小さいころの思い出は誰にでもたくさんあるでしょうが、ボクはあんまり記憶していることが多くないような気もします。
たしか3~4歳くらいまで、四谷三光町と言うあたりに住んでいました。
今でもその町名はあるのだろうか。
記憶にあるのは、母親がお世話になっていた置屋のにおい。
以前にもこのブログで書いたような気もするけど、強烈なお香の匂いが嫌だった。
薄暗くて広い部屋の中に、たくさんの着物を着た芸者衆がいたのを覚えている。
住んでいた家の裏木戸をあけると、落っこちてしまいそうなほどの急斜面で、腰が抜けそうにびっくりした事があった。
いとこの博ちゃんが遊びに来た時に、2人で近所の子供を部屋に閉じ込めていじめたことがある。
路地に咲いていたつつじを花の蜜を、近くの年上のお姉ちゃんが吸わせてくれた。
指しゃぶりが好きで、でも母親にしかられるので、2階に上がる階段途中にあった物干し台に隠れてチュパチュパすっていた。
いくつかの出来事が断片的に記憶の片隅に残っていて、その時の陽ざしやら、空気やら、そよぐ風も一緒に思い出されてくる。
のどかな毎日だった。
小さいころから、一人でいることが多かったその頃のボクを振り返ってみると、誰かが・・・・何かがボクを見守ってくれていたような気がする。
今こうして振りかえっている大人のボクが、もしかしたらその時のボクのそばにいたような、おかしな気持ちになってくる。
『夢を追う子』 W ・H ・ハドソン
七つになろうとしているマーチンという男の子のお話。
何とも不思議なお話でした。
冬には雨が降ってばかりで木々の葉も落ちてしまうようなイギリスから、太陽がいっぱい降り注ぐような大平原に引っ越したマーチンの家族。
周囲には人もいないような場所で、マーチンは飽きることなく大自然とともに遊びます。
あるときマーチンは蜃気楼を見ます。
手の届くところにあるようなきらきらした光を追いかけます。
でも、すぐにでも届きそうなのに、ゆらゆらした蜃気楼はすぐに逃げてしまいます。
追いかけていくうちに家からどんどん遠く離れてしまい、しまいには野宿する羽目になってしまいます。
それでも、マーチンはさほど困った様子もなく、川の水を飲み、木の根を食べ生きていきます。
でもこの物語は、冒険やサバイバルのお話ではありません。
ふしぎなおじさんに出会ったり、そこから逃げ出したり、野生の馬やその馬たちを操る腕の長い毛むくじゃらの人と出会ったり、山の精に助けてもらったり・・・・。
7歳の男の子が、ほとんど自分で生き抜いていくなんて考えられな様なお話ですが、もしかしたら、ボクたちが日々生きていられるのも大した違いはないのかもしれません。
あるとき、マーチンはその蜃気楼の中に、たくさんの少女たちを見つけます。
その少女たちは花に水をやりながら、歌っています。
その後ろからは同じようにたくさんの少年たちが、楽器を奏でながらやってきます。
ダチョウや、ヒツジやロバに乗っている子どもたちもいます。
でもみんな真っ白な動物ばかり。
更には「素晴らしい生」や「素晴らしい死」について太い声でうたっている老人たちもやってきます。
やがて女王も。
マーチンは女王から贈り物をもらいます。
一人の若者がこう言います。
「この少年は、さまよい歩くことがすきだ。生きている限り、思うままに地上をさまよい歩くがよい」
もう一人の若者も言います。
「さまよい歩く少年に、海も危害をくわえるな。これが私のおくりものだ」
そして女王が伝えます。
「その通りにさせよ。その二つのおくりものに、わたしも一つ、つけくわえましょう。すべての人が、この少年を愛するように。さあ、マーチン、いくがよい。それだけあれば、備えは十分だよ。この世のありとあらゆる、珍しい美しいものを、心行くまで見つくすがよい」
ボクはこの言葉に強く反応してしまった。
ボクの知らないところで、こんな風に守られているのかもしれない。
こんな風に、ボクはこの世に送り出されてきたのかもしれない。
そして、この人生は、希望にあふれていて、好きなだけ自由に自分の好きなように生きてもいいと許されている。
今日も陽ざしが気持ちいい。
さあ、今日の人生を始めることにしよう。
