空手バカなオヤジの日常

新潟の空手道場「空手道新武会」で稽古に励む、空手バカオヤジの徒然記

シン・エヴァンゲリオン劇場版

2021-06-10 18:48:24 | アニメ・特撮
4月上旬のとある日、久しぶりに映画館に向かいました。「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観るためです。

「新世紀エヴァンゲリオン」、私が平成で最もハマったアニメです。
TVシリーズ、旧劇場版とも、個人的には納得のいく「劇終」ではありませんでしたので、「新劇場版」では、どう終わらせるのだろうと、興味津々でした。

で、観終わった直後の素直な感想が、「庵野監督、上手くまとめ上げたな~。旧作のラスト「Air/まごころを君に」の「気持ち悪い…」より、ずっと良かった!」でした。

以下、観ていない方には内容がわかってしまうような記述がありますので、ご了解の上でお読みください。なお、すべて個人の感想です。「お前、それは違うよ。」という方も多数いらっしゅると思いますが、還暦ジジイの勝手な思い込みの駄文ということでご容赦ください。

主人公、碇シンジが、作品前半ではグダグダだったのに、後半、突然覚醒したみたいに「大人」になったことに、少し(というか、かなり)違和感を感じました。何か唐突過ぎました。シンジが大人になる過程を、前作から丁寧に描いていればもっと良かったのに、と感じました。

私的には、シンジは庵野監督ご自身を投影されたもの、と認識しているので、作品中のシンジは、その時その時の、庵野監督の精神状態を表してると思っています。
ですので、シンジが前半と後半で別人のようになったのは、庵野監督ご自身の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」制作中の心情が、そのまま投影されたものなのだろうなと勝手に解釈しております。

また、興味深かったのは、本作でのシンジと父ゲンドウの関係性でした。

ゲンドウについては、結局グダグダで情けないシンジがそのまま大人になったような人間で、ユイという存在がなければ他者と繋がることが出来なくて、ユイが亡くなったことをいつまでも受け入れられなくて、ユイを蘇らせたいという想いだけで生きていて、他者のことなんて考えられないから、自身の欲望を実現させるためだけに、メチャクチャやってたってだけの哀れな存在としか思えませんでした…
本作でも、結局ゲンドウって何だったの?って感じの終わり方だったように感じます…

でも、それって、庵野監督にとって、どうでも良くなったのかもしれないですね。
庵野監督は、シンジ=庵野監督自身に、決着というかケジメをつけられれば良かったのかなと…
ケンスケが自身の父親のお墓参りをするシーンで、「もっと話せば良かった。」と言って、シンジにも「父親とちゃんと話せ」みたいなこと言ってましたが、庵野監督的には、終盤でシンジとゲンドウが心象風景の中で話すことで、ゲンドウについては決着をつけたつもりなのかなと感じています。

シンジは、旧作もこれまでの新劇場版でも、ずっとゲンドウを避け、逃げていたけれど、今作で初めてゲンドウと正面から向き合ったと思ったら、あっという間にゲンドウを超えてしまったというような印象があります。それって、シンジ=庵野監督ご自身と考えると、庵野監督が乗り越えられないからと、ずっと正面から向き合えずにいた何かに対して、いざ覚悟を決めて向き合ってみたら、思っていたよりずっと簡単に乗り越えられたということなのかなと…

何にしても、今作ではシンジとゲンドウの関係性の劇的な変化(逆転劇)があり、シンジについては結構丁寧に描かれていたけど、ゲンドウに関しては、何かよくわからない描き方で終わっちゃったような印象でした…

シンジとゲンドウ以外では、前半のレイ(そっくりさん)が第三村でいろいろな経験を積みながら、いろいろなことを覚えて行く過程が、人が人として生きて行くということ、人として成長して行くということはどういうことか、ということを的確に表現していて、後半のゲンドウが起こそうとした「アナザーインパクト」との対比という意味で、すごく良かったです。

また、成長したトウジ、ヒカリ、ケンスケが出て来たのは、個人的にすごく嬉しかったです。TVシリーズでは片足を失ったトウジが、本作ではヒカリと結婚して子供までいるって…。昔からのファンは感涙ものだと思います。

