服部です。
ヤニスが8月の名古屋に来ると聞いた時、すぐに「一年で一番暑い時期に名古屋を見て歩くなんてとんでもない、北の国からやってくる人は慣れない暑さで熱中症になりかねないし、名古屋を逃れてどこか涼しいところへ行こう」と考えていました。「ラトビアにはほとんど山らしい山がないから山の景色が見たい」という彼の希望もあり12日は朝7時半に名古屋を出て信州に向いました。
蓼科の蕎麦屋にて早目の昼ごはん。天ぷらも食べたことがないというヤニスのために天ざるを注文。蕎麦はロシア人もよく食べますが、彼らは粒のままもどしたのを炒めたり、スープやカーシャ(おかゆ)にして食べるのが普通です。ラトビアも同様らしくて 蕎麦の麺は初めて。蕎麦はロシア語でгречка, これを麺にしたものは”гречневые макароны” だそうですが、、「マカロニ」ねえ、なんだか変ですよね。かけそばだったら "лапша" というのでしょうけれど、、食べ物の説明は難しいですね。
ちなみにそばつゆは "соус"と言うしかないので ざるそばは「醤油風味のソースに浸して食べる、グレーチカのマカロニ」という料理になるわけですね。ヤニスは日本についてたくさん本を読んできたらしく 日本人は麺類を音を立ててすすりこむということも知っていました。おはしの使い方も上手、というわけでざる蕎麦もなんなくクリア。
午後は日本ピラタスに行ってロープウェイで山頂駅(標高2240メートル)まで登りました。ここまでくると気温は21度、極楽です。頂上はロックガーデンになっていてぐるっと散策ができます。農業関係の学校を出て植物園に勤務していたこともあるヤニスは特別に植物に興味があり 熱心に高山植物を見ていました。
山から下りて今度は温泉に。私達がお気に入りの蓼科の「小斉の湯」です。ここには内風呂のほかいくつも露天風呂があり、二つは女性専用、残りは混浴です。つまり男性は混浴を選ぶしかないわけです。
ヤニスはちょっと緊張した顔で「えっ、女性といっしょに? 怖い。」などと言っていましたが「水着や下着はいっさい身につけてはいけません。浴槽に入る前によく体を洗ってね。タオルは浴槽には入れないこと。」と注意して夫といっしょに露天風呂に送り出しました。私は女性専用の「森林浴の湯」に。
さて私も露天風呂でのんびりして出てきたら待っていたヤニスはニコニコ。
"Были женщины ?" 「女性はいたの?」
"Были !" 「いた!」
しかも 若い女性だったのですって。
夫の話によりますと 女性二人、男性二人のグループで話からすると「お水っぽい」方たちだったようです。ここには何度も来ていますが混浴に女性がいたのは初めてでした。メガネをはずして入浴していた夫はちょっと悔しそう。楽しい体験をしてラッキーなヤニス。
「でも 混浴は今の日本ではあくまでも例外ですからね。ラトビアに帰って”日本では男女がいっしょに入浴するのが普通”なんて言わないでよ!」と釘をさしておきました。ヤニスは「ラトビアにもヌーディストビーチはあるよ。別に特別なことじゃないと思う。」
13日はすばらしい快晴、7時に宿を出て霧ケ峰の車山肩に向います。写真は途中の富士見展望台からの眺め。残念ながら富士山は見えなかったのですが中央アルプスがくっきりと見えました。右手にははるかに御嶽山が見えています。
7時半車山肩に到着、山道を歩き始めました。ここには2週間前にも来たのですが その時はニッコウキスゲが満開でした。すっかり様子が変わってシモツケソウ、クガイソウ、マツムシソウの花盛り。トンボがいっぱい飛んでいて 湿度は少なくさわやかでもう秋の気配でした。写真は私の大好きなマツムシソウです。
2時間弱歩いて八島湿原に到着。歩きながら話すのは家族のこと、リガのこと、将来の計画、そして「結婚が長続きするために必要なのはまず愛情、そして忍耐だ。」などということも。彼も私も結婚して30年です。
様々な花を見ながら湿原を一周して別のルートで車を置いてきた車山肩まで戻ることになったのですが 夫は車山の頂上に登りたいと言います。私はちょっとお疲れだったのでできたらやめておきたかったのですがヤニスも登りたそうなのでしかたなく一緒に登頂!ここからは360度のパノラマが開けるはずだったのですが残念ながらこの日は視界がよくありませんでした。八ヶ岳はきれいに見えました。後ろの建物は気象レーダー観測所です。
山から下りて諏訪に鰻を食べにいきました。諏訪には川魚の料理の伝統があり鰻もおいしいお店があります。ラトビアでは鰻は燻製かジェリーよせで食べるそうでそれもとても大きな鰻らしいのですが 蒲焼はもちろん初めて。スパイシーなものが好きなヤニスは山椒の粉をたっぷり振った上に「おいしいけどちょっと甘いなあ、、」とさらに醤油をかけて食べていました。
リガから100キロくらいのところにダーチャを持っていて 畑で様々な野菜を作っているという彼は日本の畑にも興味があり 車を止めてあちこちの畑や日本人の庭を観察していました。ソニーのビデオカメラ、ニコンのデジカメも持っていていろいろ取材します。
最後に諏訪大社に寄って御柱祭りの写真を見たり 力士雷電の像を見たりしてから茅野駅に送っていきました。彼はこれから あずさ24号で新宿に向います。
リガで会ってから32年間毎年クリスマスカードは交換していて「いつかリガにまた行けたら」とぼんやり夢にみたことはあったのですが ヤニスが日本に来て再会するということはまったく予想したことがありませんでした。茅野駅のプラットホームで隣にヤニスがいても、お別れに抱きしめられても、
まだまだ"Не верится."の私なのでした。
楽しくて笑ってばかりの三日間でした。見ず知らずのヤニスを歓待してくれた夫に感謝しています。いっしょに混浴したり、リガ土産の強い薬草酒のウオッカ割りを飲んで盛り上がったりして 最後はずいぶん仲良くなっていました。ヤニスは15日に成田を発って無事にリガに帰りました。「今度はリガで会おうね」と言って別れましたが いつ訪ねて行けるでしょうか。