別に餅、麪などの ゼンシュウ をつくって宴酣の具にした。
シュウ
すす(める)、そなえもの、は(じる)、はずかし(める)、はじ、はずかし(め)
羞
【解字】形声。羊+丑。音符の丑(チュウ)=(シュウ)は、手の象形。いけにえのすすめそなえるの意味を表す。借りて、はじるの意味をも表す。
- すす-める(すすむ)。
- 食事をさし上げる。
- さし上げる。たてまつる。
- 推薦する。
- おいしい食物。ごちそう。また、煮物。
- は-じる。は-ずかしめる(はづかしむ)。恥をかかせる。また、恥辱。はじ。
膳羞 うまい食物。料理。ごちそう。
月をも羞かしめ花をも閉ざしむ。
しゅうげつへいか
羞月閉花
美人の形容である「羞月閉花」は、中国から伝わった四字熟語です。
ここでの ”羞” の字義は ”羞(ハズ)かしい” になります。
「羞」の字を引くと、どの辞典をみても最初に記載されているのは「すすめる」。
「ごちそうをすすめる」とか「いけにえを神に供える」とかである。
意外?なことに「はずかしい」は、最後に申し訳程度に記されています。
「羞」の字義は、羞恥、含羞にあるように「はずかしい」という意味しかわかりませんでした。
しかし、電子辞書(新漢語林)の解字で、「借りて、はじるの意味をも表す」という箇所が非常に気になった。
メインの意味だと思っていた「はじる」は、一番最後に曖昧に記され、しかも「借りて」とはどういう意味だろうと。
納得いかないので、図書館に行き白川先生に教えていただいた。

白川静【字統】
[左伝 襄十八年]「苟(モ)し捷(カ)ちて功あらば、神の羞を作(ナ)すこと無からん」と羞恥の儀に用いるが、それも神に対して恥を羞(スス)める意からの引伸義である。
なるほど納得です。
「羞恥の儀で神に恥を羞める」のが ”羞じる” の語源のようです。
<Wiki>
引申義とは、本義から引き伸ばされて、つまり派生してできた意味である。たとえば「長」の本義は長短の意味で距離的に「ながい」ことを表すが、引申されて長久の意味、時間的にながいことも意味するようになる。さらにそれは植物の生長の意味に引申され、さらに人間の成長を意味するようになり、長幼の区別を生じ、長老、首長へと引申されていったと考えられる。
また、【字通】では、
羞悪・羞恥の意があり、醜の仮借義とする説もあるが、[左伝 襄十八年]「神の羞を為す」のように神に対して恥を羞める意であろう。
新漢語林に書かれていた、「借りて、はじるの意味をも表す」の”借りて”は、仮借義のことだろうと思われる。
<Wiki>
仮借義(かしゃぎ)とは、ある語を表すのに同音または音が近い字を借用することを仮借というが、字義のなかで仮借によってできたものをいう。たとえば「求」の本義は「かわごろも」であるが、「もとめる」の意味をもつ同音語に仮借された。やがて「もとめる」の方が基本義となってくると本義は「裘」という別に漢字を作られるようになった。
戦く。
準1級の字ですが、「おのの-く」ですね。
「たたか-う」と「おのの-く」が対極の意味であるのに驚いたことを今回彷彿させてくれました。