本作のラスト、アスカとケンスケ、カヲルとレイ、シンジとマリ、皆パートナーを得たって感じの終わり方も、個人的にとても好感が持てました。

リョウジが射殺されるのではなく、サードインパクトを阻止するために亡くなったこと、ミサトとの間に立派な息子を授かったこと、何だかジンと来ましたが、何故ミサトを特攻させた…(泣)ミサトさんには生きていてほしかったです…

新劇場版4作は、結局TVシリーズや旧劇場版とは何のつながりもない、独立した全く違う作品として完結しましたが、TVシリーズのような訳のわからない終わり方でも、「旧劇場版」のような暗く、重苦しい終わり方でもなく、明るく前向きな終わり方で、個人的にはとても好感を持ちました。

エヴァンゲリオンという作品は、制作当初、「GAINAX」というアニメ制作会社の多くのクリエイターたちの総合力によって作られていました。(最初のTVシリーズのクレジットでは、「原作 GAINAX」でしたから)それがいつのまにか庵野秀明監督という個人にすべて委ねられるようになってしまい、三十代にして庵野監督がすべてを抱え込まざるを得ない状況に陥ってしまった…
そのプレッシャーたるや、我々凡人には想像も出来ない世界だと思います。そんな状況下で、旧劇場版を制作し、一度は完結させたものの、あらためて新劇場版として再制作に挑んだ… むろん、多くのスポンサーからの様々な働きかけがあったことは想像に難くありませんが、それでも、再制作を決断したその勇気と決意は、本当に凄いと思います。新劇場版4作の制作中、精神的にかなり追い込まれ、体調を崩すことも一度や二度ではなかった、という話も聞きましたが、そんな状況を乗り越え、作品を完結させたこと、正に「偉業」だと思います。
「シン・ウルトラマン」そして、「シン・仮面ライダー」。庵野監督のこれからが、本当に楽しみです。

昔、セル画描きを趣味にしていた頃に描いた、綾波レイのセル画。ホントに私が描いたものです。
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未来少年コナン その2

2020-06-22 11:51:25 | アニメ・特撮
5月3日(日)の深夜(正確には5月4日ですが…)、NHKで「未来少年コナン」の再放送が始まりました。
以前にも一度、このブログで「未来少年コナン」については書いたことがあるのですが、(こちら)「未来少年コナン」は、昭和53年(1978年)にNHKで放送されてアニメ番組です。演出(監督)を宮崎駿さん、作画監督を大塚康生さんが務め、私の中では、日本のテレビアニメ史上最高の作品であり、宮崎駿監督作品の中で、「ルパン三世カリオストロの城」「天空の城ラピュタ」と並ぶ、最高傑作のひとつだと思っています。

未来少年コナンについては、忘れられない思い出があります。
昭和53年(1978年)、私が高校2年から3年に進級する時の春休みに、未来少年コナンの製作真っ只中の「日本アニメーション」のスタジオを見学に行ったのです。今では信じられない話ですが、当時、事前に連絡して見学をお願いすると制作スタジオを見学することが出来たのです。

私にとって、人生初の一人旅でした。当時はまだ上越新幹線は開通していませんでしたし、鉄道もJRになる前、国鉄(日本国有鉄道)の時代でした。「とき」という特急列車で東京に向かいました。スマホなどない時代ですので、地図や時刻表を頼りに、事前に交通手段や経路を調べての旅です。約4時間列車に揺られ、上野駅で乗り換え、神奈川県川崎市へ。当時、川崎市に親戚がおり、そこに泊めてもらうことにしていたのです。事前に調べておいたおかげで、迷子になることもなく無事に親戚の家にたどり着くことが出来ました。

翌日、いよいよ日本アニメーションに向かいます。聖蹟桜ヶ丘という駅で降りて、しばらく歩いたところに、日本アニメーションのスタジオはありました。受付で見学に来た旨を告げると、すぐに2階の仕事場に案内してくださいました。仕事の邪魔になるようなことをしなければ、特に制限はなく、自由に見学することが出来ました。

仕事をされている方々は、私のような見学者には慣れているようで、全く気にすることなく各々仕事に没頭されていました。アニメーターの方や彩色の方の手元を、恐る恐るのぞき込んだりしても、怒られることもなく、見せてくださいました。

