繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

自動車の造り手とユーザーの関係

2016-05-05 11:54:11 | 日記
自動車の造り手の設計者や研究者は、当然のごとくユーザーを想い、使い方などを想像して、安全性、使い勝手、ルックス、など多岐に渡って議論して、設計仕様や形をきめていきます。

古くは「お客様は神様」今では「顧客主義」などと言って、自動車で言うと「ユーザー本位の考え方」があり、それが拡大解釈されて「ユーザーの言う事する事は何でも認めて」「正義だ」となって、(元開発者としては)少々腹立たしいのですが(笑)、結果的に自動車機能は改善されて良くなってきたように思います。

つまり、ユーザーと造り手とのコミュニケーションから自動車は改善され、創られてきたと思うのです。
(元開発者の私からすれば、ユーザーからの一方的コミュニケーション・・? 笑)
(ユーザーと言っても直接的ユーザーは勿論ですが、ユーザーの代表とも言える「JDパワー社」のような存在もあります)

例えば、ハンドブレーキはキチッと引けば勿論キチッと効くような設計になっているのですが、女性など力が弱い方、あるいはいい加減に引く方などでは、キチッとブレーキが効かずクルマをシッカリと止められない場合もありました。
ブレーキの位置や機構など改善されて、最近では少ない力でもなるべくキチッと止るように工夫されています。
また、フットブレーキなども、「いざっ」という時に踏み切れない(十分な強さで踏まない)ユーザーも多かったようです。
「いざっ」という時に自動車自体が緊急のブレーキと察知してブレーキが十分効くようアシストする機構も装備されるようになってきてます。

これらは一例ですが、設計者達作り手としては「キチッと操作してもらえば問題無い」のにとつい思ってしまいます。
しかし、操作しきれないユーザーがいることを認めて、それをカバーする設計仕様に変更改善することが求められます。

極端な例としては大昔アメリカで「濡れた猫の毛と体を乾かすのに、猫を電子レンジに入れて・・・訴訟?」。
ユーザーの機能不理解で使い方を間違えても、そういう使い方ができてしまう、ユーザーが間違えるのも当然となると、ユーザーからの訴訟で作り手が負ける場合もあるのです。
これは「製造者責任」→「製造物責任法」「PL法(product liability)」として製造者の責任を問うものです。

ユーザーとしては「全くの素人」、つまり製造物に対して全くの無知の人も含まれるのです。
「普通これくらい・・・知っているだろう、こんなことしないだろう・・」という「常識」の範囲が、製造者とユーザー間でずれていると問題になります。


自動車のエアーバックは、元々アメリカでシートベルトの着用率が低く、事故を起こした時に大怪我や亡くなるユーザーを少しでも救うという事で、つまり「モノグサ」でキチッとクルマを使わない、シートベルトをしないユーザーも救おうということで始まりました。
ユーザー全員がキチッとクルマの使い方を守れば、当時としては要らなかった技術なのです。
(今の安全基準は高くなりエアーバック無しでは通りませんが。)

もっと言うと、エアーバックは高価ですが、衝突しないユーザーにとっては全く不要なもので強制的な保険のようなものです。
ほとんどのユーザーが行っているキチッと道路交通法を守った、またそれ以上の注意を払った運転をして、事故を起こさなきゃエアーバックは不要なのです。
(私のクルマも長く乗ってまもなく廃車ですが、エアーバックは開かずじまいです。エアーバックはリユース出来ませんから、一度爆発させてから廃棄と少しだけリサイクルとなります。)

また、ある範囲で衝突を想定してクルマ造りをすると、走行に必要以上のボディの強さや衝撃吸収構造も当然必要で衝突しないユーザーにとっては無駄となります。

ただ、これらは普段キチンと運転していても、人間だから「ポカ」をする場合もあるので、「保険的に必要」という考えで、ユーザーも自動車を造る側も世の中としても認められています。エアーバック不要という人は殆どいないでしょう。

ただ、ご存知と思いますが、エアーバックも万能でなくリアルワールドの様々な衝突形態全てに対応できるわけではありません。
特にスピードが高いまま衝突するとどうしようもありません。

そうそう、最近ではドライバーが「ポカ」をしても自動的にブレーキをかけて止まってくれる装置も普及して話題になっています。

話が長くなりましたが、このように自動車の造り手である設計研究者は「ポカ」のユーザーの事まで出来るだけ想像して考え抜いて造ってきているのです。
ただ、その分開発コスト、部品コストはかかっています。
ユーザーには自動車の売価が上がり、造り手は出来るだけ売価を抑えたいので収益が減り、廃棄処分のボリュームが増え・・・。

もしエアーバックを装備しなければ、全車に革シートやその他の多くの装備がつけられます。
ほとんどのユーザーがエアーバックを爆発させないわけですから、やはり「保険」なんですね。



イントロが長すぎましたが、本日言いたいことは、街角でよく見かける下記の写真です。




三角窓部分に、ぬいぐるみ。


ここの三角窓は勿論ドライバー視界を良くするためにあります。
つまり、ドライバーへの情報として、この三角窓からの視界が大切と造り手は想像し考え、コストをかけても設計しているのです。(三角窓は無い方がコストはかなり安いです)

しかし、当然のごとく、ここにこういう「ぬいぐるみ」をおかれると「チョン」です。

車室内を飾ることは乗員が楽しい気持ちになるのでしょうから悪いことではありませんが、ドライバーの視界を遮ってまで・・・。

ここで、設計者は考えるわけです。
「お客様は神様」「顧客主義」。
「本質的に、この三角窓部分にモノが置けるからいけない。モノを置けないようにしたら良いのだ」「ここが棚みたいになっているからモノを置こうとユーザーが思うのは自然なことだ、ここに棚的なスペースを設定した私が悪い。おけないように斜めにすれば・・」
まるでコレって「自虐ネタ」じゃないですかね? (笑)
こういう、「自虐設計者は良い設計者」ということになります。

大昔、「トレーインパネ」というのがありました。



これは、チョット小物を置いたり出来るので、非常に便利でユースフルなものでした。
しかし、ここに炭酸飲料やそれに近いものを置きっぱなしにして太陽熱で爆発させるユーザーがいたり、缶ジュースを置いてそれがカーブでころがってアクセルやブレーキに挟まったりしたら大変なことになると想像した設計者がいたりして、またデザインの考え方やトレンドにも依るのでしょうが、トレーインパネは無くなっていきました。

そんな中、ホンダのN1で復活してくれたのは嬉しいですね。(他にもあるかな?)
きっとユーザーは使いやすくて喜んでいると思います。



自動車は設計者研究者を中心とした自動車会社でだけ創っているのではなく、まさにユーザーと共に創っているのです。
ユーザーの方々は、全くの素人ではなく「運転免許証」というのを持っています。
平たく言うと、レベルの話ですが車のことをある程度は知っているはずの人達です。
「こうしたらどうなる」「こう考えて創っているのだ」など、ユーザーとしても少し考えても良いのではないでしょうか。
そうすれば、自動車をもっと安全に楽しく有効的に使えるのではないでしょうか。

自動車の設計者研究者は自虐的ですから、ユーザーの皆さんよろしくお願いします。



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