楠ヶ丘25P仲間の広場

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フェルメールの青

2006年09月27日 | 近況

服部です。

オランダでは絵を見て歩きました。

スキポール空港からまず目指したのはハーグの町。なぜならここにマウリッツハウス美術館があるからです。

全部で30数枚しかないと言われているヨハンネス・フェルメールの絵の中でまず一番有名なのが「真珠の耳飾の少女」

(またの名は「青いターバンの少女」)でしょうが この絵と初期の傑作「デルフトの眺望」、「ディアナとニンフたち」

の3枚がこの美術館にあります。


フェルメールについてはこちらを
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB

8月27日(日)マウリッツハウス美術館は日曜日は11時開館なので 午前中はフェルメールのふるさと、デルフトを

見に行きました。ハーグからは電車で20分弱の小さな町です。フェルメールが「デルフトの眺望」に描いた景色を見て

みたいという夫の希望で駅から町の南端にある川の方へどんどん歩いていきました。日曜日の朝の町は静かです。運河沿いに

たくさんのボートが係留されていました。家族総出でボートの掃除をしている人あり、楽しそうにボートの甲板で朝ごはんを

食べている人あり。このあたりからあの風景を描いたのでは?と思われる場所に来たのでボートの掃除をしていた女性にたずねて

みましたが、、、まず「vermeer](フェルメール)の発音が通じません。「ほら、あのマウリッツハウスに絵がある、、有名な画家で、、

あのヨハンネス、、」とヒントを言いますが、、結局オランダ語の発音は「フェルミイーヤ」みたいな感じでした。

「あの眺望はここからの景色を描いたもの?」と聞いているのに「あなたはよく知ってるわね」とほめられてしまい

真相は判明せず。もっとも今では当時はなかった高い建物がたっているので フェルメールの描いた風景がそのまま

あるわけではないのです。夫は「新教会の位置からするとここのはずだ」と申しております。写真の真中より少し

左にあるのが新教会。新教会と言っても14~16世紀に建てられたものです。ちなみに旧教会は1200年ごろの

建築だそうです。



さて午後からはハーグにもどり マウリッツハウス美術館へ。駅のインフォメーションでどのトラムに乗ったらよいか

たずねたところ「知らないわ。歩いても10分よ。歩いて行きなさい。」と言われてしまいました。

そう言えばここからブリュッセルに行くのにタリスという特急に乗るつもりで切符を予約しようとした時も窓口の女性に

「タリスなんか乗る必要ありません!時間的にそんなに変わらないのに普通の電車より11ユーロも高いんですよ!

普通の電車で行きなさい。」と言われてしまいました。「こういうところがいかにもDutchだなあ、、」としきりに感心する夫。


もちろんマウリッツハウスには歩いて行きました。建物は17世紀に建てられた個人の邸宅ということでこぢんまりしていますが

所蔵作品はすばらしいものばかりです。フェルメールブームということで連日日本人観光客が押し寄せている、、と聞いていた

のですが この日はすいていてゆったりと絵を見ることができました。やはりまずフェルメールの絵のある部屋を目指す私たち。

青いターバンの少女はあのあどけない瞳でじっと私たちを見つめるのでした。2000年に大阪で見て以来の再会でした。



この翌日からベルギーで4日間をすごし9月1日にアムステルダムにもどってきました。午後からはまずゴッホ美術館へ。

入場料10ユーロ、写真もビデオ撮影も禁止です。マウリッツハウスではどちらも自由だったのに。美術館でなぜ写真を

とらなければならないのかという疑問もありますけれどね。日本の美術館ではたいてい禁止されていますし ロシアでは

たしかビデオ撮影はお金を払えば許可されたような気がします。ゴッホ美術館なのだから さぞかしたくさんゴッホの絵が

あるだろうと期待したのに意外に絵が少ない、それに一番見たかった「アーモンドの枝」が展示されてなかったのには

がっかりでした。ゴッホの手紙が展示されたコーナーがありましたが まあ驚きました!弟のテオに宛てた書簡集が

有名ですが それ以外にも友人の画家などにあてて恐るべき量の手紙を書いているんです。筆まめというべきか? 