そんな中、すこし離れた席で仕事をされている方がいらっしゃったのですが、近づいてみると、なんと宮崎駿さんでした。当時、宮崎さんは、私のようなアニメ好きには有名でしたが、一般的にはまだ無名でした。恐る恐る背中越しに手元を見ようとしたら、「何だ?」といった感じで私の方を振り返り、「何だ、見学者か」といった感じでまた机に向かったことをはっきり覚えています。(「何だ?」とか「なんだ見学者か」というのは、私が感じたことで、宮崎さんは無言でした)

私が人生の中でアニメーションの制作現場を生で見たのは、この時が最初で最後でした。本当に夢のような、貴重な時間でした。

本物のアニメの制作現場に触れ、当時の私は「アニメーターになりたい。」という大それた夢に向かうことを決意したのでした。(このわずか数年後に、自身の心の弱さから、その夢からあっさり撤退してしまいましたが…)

帰り際、撮影済みのセル画を販売していることを知り、「未来少年コナン」のセル画2枚と「ペリーヌ物語」のセル画1枚を購入して帰路に就きました。現在、セル画は結構高額で売買されているようですが、当時日本アニメーションでは、見学に来たファンに撮影済みのセル画を販売していました。高校生の小遣いでも買える程度の値段(具体的にいくらだったかは明確に覚えていませんが、200~300円程度だったように思います。)でしたので、当時いかにアニメーションの社会的地位が低かったかの証明のように思います。

今や日本のアニメーションは、「クールジャパン」の代表格として、海外でも高い評価を受け、素晴らしい日本文化に成長しました。それはそれで素晴らしいことですが、私が幼かった頃、ワクワクと胸躍らせ、夢中になって観たようなアニメーション作品は、最近ほとんどなくなったように感じます。

私が幼かった頃、ワクワクと胸躍らせ、夢中になって観たアニメーション作品、それらは、昭和30年代から40年代にかけて、映画会社の東映が「東映まんがまつり」と銘打ち上映していた、長編アニメーション(当時アニメーションという言葉は一般には使われておらず、長編まんが映画と呼ばれていました。)「太陽の王子ホルスの大冒険」「長靴をはいた猫」「空飛ぶゆうれい船」「海底3万マイル」「どうぶつ宝島」「ちびっこレミと名犬カピ」といった作品、そして、東宝が「東宝チャンピオンまつり」と銘打ち上映していた作品「パンダコパンダ」「パンダコパンダ雨降りサーカス」といった作品です。ぜひ現代の子供たちにも観てほしい、名作ばかりです。もちろん、同じ時代にテレビで放映されていたTVアニメ(当時はテレビまんがと呼ばれていました。)にも、数多くの名作がありました。

これらの作品の魂を受け継いだのが、「未来少年コナン」であり、「未来少年コナン」という作品の魂を受け継いだのが、「ルパン三世カリオストロの城」であり、「天空の城ラピュタ」なのだと個人的には思っています。

「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」が大ヒットし、「アニメーションはティーンエイジャー向けの方が商売になる」と業界の方々が気づいて以降、、アニメーション業界はティーンエイジャーや更に上の年代向けアニメの制作に重点を置くようになり、結果的に子供向けのアニメーションは、あまり作られなくなったように感じます。私自身、「宇宙戦艦ヤマト」も「機動戦士ガンダム」も大好きですが、アニメの制作に携わっているクリエーターの皆様には、かつて宮崎駿監督が制作したような、幼い子供たちがワクワク、ドキドキと胸躍らせるようなアニメーション作品も、ぜひ制作していただきたいと願っています。


「愉しきかな 血湧き 肉躍る 漫画映画。」(天空の城ラピュタ公開時のキャッチフレーズ)

「~子供たちの心に語りかけたい~
古典的骨格を持つ冒険物語を、今日の言葉で語れないだろうか。
正義は方便になり、愛は遊びになり、夢が大量生産品になったこの時代だからこそ、無人島が消され、宇宙が食いつくされ、宝物が通貨に換算されてしまう時代だからこそ、少年が熱い想いで出発する物語を、発見や素晴らしい出会いを、希望を語る物語を子供達は待ちのぞんでいる。
自己犠牲や献身によってのみ獲得される絆について、何故、語ることをためらうのだろう。
子供達のてらいや、皮肉や諦めの皮膚の下のかくされている心へ、直に語りかける物語を心底つくりたい。」
(「天空の城ラピュタ」公開時のパンフレットに掲載された、宮崎駿監督のメッセージ)

