ伏した二人に抱きついて突っ伏した。
「死んだか」同心が十手の先で菁峯の大腸をつつくと、「まだ死なん!」と菁峯がガバと跳ね起きた。菁峯は再び突っ伏して動かなくなったが、同心は腰を抜かしてひっくり返ったまま手足をバタバタさせている。それを見て群衆から、その場には似つかわしくないような笑い声が沸き起こった。ゲラゲラというその馬鹿笑いは人間というものの不気味さを感じさせ、またそれより多くの意味が含まれているようにも思われた。
短い話なのでサラッと書くつもりが、思いがけず長くなってしまった。最後の段落は切腹フェチの視点で見ると重要ではないが、物語の終わりとして面白かったのであんまり省略せずに書いてみた。
前回の「愛の切腹」に出てきた下郎のように、見物する群衆の描写に共感できる部分が多かった。逞しく生々しい体の男たちが繰り広げる血の惨劇を期待して集まり、いざ始まってみると胃の内容物が自然に込み上げてきてしまう者もいる。そして最後は、血みどろの死体を前にしても、同心の醜態に声を上げて笑う。実際こういう状況に出くわしたことがないのでリアルなのかどうか自分には言えないが、いかにも人間ぽいというか何というか、そんな気がした。
物語が始まってすぐ三人が切腹することが決まり(話の中では以前から決まっていたし)、三人の行動が全て切腹に向けての物なのも、そそられるシチュエーションだった。切腹の稽古を汗だくになるまでしてしまう気持ちもよく理解できる。
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20代・4位△(14p) イラスト・81位△(150p)
王政復古の大号令が下ったのが慶応三年(1867年)。その100年前から幕府の足元を脅かすような事件が東西で起こっていた。幕府はその度首謀者を捕え流罪や死罪に処したが、倒幕の小さな芽が潰えることはなかった。
桃井寿三郎(号は菁峯)と、その内弟子池内志津摩(号は菁華)も京都奉行所配下の同心につけ狙われる身であった。逃亡生活の末、二人は菁峯の内弟子の一人早瀬源次郎の家に身を寄せた。二人は、「同志たちが次々に捕えられ処刑されている今、同志への義を貫き、天朝様に政を取り戻すことができなかったことをお詫びするために、明朝御所の門前で二人揃って腹を切る」と源次郎に打ち明ける。源次郎は自分も二人の供をしたいと申し出る。菁峯は、君には追手もかかっていないしまだ若いから自分たちの志を継いでほしいと止めるが、源次郎はなおも食い下がる。
当年四十八の菁峯は二十四の志津摩と衆道の仲であった。さらに志津摩と十九の源次郎も同じく衆道の仲であった。二人きりで逃亡し、今また二人きりで切腹して果てようとする菁峯と志津摩に、源次郎は嫉妬に近い感情を抱いていた。「ひとり残されるご母堂のことを思いなさい」と説く菁峯だったが、源次郎は母の同意を取り付けてくる。それならばと菁峯も、源次郎も供にゆくことを承知する。
三人になったので切腹の順序を考えなければならない。菁峯がまず切腹し、続いて志津摩と源次郎が切腹し刺し違える。二人が絶命したのを見届けたのち、菁峯が自らとどめを刺す。そう決めて三人は、体が汗に濡れるまで何度も切腹の稽古をした。その後、若い二人のことを考えて二人とは別の部屋で休むことにした菁峯だったが、隣室の契りが交わされる気配に血が騒ぐ。堪えきれず、声をかけると二人は快く菁峯を受け入れた。死を目前にした三つ巴の交わりがいかなる狂態を演じたかは読者の想像力に委ねたい(―と書かれている)。
早朝と呼ぶにもまだ早すぎる時刻、三人は起き出し準備を整えた。と、源次郎がただならぬ叫び声を上げる。母が自害して果てていたのだ。最期になって息子の心が乱れぬように、との母心だった。
途中町方に出くわしたりして遠回りをし、御所の門前に着いたのは早朝の物売りたちが往来にちらほらし始める頃であった。三人の切腹の準備に、自然周囲の目が集まる。
どうやら、本気のようだ。数十人に膨れ上がった見物人は、男ぶりもいい三人が、芝居ではなく本当に腹を切り割く姿を期待して異様な熱気に包まれた。騒ぎを聞きつけ同心が駆け付けたが、三人の気迫に気圧され名前を聞くことぐらいしかできない。しかし、「それがしは河内ノ国の住人、楠木左衛門尉正成」「同じく弟、正季」「同じく正行」とあっさりかわされる始末。
いつしかざわめきは静まり、この場のすべての人間の眼は一点に集まっていた。菁峯は鎧通しの切っ先を左脇腹に突き刺し、ググッと右脇腹まで引き回した。疵口が大きく口を開け、鮮やかな小腸がぶくぶくはみ出す。志津摩と源次郎は膝を突き合わせるまでにじり寄り、同時に切っ先を己の腹に突き立てた。噴き出す血が相手の胸や腹にバシャバシャと掛かる。腹を存分に切り終えた二人は震える手で脇差を握り、陶酔の色が浮かぶ瞳で見つめ合ったまま左乳の下を刺し違えた。二人の最期を見届けた菁峯は己の喉を掻き切り、重なり合って倒れ伏した二人に抱きついて突っ伏した。
「死んだか」同心が十手の先で菁峯の大腸をつつくと、「まだ死なん!」と菁峯がガバと跳ね起きた。菁峯は再び突っ伏して動かなくなったが、同心は腰を抜かしてひっくり返ったまま手足をバタバタさせている。それを見て群衆から、その場には似つかわしくないような笑い声が沸き起こった。ゲラゲラというその馬鹿笑いは人間というものの不気味さを感じさせ、またそれより多くの意味が含まれているようにも思われた。
短い話なのでサラッと書くつもりが、思いがけず長くなってしまった。最後の段落は切腹フェチの視点で見ると重要ではないが、物語の終わりとして面白かったのであんまり省略せずに書いてみた。
前回の「愛の切腹」に出てきた下郎のように、見物する群衆の描写に共感できる部分が多かった。逞しく生々しい体の男たちが繰り広げる血の惨劇を期待して集まり、いざ始まってみると胃の内容物が自然に込み上げてきてしまう者もいる。そして最後は、血みどろの死体を前にしても、同心の醜態に声を上げて笑う。実際こういう状況に出くわしたことがないのでリアルなのかどうか自分には言えないが、いかにも人間ぽいというか何というか、そんな気がした。
物語が始まってすぐ三人が切腹することが決まり(話の中では以前から決まっていたし)、三人の行動が全て切腹に向けての物なのも、そそられるシチュエーションだった。切腹の稽古を汗だくになるまでしてしまう気持ちもよく理解できる。
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