楠ヶ丘25P仲間の広場

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下呂温泉の旅

2007年08月26日 | 近況
今枝です。
暑い暑い毎日ですね。
お盆前の7-8日、飛騨路を旅してきました。
主人と二人だけの旅は、もしかして新婚旅行以来かも。



下呂温泉でゆっくりしたくて、行きは日本昭和村へ寄りました。



駄菓子屋さん。
主人はこの一宮の生まれで、子供の頃はよく通ったらしくて郷愁を感じていたようですが、私はド田舎の生まれなのでそんなお店あまり覚えがありません。



下呂温泉では一番料理がおいしいと、会員にもなっている「水鳳園」。
ここの料理は芸術品。
夕食は写真を撮るのも忘れて食べてしまい、これは朝食のごちそうです。



次の日は世界遺産の白川郷合掌集落へ行きました。
失われた日本との出会いかもしれませんね。
途中の道が曲がりくねっていて、左右に揺られてフラフラ・・・
朝市で「すくなかぼちゃ」(これおいしい)や帰りに道の駅でいろんな野菜を買って帰り、しばらく野菜料理を楽しみました。

近くでもいいから時々出かけたいなと話しています。









ラトビア人信州に行く

2007年08月18日 | 近況
服部です。

ヤニスが8月の名古屋に来ると聞いた時、すぐに「一年で一番暑い時期に名古屋を見て歩くなんてとんでもない、北の国からやってくる人は慣れない暑さで熱中症になりかねないし、名古屋を逃れてどこか涼しいところへ行こう」と考えていました。「ラトビアにはほとんど山らしい山がないから山の景色が見たい」という彼の希望もあり12日は朝7時半に名古屋を出て信州に向いました。

蓼科の蕎麦屋にて早目の昼ごはん。天ぷらも食べたことがないというヤニスのために天ざるを注文。蕎麦はロシア人もよく食べますが、彼らは粒のままもどしたのを炒めたり、スープやカーシャ(おかゆ)にして食べるのが普通です。ラトビアも同様らしくて 蕎麦の麺は初めて。蕎麦はロシア語でгречка, これを麺にしたものは”гречневые макароны” だそうですが、、「マカロニ」ねえ、なんだか変ですよね。かけそばだったら "лапша" というのでしょうけれど、、食べ物の説明は難しいですね。

ちなみにそばつゆは "соус"と言うしかないので ざるそばは「醤油風味のソースに浸して食べる、グレーチカのマカロニ」という料理になるわけですね。ヤニスは日本についてたくさん本を読んできたらしく 日本人は麺類を音を立ててすすりこむということも知っていました。おはしの使い方も上手、というわけでざる蕎麦もなんなくクリア。



午後は日本ピラタスに行ってロープウェイで山頂駅(標高2240メートル)まで登りました。ここまでくると気温は21度、極楽です。頂上はロックガーデンになっていてぐるっと散策ができます。農業関係の学校を出て植物園に勤務していたこともあるヤニスは特別に植物に興味があり 熱心に高山植物を見ていました。

山から下りて今度は温泉に。私達がお気に入りの蓼科の「小斉の湯」です。ここには内風呂のほかいくつも露天風呂があり、二つは女性専用、残りは混浴です。つまり男性は混浴を選ぶしかないわけです。
ヤニスはちょっと緊張した顔で「えっ、女性といっしょに? 怖い。」などと言っていましたが「水着や下着はいっさい身につけてはいけません。浴槽に入る前によく体を洗ってね。タオルは浴槽には入れないこと。」と注意して夫といっしょに露天風呂に送り出しました。私は女性専用の「森林浴の湯」に。

さて私も露天風呂でのんびりして出てきたら待っていたヤニスはニコニコ。
"Были женщины ?"  「女性はいたの?」
"Были !" 「いた!」
しかも 若い女性だったのですって。

夫の話によりますと 女性二人、男性二人のグループで話からすると「お水っぽい」方たちだったようです。ここには何度も来ていますが混浴に女性がいたのは初めてでした。メガネをはずして入浴していた夫はちょっと悔しそう。楽しい体験をしてラッキーなヤニス。
「でも 混浴は今の日本ではあくまでも例外ですからね。ラトビアに帰って”日本では男女がいっしょに入浴するのが普通”なんて言わないでよ!」と釘をさしておきました。ヤニスは「ラトビアにもヌーディストビーチはあるよ。別に特別なことじゃないと思う。」


13日はすばらしい快晴、7時に宿を出て霧ケ峰の車山肩に向います。写真は途中の富士見展望台からの眺め。残念ながら富士山は見えなかったのですが中央アルプスがくっきりと見えました。右手にははるかに御嶽山が見えています。