日本アニメーション見学時に購入した未来少年コナンのセル画


未来少年コナンのムック本の数々


未来少年コナン第1話の絵コンテ本 アニメージュというアニメ専門誌のふろくです。
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TAMASHII NATION 2019(魂ネイション2019)

2019-10-28 14:35:52 | アニメ・特撮
  「ルパン三世 カリオストロの城 シネマ・コンサート!andベストヒット ルパン三世 ライブ!」から一夜明けた10月26日(土)、この日の夜に都内で大切な用事があり、もう一泊することにしていました。
  夜まで何をして時間を潰そうかと考えていた時に、たまたま玩具メーカー「バンダイ」さんの「TAMASHII NATION 2019(魂ネイション2019)」というイベントが秋葉原で開催されていることを知り、行ってみることにしました。

  午前10時に横浜のホテルをチェックアウトし、車で秋葉原に向かいます。イベント会場は二カ所あり、一カ所は有料、もう一カ所は無料ということだったので、無料のベルサール秋葉原という会場に行くことにしました。会場近くに駐車場が見当たらず、少し離れたコインパーキングに車を止め、会場まで歩いたのですが、まぁ人が多いこと…。私、どうも人が多いのは苦手です…

会場入り口 セーラームーンがお出迎えです。


  ほとんど予備知識なしで行ったので、どんなイベントかよくわからなかったのですが、フィギュアの展示会といった感じでした。写真撮影可でしたので、いろいろと撮ってきました。フィギュアを見ているのは楽しいのですが、やはり人の多さに参ってしまい、1時間ほどで会場を後にしました。
  それにしても、今時のフィギュアはホントに良く出来てます。再現度がハンパありませんでした(゚Д゚)

平成仮面ライダーシリーズ


ウルトラマン


名探偵コナン


セーラームーン


おジャ魔女どれみ


  余談ですが、セーラームーンとおジャ魔女どれみは、ちょうど長女と二女が子供の頃、いっしょに観ていて、結構はまりました。セーラームーンの「タキシード・ミラージュ」とおジャ魔女どれみの「わたしのつばさ」は、未だにカラオケで歌ってます(^_^;)
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ルパン三世 カリオストロの城 シネマ・コンサート!and ベストヒット ルパン三世 ライブ!

2019-10-27 16:58:58 | アニメ・特撮
 10月25日(金)、神奈川県横浜市 パシフィコ横浜 国立大ホールで行われました「ルパン三世 カリオストロの城 シネマ・コンサート!andベストヒット ルパン三世 ライブ!」に行ってまいりました。


 私、この世に「オタク」という言葉がなかった時代からの「アニメオタク」を自認しておりますが、「ルパン三世」は、もちろん大好きなアニメの一つです。

 ルパン三世の最初のアニメが放送されたのは、私が小学校5年生の頃でした。当時の私の「ルパン」に対する知識は、モーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン」しかなく、(当時、モーリス・ルブランの怪盗ルパンシリーズや、コナン・ドイルの名探偵ホームズシリーズを小学校の図書館で借りてよく読んでいました。)いったいどんな話なんだろうとワクワクしながら第1話を観たのですが、「峰不二子のこちょこちょシーン」で、びっくり仰天です。(ご存じない方で興味のある方は、レンタル等でご確認ください。いわゆるお色気シーンです。)「すっごく見たい!でも、親には見てることバレないように見ないと…」と子供心に思わせる、アダルトなアニメだったのです。ということで、その後は親の目を盗んで、こっそり見ていたのでした。が、その後徐々にアダルト的な要素が減り、親といっしょに見ても大丈夫なアニメとなっていきました…(ずっと後になって、当初は大人向けのアニメとして制作していたものが、視聴率が振るわず、子供向けにシフトチェンジしたと知りました。)

 最初のルパン三世のアニメが終わって数年、私が高校2年の時、何とルパン三世が再びテレビアニメとして復活しました。このルパン三世第2シリーズは好評だったようで、約3年間、155回も続いたそうです。