この日はレンブラントの工房のあったレンブラントハウスにも行ってみました。

さて9月2日、B&Bから歩いてすぐそばの国立博物館へ開館と同時に入館。入場料はやはり10ユーロ。クレジット

カードで払えました。写真撮影可。まずフェルメールの絵を見に行きます。この「牛乳を注ぐ女」は私はフェルメールの

絵の中では2番目にすきな絵。この他に「小路」「青衣の女」「恋文」と全部で4枚フェルメールの絵があります。

開館早々でだれもいない静かな部屋での贅沢なひとときでした。



こちらはレンブラントの「夜警」。大きくて迫力のある絵です。大きさがわかるように絵の前に立つ私。

絵の前にいた職員の女性がしきりと手で合図をするので 写真禁止なのかと思ったら 「smile!」と

言っていたのでした。それでsmileしております。



ただ国立博物館は修理中ということで展示品はいつもよりずっと少なかったそうで一部はスキポール空港で展示している

とのことでした。肖像画が多いのですが こんなご馳走を描いた絵もたくさんあります。




この他にブリュッセルでは桂子さんの案内で オルタ美術館にも行くことができました。アールヌーヴォー建築の父、

ヴィクトール・オルタの住宅だった建物で階段の手すりからドアの取っ手までなにからなにまで優雅で美しい!
様々な名画を続けてみたわけですが 目に残るのはやはりあのフェルメールの青い色です。






西田さん、おめでとうございます。

2006年09月27日 | 近況
今枝です。
お孫さんが次々と生まれてこられるなんて、夢のようですね。
不妊症の人も多い時代なのに。
孫ができないと本物のジジイ、ババアにはなれないんですってね。
早く本物になりたいわ。

我が家には4人目の子供ができてしまいました。
娘2人、犬のあっくん(昨年17歳で死亡)、そして義父。
朝6時にベッドから起こしてオムツ交換や着替えから始まり、夜の入浴(毎晩・・ショートの日も。お風呂は死ぬまで入りたいとか。入浴の効果は計り知れないと言われます)薬を飲ませ、ベッドに入れるまで、専属のヘルパーになりました。
週2回は日帰りショートステイで3食食べさせてもらうし、必要に応じてヘルパーさんが家事手伝いに来てくれますが、絶えずピッタリくっついている感じ。
娘が「え~!?おじいちゃんの○○○見たの?」って聞くので、「うん、慣れちゃった!」という会話です。腰痛に悩まされて、これではいけないとヘルパーさんにやりかたを聞いたり、コルセットして起こしたりと研究中です。腰痛で仕事をやめるヘルパーさんは多いそうですね。特に骨粗鬆症の年代にはきついわ。

25日はまたパンを作りました。
セミハードブレッド(手前左)、デコレーションサンド、チーズスティックです。
甘くなく、サラダやハムなど挟むとおいしい。
午後から作りましたが、午前中にホームベーカリーもセットしておいて、食パンが同じ頃焼き上がり(4時間25分)食べ比べてみましたが、なかなかいけます。
夜予約できるので甥の家族(小さい子供が3人いる)でも愛用しているようで、忙しい奥様に代わって、甥が粉などセットするそうです。
さて来月のメニューは・・・編みパン、調理パン、楽しみです♪
家でやるので、途中で義父にお茶を持っていったり、自由がききます。
お年寄りには定期的な水分補給が大切だそうで、今日も抹茶とお菓子を持っていきました。

外は秋晴れで気持ちいい日です。
気分は・・・なんだか眠い・・・







三田、西田です。

2006年09月23日 | 近況
 随分ながい間、メールもブログも拝見オンリーで、夏から秋へと季節は変わってしまいました。海外の特派員さんや、まさかの男性からのスイーツのフォトなど楽しくみせてもらってます。
 うちは、息子のお嫁さんがなんと悪阻(つわり)がひどくて、実家で休養中です。またしても主婦業にいそしんでおります。
 9月になれば高校の授業も始まるし、いろいろと発表会もあるしで、ちょっと大変です。17日にも大阪で演奏会がありました。台風13号が接近していたあのややこしい日でした。私は三味線でしたが、曲が始まって2,3分で糸がプツン!!!きゃーーー。どうしようもなく糸無しでバチで弾く格好だけで通しました。
 明日(24日)も神戸東灘のうはらホールというところで、演奏会があります。お近くの方はどうぞいらしてください。
 10月には三田の天満神社で観月会があります。月を愛でる会なので、灯かりはろうそくで、演奏者の顔なんかぼやーーっとしか見えません。ろうそくのススは飛んでくるは、わずかな光をめがけて虫は飛んでくるはで、ちょっとえらいことの演奏会ですのよ。
 11月には三田市の文化祭というのがありまして、コスチュウムを黒のブラウスにキンキラキンのボレロをつけて出ようということになってます。すっかりオバサンの域です。
 また同じく11月に宝塚でも文化祭があります。これはパープルのブラウスです。少しだけ、キラキラがついてます。
 10月の下旬か11月の上旬には娘の二人目が産まれてきますので、オバアチャンの役目も果たさないとダメです。そうこうしているうちに息子の子供も出てくるだろうし、、、
 ここ1ヶ月くらいでドッと歳を重ねたような気分です。
 皆さんの投稿文を指をくわえてうかがってます。
 
