兵藤恵昭の日記 田舎町の歴史談義

博徒史、博徒の墓巡りに興味があります。博徒、アウトローの本を拾い読みした内容を書いています。

漂流記 池田寛親「船長日記」

2013年11月12日 | 歴史
新城市設楽原歴史資料館で督乗丸漂流記200年記念の講演会が開催された。講師は村松澄之氏、講演内容は「船長日記の真実を語る」

督乗丸とは、江戸時代に尾張と江戸の海路を往復した尾張藩の「千石船です。江戸時代末期、督乗丸は御前崎沖で台風に遇い、難破し、1年4ケ月間八丈島から太平洋を漂流し、ハワイ沖でイギリス船に重吉と生き残った水主2名が助けられました。

救助された船頭の重吉は、アメリカ、アラスカ、カムチャッカ半島、択捉島を経由して、4年をかけて世界を半周し、北海道から故郷の愛知県の半田に戻りました。

この重吉の漂流記を聞き取り、書きとめ、書物にしたのが、今の愛知県新城市に居た旗本菅沼家の家老であった「池田寛親」です。本の名を「船長(フナオサ)日記」と言います。池田寛親は本居派の国学者で、江戸詰めも経験したかなりの知識人でした。

この漂流記の研究家が村松澄之氏です。最近、「船長日記 その信憑性と価値」という本を出版されました。船長日記の存在は写本があり、昔より知られていました。しかし、昭和63年、菅沼家の菩提寺宗堅寺で池田寛親自筆の船長日記が見つかりました。発見したのは池田寛親の研究家で、村松澄之氏の恩師である鈴木太吉氏です。鈴木氏は研究成果を「池田寛親自筆本 船長日記」として平成12年6月に出版しました。

当時、伊勢湾、三河湾地区は日本最大の千石船の水主の生産地です。尾張、伊勢、知多半島を基地とする千石船が多く、また、難破した漂流記も色々あります。新城歴史館で「船長日記」と池田寛親の資料展示をしています。地元の興味ある資料がたくさん展示しています。江戸時代の船頭とは言え、その人間性の偉大さ、指導力、知識力に感嘆します。ぜひ一度、お出かけください。


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江戸時代千石船の漂流の歴史


写真は督乗丸供養碑(船頭重吉の碑)。名古屋市熱田区白鳥2丁目 成福寺境内にある。

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