 私が高校3年の時、ルパン三世の最初の劇場版アニメ「ルパンVS複製人間」が公開され、そしてその翌年、名作「ルパン三世カリオストロの城」が公開されたのでした。私は公開されるとすぐに劇場に足を運び鑑賞したのですが、冒頭、いきなりのルパンと次元の「コナン走り」(「カリオストロの城」公開の前年、NHKで放送されたアニメ「未来少年コナン」での主人公コナンの走り方。「未来少年コナン」は、カリオストロの城同様、宮崎駿さんが監督(演出)、大塚康生さんが作画監督を務めた作品。ちなみに「コナン走り」という言い方は、私と私のアニメ好きな友人数人で勝手に命名したものです。)で、一気に作品に引き込まれてしまい、その後も息もつかせぬ展開で最後まで見入ってしまいました。
 「すごい!」見終わった直後の感想は、このひと言に尽きました。それまでに見たあらゆる映像作品の中で、私にとって最高峰と言っても過言ではないほどの、素晴らしい作品だったのです。

「ルパン三世 カリオストロの城」公開時のパンフレット。今も大切にしています。

 あれから40年。「ルパン三世カリオストロの城」は、その後もずっと定期的にテレビで放送され、アニメの「ルパン三世」も、TVシリーズ、TVスペシャル、劇場版と形を変えながらずっと続いています。そんなある日、偶然インターネットでこの「ルパン三世 カリオストロの城 シネマ・コンサート!andベストヒット ルパン三世 ライブ!」が開催されるのを知り、「絶対に行きたい!」とすぐにチケットを申し込んだのでした。

 昨年、ガンに罹患するまでの私は、好きなアーティストのライブや、興味のあるイベントなどには、稽古指導に支障がある場合、行くことはありませんでした。空手指導を生業にしているのですから、稽古指導を最優先にするのは当然です。ただ、それまでの私は稽古指導は週7日、基本的に休みなしの生活でしたし、稽古指導以外にも、道場運営の諸雑務から家事、母の介護といったプライベートまで、とにかく何から何までほとんど1人で背負い込んでいるような状態で、正直肉体的にも精神的にもギリギリでした。また、常設道場の家賃が高額で、道場経営はかなり苦しく、経済的にもギリギリの状態でした。胃潰瘍、ひいてはガンに冒されたのは、それらから来るストレスが大きな要因であったことは間違いないと思っています。

 何事もそうだと思うのですが、大切なのは、「緊張と弛緩のバランス」だと思います。ガンに罹患するまでの私は、「緊張」ばかりで、「弛緩」が全くありませんでした。「緊張」ばかりでは、ストレスで心も身体も押しつぶされてしまうのは自明の理。昨年、ガンから生還し思ったことは、これからは「弛緩」の時間をもっともとう、これからの人生、いつ何があるかわからない、いつ死んでしまうかわからない、残された人生、少しでも悔いを残さないために、「行きたい!」と思ったイベントや場所には、とにかく行こう!ということでした。というわけで、今回のコンサート&ライブもすぐに行くことを決断したのでした。

 コンサート&ライブ当日、昼前に自宅を出発し、車で一路横浜に向かいます。夕方ホテルに到着、ひと休みしてから、電車で会場に向かいました。到着すると、すでに長い行列が出来ていました。会場に入り、ワクワクしながら開始を待ちます。


 今回のコンサートの1部は、シネマ・コンサートと銘打っていましたが、要は映画を上映しながら、台詞や効果音は音源のまま、音楽部分だけを、オーケストラがライブ演奏するというものでした。
 コンサートが始まると、さすがに演奏はすごい迫力で、台詞が聞き取れないこともしばしばでした。まぁ、カリオストロはもう数え切れないほど観ているので、台詞はすべて記憶しており、まったく苦になりませんでしたが…
 また、オープニングとエンディングに流れる主題歌「炎のたからもの」は、オリジナル版のボビーさんではなく、峰不二子の三代目声優、沢城みゆきさんがライブで歌ってくださり、何だかすごく得した気分になりました。

 大迫力のシネマ・コンサートが終わり、休憩の後、第2部の「ベストヒット ルパン三世 ライブ!」が始まりました。これは、作曲家の大野雄二さん、歌手の松崎しげるさん、声優の沢城みゆきさんによる対談や、松崎さん、沢城さんによる主題歌の熱唱、スクリーンにテレビシリーズの画像を流しながらのルパン三世BGMのライブ演奏と盛りだくさんの演出で、こちらもすごく楽しめました。三時間を超えるコンサート&ライブでしたが、時間を感じさせない、本当に楽しいひとときでした。行って良かった!

