自分セラピー

「自分を好きでいる」ことは人生を豊かにしてくれます。そこに気づかせてくれる沢山のファンタジー文学を紹介していきます

5週間の旅をいったん中断して・・・

2011-05-15 13:39:26 | 被災地へのアートセラピーによる支援
5週間にわたって、都合5回訪れた福島石川郡避難所へのサポートを、いったん中断します。


と言っても、「いもにあーとプロジェクト」が中断するわけではありませんのでご安心を。


今週末と、来週末の仕事の関係で、ボクが行くのはいったん中断と言うこと。



それにしても、やはりかなり疲れています。


でも、今回も、かなりの収穫がありました。


一つ目は、Facebookで、知り合いになった、オーストラリア在住の日本人アートセラピスト、木下えりこさんと一緒に、福島に行ったこと。


もうひとつは、子どもたちや保護者、さらには八幡屋さんに避難している方々からの信頼を感じられるようになったこと。


初めての試みだった、外への散歩で出会った牛たちのこと。


避難者のNさんとの交流で、Nさんのイノシシ肉20キロを、八幡屋さんで町民にふるまえることになったこと。


宿泊所になっている、100年以上の歴のある旅館で、チームが炬燵を囲んで食事やミーティングができたこと。


これを一つ一つ伝えるだけで、何日もかかってしまうかもしれませんが・・・・




まず最初は、“えりこ”のこと。


金曜日の朝6:30に東京駅で待ち合わせをして、と言っても、待ち合せがうまくいかず発射した新幹線の中での対面でしたが、マッキーと3人で現地に向かいました。



えりこは、オーストラリア在住10年。

お互いに日本とオーストラリアのアートセラピー事情や、今回のプロジェクトに関する情報交換をしながら約3時間かけて、八幡屋さんに入りました。


Facebookによって、あっという間に世界がつながり、今まで知り合いになることもできなかった人と、出会い関係性を創り出すことができる。


ボクも、クエストも、子ども未来も・・・・なんだか世界がぐゎっと広がった!


えりこは、オーストラリアの大学院でアートセラピーを学び、活動をしている素敵な女性です。



彼女のサポートもあって、金曜日の午前中は「K先生の切り絵教室」の2回目。



結局、午前午後を合わせて2名しか参加しませんでしたが、ボクたちのチーム全員が切り絵体験をすることもできたし、KさんやKGさんから被災時の様子を詳しく聞くこともできたし、充実したいい時間になりました。


Kさんの八幡屋さんを描いたオリジナル作品

子どもたちとのセッションでは味わえない時間を、じっくりと過ごすことができるのです。



切り絵の先生をしてくださっているKさんは原発2号機のすぐ近くの富岡町のレストランの料理長。


原発見学(そんなツアーがあるんですね)の団体のお客さんを送り出した直後に、被災。



幸い、施設は高台にあり建物もしっかりしていたため、全員屋上避難で津波の被害は免れました。


「テレビで見たでしょ?津波に家が流されっとこ・・・あれをそのまんまこの目で見たんですよ」


「駅なんか、あっという間だったかんね・・・」


聞けば聞くほど、そして穏やかに話すKさんの話と、実際に起きたことのギャップにボクは、とまどいながら話を聞き続けます。



「広野まで、車で帰ろうと思っても、途中で大渋滞で動けないから、結局また何時間もかけて会社に戻って・・・」


「5時頃だったけ?あの余震・・・・最初のより、あの余震の方が、あぶねぇってかんじたぐらいにすごかった・・」


「んで、もう津波は大丈夫このまんま会社にいればいいやって思ったら、翌朝んなったら、放射能が危ないから避難しろって・・・・そんなこと言われても・・・だから、大急ぎで家に帰って・・・」


「東京にいる弟から電話があって、『とにかくこっちに来い』って、飛行機の切符もなかなか取れないのを何とか取ってくれて、行ったんだけど・・・・だめだね。お互いに気ぃ使っちゃって・・・2週間くらいでこっちに戻って・・・」


