小学校に入る前、戦後の物資が乏しい時代で12月クリスマスの朝、目が覚めると枕元に真新しい鉛筆が3本と、黄土色のザラ紙でできたノートが1冊置いてあったのです。あの時の嬉しかったことは今も覚えています。
家には台所と風呂場に2本の煙突がありましたが、あんな細い煙突なので、私の家にはサンタクロースが来ないのか・・・・と、クリスマスが近づくと、疑問と期待が交差していて、子ども心にあきらめていたのです。
サンタクロースは、赤い服を着て白いヒゲをはやした姿で現れ、子どもたちにプレゼントを配って回ると聞かされていましたが、贈りものを受け取るには靴下をつるすという習慣だったのです。
その頃の私は、靴下がなくて母が作った黒色の足袋で、破れては繰り返し縫って履いていたものでした。したがって、受け取る靴下がほしかったのですがかなわず、あきらめていたのです。
やがて、サンタの正体は親だと知りますが、歳月が流れ私に子どもができたときは、絶対にサンタが来たのだと思わせてやろうと考えていました。しかし、子ども達の方が情報をつかむのが早く、サンタのプレゼントは親からだと・・・・・・。
子どもが小学校に入るようになると、プレゼントの内容について値段を考えながら、親子の駆け引きが始まります。手の内を読まれていますから親の思うようにはなかなか・・・・・。物のない時代に育った私としては精一杯なことをしてやったつもりでも・・・・・満足とまではいかなかったようです。
やがて孫が生まれ、5歳になったのでクリスマスの日に「何がほしいかな?」と聞けば、「何でもあるから、特に要らない」と言われ、それでもサンタになってプレゼントしたかったことを覚えています。その孫も来年は高校へ進学だとか・・・・。
やれやれ、贈り物には“散々 苦労”「サンザン・クロースル」でしたね・・・。