7時半車山肩に到着、山道を歩き始めました。ここには2週間前にも来たのですが その時はニッコウキスゲが満開でした。すっかり様子が変わってシモツケソウ、クガイソウ、マツムシソウの花盛り。トンボがいっぱい飛んでいて 湿度は少なくさわやかでもう秋の気配でした。写真は私の大好きなマツムシソウです。



2時間弱歩いて八島湿原に到着。歩きながら話すのは家族のこと、リガのこと、将来の計画、そして「結婚が長続きするために必要なのはまず愛情、そして忍耐だ。」などということも。彼も私も結婚して30年です。

様々な花を見ながら湿原を一周して別のルートで車を置いてきた車山肩まで戻ることになったのですが 夫は車山の頂上に登りたいと言います。私はちょっとお疲れだったのでできたらやめておきたかったのですがヤニスも登りたそうなのでしかたなく一緒に登頂!ここからは360度のパノラマが開けるはずだったのですが残念ながらこの日は視界がよくありませんでした。八ヶ岳はきれいに見えました。後ろの建物は気象レーダー観測所です。



山から下りて諏訪に鰻を食べにいきました。諏訪には川魚の料理の伝統があり鰻もおいしいお店があります。ラトビアでは鰻は燻製かジェリーよせで食べるそうでそれもとても大きな鰻らしいのですが 蒲焼はもちろん初めて。スパイシーなものが好きなヤニスは山椒の粉をたっぷり振った上に「おいしいけどちょっと甘いなあ、、」とさらに醤油をかけて食べていました。

リガから100キロくらいのところにダーチャを持っていて 畑で様々な野菜を作っているという彼は日本の畑にも興味があり 車を止めてあちこちの畑や日本人の庭を観察していました。ソニーのビデオカメラ、ニコンのデジカメも持っていていろいろ取材します。

最後に諏訪大社に寄って御柱祭りの写真を見たり 力士雷電の像を見たりしてから茅野駅に送っていきました。彼はこれから あずさ24号で新宿に向います。

リガで会ってから32年間毎年クリスマスカードは交換していて「いつかリガにまた行けたら」とぼんやり夢にみたことはあったのですが ヤニスが日本に来て再会するということはまったく予想したことがありませんでした。茅野駅のプラットホームで隣にヤニスがいても、お別れに抱きしめられても、
まだまだ"Не верится."の私なのでした。

楽しくて笑ってばかりの三日間でした。見ず知らずのヤニスを歓待してくれた夫に感謝しています。いっしょに混浴したり、リガ土産の強い薬草酒のウオッカ割りを飲んで盛り上がったりして 最後はずいぶん仲良くなっていました。ヤニスは15日に成田を発って無事にリガに帰りました。「今度はリガで会おうね」と言って別れましたが いつ訪ねて行けるでしょうか。

ラトビアから来たヤニス

2007年08月17日 | 近況
服部@昨日は39.4度だった名古屋 です。
ご無沙汰していますが 皆様猛暑の中いかがお過ごしですか?

11日にラトビア人の友人ヤニス・カルニンシュが名古屋にやって来ました。前回彼に会ったのは私が大学4年生でラトビアの首都リガに旅行した時ですから なんと32年ぶりの再会!彼は8月2日に来日、東京や鎌倉を見た後 京都、奈良、広島、福岡と旅行してきました。京都以降はほとんど夜行バスという節約旅行です。広島と宮島を見て夜行バスで福岡へ、そしてその夜にまた夜行バスで名古屋へという若いバックパッカーみたいなハードスケジュール、しかも猛暑の8月、日本語も英語もほとんどわからないというし この春以来メールや電話で何度も打ち合わせしながら私は不安でいっぱいでした。彼は60歳くらいのはずです。

11日午前7時45分、定刻に名古屋駅のバスセンターに着いたバスから”Kazu!”と満面の笑顔で手を振りながら降りてきた彼を見た時、感動で言葉が出ませんでした。32年ぶりに握手しながら二人が同時に
"Не верится !"(信じられナーイ)。彼とすごした三日間、何度この言葉を繰り返したことでしょう。

朝早すぎてホテルにチェックインもできないので まずわが家に来てもらってシャワーと朝ごはん。遠いリガから来た彼が私と夫と三人でわが家で朝ごはんを食べているのもほんとうに不思議。мне не верится !
朝ごはんを食べるヤニスです。和食にしようか、洋食にしようかと迷ったのですがお疲れの時は食べなれたものがいいかと洋食メニュー。ベーコンエッグとトマト、パン三種類、コーヒーにメロン。


とにかく暑いのであまり外を歩きたくないし でも少しは名古屋を案内しなければならないしということでまずトヨタ博物館へ。
http://www.toyota.co.jp/Museum/index-j.html
美しいクラシックカーがたくさん展示されていて 車に特に興味のない人でもここは面白いでしょう。ロールスロイスやデューセンバーグ、イスパノスイザなど ほとんど馬車みたいなのから モダーンな車までいろいろ楽しめます。昔のトヨタやニッサンの車も展示されていてなつかしい。