たしか3~4歳くらいまで、四谷三光町と言うあたりに住んでいました。
今でもその町名はあるのだろうか。
記憶にあるのは、母親がお世話になっていた置屋のにおい。
以前にもこのブログで書いたような気もするけど、強烈なお香の匂いが嫌だった。
薄暗くて広い部屋の中に、たくさんの着物を着た芸者衆がいたのを覚えている。
住んでいた家の裏木戸をあけると、落っこちてしまいそうなほどの急斜面で、腰が抜けそうにびっくりした事があった。
いとこの博ちゃんが遊びに来た時に、2人で近所の子供を部屋に閉じ込めていじめたことがある。
路地に咲いていたつつじを花の蜜を、近くの年上のお姉ちゃんが吸わせてくれた。
指しゃぶりが好きで、でも母親にしかられるので、2階に上がる階段途中にあった物干し台に隠れてチュパチュパすっていた。
いくつかの出来事が断片的に記憶の片隅に残っていて、その時の陽ざしやら、空気やら、そよぐ風も一緒に思い出されてくる。
のどかな毎日だった。
小さいころから、一人でいることが多かったその頃のボクを振り返ってみると、誰かが・・・・何かがボクを見守ってくれていたような気がする。
今こうして振りかえっている大人のボクが、もしかしたらその時のボクのそばにいたような、おかしな気持ちになってくる。
『夢を追う子』 W ・H ・ハドソン
七つになろうとしているマーチンという男の子のお話。
何とも不思議なお話でした。
冬には雨が降ってばかりで木々の葉も落ちてしまうようなイギリスから、太陽がいっぱい降り注ぐような大平原に引っ越したマーチンの家族。
周囲には人もいないような場所で、マーチンは飽きることなく大自然とともに遊びます。
あるときマーチンは蜃気楼を見ます。
手の届くところにあるようなきらきらした光を追いかけます。
でも、すぐにでも届きそうなのに、ゆらゆらした蜃気楼はすぐに逃げてしまいます。
追いかけていくうちに家からどんどん遠く離れてしまい、しまいには野宿する羽目になってしまいます。
それでも、マーチンはさほど困った様子もなく、川の水を飲み、木の根を食べ生きていきます。
でもこの物語は、冒険やサバイバルのお話ではありません。
ふしぎなおじさんに出会ったり、そこから逃げ出したり、野生の馬やその馬たちを操る腕の長い毛むくじゃらの人と出会ったり、山の精に助けてもらったり・・・・。
7歳の男の子が、ほとんど自分で生き抜いていくなんて考えられな様なお話ですが、もしかしたら、ボクたちが日々生きていられるのも大した違いはないのかもしれません。
あるとき、マーチンはその蜃気楼の中に、たくさんの少女たちを見つけます。
その少女たちは花に水をやりながら、歌っています。
その後ろからは同じようにたくさんの少年たちが、楽器を奏でながらやってきます。
ダチョウや、ヒツジやロバに乗っている子どもたちもいます。
でもみんな真っ白な動物ばかり。
更には「素晴らしい生」や「素晴らしい死」について太い声でうたっている老人たちもやってきます。
やがて女王も。
マーチンは女王から贈り物をもらいます。
一人の若者がこう言います。
「この少年は、さまよい歩くことがすきだ。生きている限り、思うままに地上をさまよい歩くがよい」
もう一人の若者も言います。
「さまよい歩く少年に、海も危害をくわえるな。これが私のおくりものだ」
そして女王が伝えます。
「その通りにさせよ。その二つのおくりものに、わたしも一つ、つけくわえましょう。すべての人が、この少年を愛するように。さあ、マーチン、いくがよい。それだけあれば、備えは十分だよ。この世のありとあらゆる、珍しい美しいものを、心行くまで見つくすがよい」
ボクはこの言葉に強く反応してしまった。
ボクの知らないところで、こんな風に守られているのかもしれない。
こんな風に、ボクはこの世に送り出されてきたのかもしれない。
そして、この人生は、希望にあふれていて、好きなだけ自由に自分の好きなように生きてもいいと許されている。
今日も陽ざしが気持ちいい。
さあ、今日の人生を始めることにしよう。
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