ルパン三世のアニメ第2シリーズ放送中、主題歌&BGMのレコードが何枚も発売されました。未だに大切に保管しています。


コンサート&ライブ終了後、横浜に住んでいる二女と待ち合わせ、中華街で食事。美味しかった!
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アニソンライブ スーパースリー 2019

2019-05-27 12:56:32 | アニメ・特撮
 5月26日(日)、長野県上田市 上田市交流文化芸術センター サントミューゼ 大ホールで開催されました、「アニソンライブ スーパースリー2019 ~ 思い出せ! あの輝きを! ~」に行って参りました。

 今ライブでの「スーパースリー」とは、ささきいさおさん、水木一郎さん、堀江美都子さんのお三方です。現在、アニメソングや特撮ソングは、「アニソン」というひとつの文化として確立されていると思いますが、アニソンを文化にまで高めた最大の功労者が、このお三方であると思っています。私にとってこのお三方は、「スーパースリー」であることはもちろん、「レジェンドスリー」なのです。

 私がささきいさおさんの生歌を聴くのは、今回が3度目でした。初めてささきさんの生歌を聴いたのは、今から40数年前、高校生の時でした。当時、「宇宙戦艦ヤマト」が、中・高生を中心とした若い世代に大ヒットし、アニメブームが起きていました。そんな時、昭和52~53年頃だったと記憶しているのですが、新潟県新津市(現 新潟市秋葉区)で「アニメフェスティバル」(何しろ昔のことで、名称は違ったかもしれません)というイベントが開催されたのです。
 このイベントには、ささきさん始め、声優の神谷明さん、石丸博也さん、森功至さん、塩屋翼さんらが出演されました。当時、このようなイベントは全国的にも珍しかったと思います。詳しくはわかりませんが、新潟県内で活動されていたアニメのファンサークルの主催者の皆さんが企画し実現したもののようです。
 オープニングでささきさんが「宇宙戦艦ヤマト」を熱唱されたのですが、途中でカラオケのテープが止まるというハプニングがあったのをよく覚えています。
 イベントの最後には、出演された皆さん全員が、来場したファン全員と握手をしてくださるという、今では考えられないようなファンサービスもありました。ささきさんと握手した際、私の目をしっかりと見て「ありがとう」と言ってくださったことを、よく覚えています。

 2度目は数年前、新潟市内のショッピングセンターのイベントで行われた、ささきさんのミニライブでした。

 また、水木一郎さんの生歌も、今回が3度目でした。前の2回は、いずれも数年前、1回目は新潟市内のショッピングセンターで行われたミニライブ、2回目は新潟市の万代シティで行われたラジオの公開生放送で、水木さんがゲスト出演した時でした。

 堀江美都子さんの生歌は今回が初めてでした。

 ライブのオープニングは水木さんの「マジンガーZ」、続いて堀江さんの「キャンディキャンディ」そしてささきさんの「宇宙戦艦ヤマト」と、いきなり代表曲のオンパレードです。会場内のお客さんは、ほとんどが私と同年代前後の、いい歳をしたオヤジやおばちゃんたちでしたが、一気にヒートアップし、皆が、「ゼェ~ット!」と叫び、「ヤ~マ~ト~」と熱唱していました。もちろん、私も!

 約2時間半のライブ中、初めて聴く曲が3曲ありました。「このお三方の曲は全部知ってる!」とうぬぼれていましたが、まだまだ修行が足りません…(>_<)

 ささきさんは今年77歳、水木さんは71歳、堀江さんも還暦を過ぎていらっしゃるということですが、皆さん本当にパワフル!ますますのご活躍をお祈りいたします。

 本当に、本当に楽しいひとときでした。行って良かった~!カラオケ行きてぇ~!!



買っちゃいました (^◇^;)


本文に記した、昭和52~53年頃に開催された「アニメフェスティバル」に出演された皆さん全員のサイン色紙 私の宝物のひとつです。
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