リガは古い建物がいっぱいの美しい町ですが 残念ながらわが名古屋には歴史的建物がほんの少ししかありません。「第二次大戦の時に空襲で焼けてしまったから」と弁解しながら名古屋城に行きました。ヤニスは日本の城を見てないというのでレプリカとはいえ なかなかフォトジェニックなお城を見せることにして。午後になるともう目もくらむばかりの強烈な日射し、あまりの暑さに夫は逃げて行ってしまい、二人で見学。すれ違う人たちが全員「暑い、暑い」と言っているのでヤニスもすぐに「アツイ!」と日本語を覚えてしまいました。




このあと 名古屋の下町、大須(浅草みたいなところです。観音様もあり)に出かけてお土産を物色。ここには外国人に大人気の着物屋があります。ヤニスも奥さんや娘に浴衣や帯揚げなど買いました。夕食は再び夫も合流して居酒屋と中華料理店にて。タコでも納豆でも何でも食べる人なので お付き合いが楽です。

カサブランカ

2007年08月03日 | 近況


今枝です。
暑い夏になりましたね。
2週間前に咲いたカサブランカです。
あのル・レーブが咲き終わった頃咲き始めました。
次女が友達の結婚式に出席の為帰省していて、振り回されていました。
子供一人くらいに振り回されて忙しいなんて、年とったもんだと感じています。
浦口さんがお孫さんやお琴の演奏などに忙しくては、とても投稿は大変だろうなと想像しています。
娘達もこれからはしょっちゅう帰ってきて、キャンプやコンサート、ドライブとここを拠点に遊びまわると宣言しているので、恐れをなしています。



次女の招待された結婚式場は小牧市にある「合掌レストラン大蔵」で、建築家の黒川紀章氏の生家を改造した和風のレストラン。
フランス料理がとてもおいしかったそうです。
政子さんがお盆にこちらへ来られるそうですが、ここはどうかな?なんてふと思いました。
やはり友達の結婚式に出席すると次女も「結婚したいなあ~」なんて言っています。
早く結婚して自立して欲しいですよ!

ご無沙汰です、茨木です。

2007年08月01日 | 近況
家の周りに麦が育ち、田植えを終ったばかりの水田・・・とブログに書いたような気がしていますが、とうの昔に、麦刈りは終り、田圃の緑も濃く、力強く・・・、とうとう、稲穂まで出始めた田圃があります。麦畑の後には、枝豆が植えられています。大豆になるのはいつの頃だったでしょうね。5月の連休、町田の友達のところに行った時、牡丹園に行く住宅街の中に、発泡スチロールに麦を栽培されている家がありました。それを、珍しそうに『写真メール』で撮ってる人がいました。『麦なんて、珍しいでしょ』と仰ったので、『私の家の周りは麦畑がたくさんありますよ。滋賀県ですが』と言ったら『滋賀ネエ!』と笑っておられました。

暫く、ご無沙汰してたら、森田さんと服部さんが、『心配で・・・』とお電話を下さって、とっても、嬉しかったり、恐縮したり・・・。
ありがとうね。

また、世戸くんや植村くんが肉親を見送り、小橋さんは若いお友達を見送り・・・と悲しいこともたくさんありましたね。25歳や26歳なんて、本当に御両親は気も狂わんばかりでしょう。

今日は、私は、84歳の母の脳のMRI検査に付き合ってきました。結果は○で異常なし。精神的なストレスがあるのでしょうね。『先は行く道』と思って世話をしています。母は彼女の3.2倍生きてるのですね。37歳で亡くなった生母の2.2倍。淋しがりの母は、一人暮らしで、生きているのもしんどくなるのかもしれないけど、頑張って欲しい。

教会の朝ミサで、いつもご一緒していた60才台のおじいさんが、去年の11月末に急性白血病になってらして・・・。それでも、暫く前までは、元気に、また、朝ミサに来られてたのだけれど、昨日、発熱で『もう、あきませんワ』と神父様に電話されて、再入院されたそうです。悲しいわ・・・。

そうそう、6月の終わりでしたが、ECCの仲間と栗東の金勝(こんぜ)というところに一泊しました。町田に行った時、友達が『武相荘(ぶあいそう)』と言うところに連れてってくれました。そこの白州正子さんが書かれた『かくれ里』という本に載ってるところなの。新幹線で滋賀を通る時『三上山(近江富士と呼ばれてるの)』の横も通るのだけど、その山を『下に』みたのが感激でした。とっても、良かったし、皆で集まったらいいのではと思い、11月3日と4日の連休に『予約』しました。紅葉も綺麗やし、みんな、ぜひとも、集まって下さいね。草津か栗東までお迎えの車も出して下さるし。みんな、家族と過ごす連休かな・・・。

また、みんなで会おうね!!!