「結局、こっちに帰ってきて避難所の方が気楽だし、家にも近いし・・・」



目の前にいるKさんが、穏やかにやさしく切り絵を指導してくれるKさんが、つい二月ほど前にそんな体験をしていたわけです。



広野町は自主避難地域ですから、実際にはまだ住んでいる人もいます。



でも、いつ戻れるのか、本当に帰れるのかは、まったくわかりません。



Kさんの心境は、ボクにはとてもはかりしれない。


毎日せっせと、新しい切り絵に挑戦し、作品をどんどん仕上げているKさん。


この切り絵を何枚も何枚も仕上げることで、かろうじて現実の苦しみや不安を乗り越えようとしているのかもしれません。



Kさんが、また料理の腕前を発揮できる日が1日も早くやってくることを祈るばかりです。



食堂前のスペースに作品展示をすると、あっという間に人が群がります。






いもにちーむの


「来週お待ちしていまーす」の声が響きます。


今回のチームは、3回目のハナをはじめ、先週に引き続きゆうちょ、そしてさとことイッコ。


もちろん、さぶもいます。



この切り絵体験中に、見に来てくれたのが、Nさん。



広野町の猟友会のボス?



「おらぁ、切り絵はやんねぇけどよぉ・・・・見に来たんだぁ・・・」



年齢が行けばいくほど、言葉にフクシマが染み付いています。



しっかりと耳を傾けないと、なかなか聞き取れません。



しばらく話しこんでいると、家のストッカーに保存してある、イノシシの肉の話。

年に30も40もイノシシを撃つそうです。


害獣駆除を町に依頼されているのだそうです。



「一頭仕留めて、肉ぅ解体してぇ、いろんな人に分けて、最後の塊をそろそろ自分のとこで食おうかって思ってた日に、あの地震。だからストッカーに塊が入ったまんまなんだよなぁ」



どれくらいあるんですか?って聞くと



「20キロぐれぇあんじゃねぇの、この胸んとこの右っかわぜーんぶだかんね、ひとかたまりで」


「あのまんじゃしょうがねぇから、何とかしたいんだけどな」


八幡屋さんに第2厨房と言うものがあって、支配人の塩田さんから「どうぞお使いください」と言われていたボクは、さっそく



Nさん、もしよかったら、この八幡屋さんにある厨房で町の人にイノシシ肉をふるまってみると言うのはどうですか?Kさんも料理の専門家だし・・・。



ボクの勝手な提案に、Nさん。



「あー、いいよぉ。じゃあ、すぐ持ってくっか?」



いや、まだいいです。支配人にもう一度確認してみますから。



こんな調子で、結局、支配人も快諾してくれて、なんと、一流ホテルの第2厨房を使って、イノシシ料理をNさんとKさんの協力で、町の人たちにふるまわれることが決まりました。



それにしても、支配人の度量の大きさに頭が下がります。



いくらなんでも、ホテルの人間以外が厨房に入り込み、万一食に関する問題でも起きたら大変なことになるのに・・・・


これから、NさんとKさんで日程を決めてどんな料理をふるまうのか決めていきます。


汁にすれば200人前以上。


食事時に食堂の中を見ると、そこには、ごく普通のリゾートホテルの朝食や夕食の会場の雰囲気と変わらない様子がうかがえます。


つまりどういうことかと言うと、ここに避難してきてもうひと月以上たつけれども、いまだに、「隣で食事する人は知らない人」のまま、と言う人たちが多いと言うことです。


なんとかこれをきっかけに、お互いがもっともっと向き合えるといいなぁ。



これ、ボクの作品です・・・ジマン
さて、土曜日の様子はまた後ほど。



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2 コメント

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すてき (miho)
2011-05-24 19:26:43
しばしばの切り絵、良いですね!ネコかわいい。
切り絵ってやっているうちに没頭しちゃうんですよね。。でもそんな時間が必要のように思います。
うちの会社でも震災直後から物資の支援(電池不要のラジオはかなり役立ったようです)が行われており、私もサポートに回っていました。
自分にできることを今後もやっていきたいです。
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日本中 (しばしば)
2011-05-27 07:42:02
miho久しぶりです。

被災地に行くだけが「支援活動」ではありませんからね。この大きな災害は、日本人に世界にもう一度「大切なものは何か?」を問いかけてくれているような気がします。
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