     朝夕は寒いくらいの三田からでした。

ベルギーチョコレート

2006年09月18日 | 近況
世戸です。

ベルギーのグルメ報告が盛り上がっているので、ベルギーチョコレートに関する
我家の写真ファイルと各社ホームページURLを紹介します。

先ずは、老舗はサブロン広場にある「ヴィタメール」で、創業以来店舗展開を
回避していたのですが、日本出店だけは例外となったようです。


ヴィタメール

同じサブロン広場内でヴィッタメールの真向かいに店を構えるのが「ピエール
マルコリーニ」で、これも日本に出店しているそうです。


ピエールマルコリーニ(1)


ピエールマルコリーニ(2)

最後に、ベルギー第二の都市アントワープに店を構える「デルレイ」。
表参道ヒルズに出店しているそうです。


デルレイ


下記が各社のホームページです。

写真を見るだけで、口の中が甘くなるのでそれで満足するか、
外食費を節約して日本のお店を訪ねるか、思い切ってベルギーの
本店にいってみるか、さてどうしますか・・・

http://www.wittamer.jp/index.html

http://www.pierremarcolini.jp/

http://www.delrey.co.jp/


魅惑のお菓子

2006年09月18日 | 旅行
服部です。食べ物話ばかりで なかなかオランダの美術館の話になりませんが やはりベルギーに行ったらお菓子のお話をしなくては。チョコレートが有名ですがそれ以外にもおいしいお菓子がいっぱいあります。

8月28日午後桂子さんのご案内でブリュッセルの町を歩きました。グランプラスの近くのカフェで休憩。今回絶対に食べてみたかった「ブリュッセル風」ワッフルを食べることができました。日本で「ベルギーワッフル」と言われているものとは違って 外側はカリッとしていて中はふんわり、バターの香りも香ばしく、あまり甘くない生クリームとイチゴを添えて。しみじみ幸せになるおいしさ!夫はベルギービールを。甘いものには全然興味のない夫は生クリームに恐れをなして食べたがりません。



こちらはいわゆる「ベルギーワッフル」です。これは「リエージュ風」なのだそうです。「ワッフル」と呼んでいますが 本来は「gaufres de Liege」、ゴーフルと聞くと風月堂の缶が頭に浮んできます。あのゴーフルとこれはどういう関係なのでしょう?



グランプラスの周りにはゴディバ、レオニダスを始めチョコレートのお店がいっぱいありました。それぞれショウウインドウのディスプレイがとてもおしゃれ。お土産に買いたくなります。私としては日本のデパートで売っているような有名なお店のものより 田舎で職人さんが一人で作っているようなのが買ってみたかったのですが桂子さんに相談して やはり義理土産はブランドものがいいかなと夫の会社の女性たちにレオニダスのチョコレートを買いました。日本で買うことを思ったらずっと安くてラッピングもかわいいし いいお土産ですね。桂子さんは「ブランドものでなくても ベルギーのチョコはスーパーの板チョコでも充分おいしい」と言います。ほんとうにその通りでした。カルフールで板チョコ(Cote d'Or のラズベリーチョコやGallerのチョコバー)を買ったのですが これもとてもおいしくて喜ばれたお土産でした。



さて 今回私たちにはブリュッセルでのある”mission”が課せられておりました。夫の叔父が「日本では買えないから ぜひ”Mary”のチョコレートを買ってきて欲しい。」と言うのです。お店の住所を控えて来たので 簡単にみつかると思っていたのですがグランプラスから離れたところにあり なかなか場所がわかりませんでした。私は諦めかけたのですが桂子さんがフランス語で店に電話して聞いてくださり(感謝、感激!)ついにたどり着くことができました。小さいお店ですがさすがに王室御用達の老舗、高級感あふれるところでした。(値段もゴディバやレオニダスよりかなり高め)応対するのは上品な年配のマダムとハンサムな青年です。叔父と義母と母に小箱入のチョコレートを買い、こっそり自分の試食用にもナッツ入りを購入。(夫には内緒)
念のために日本でも買えるかと青年にたずねたところ「日本にもベルギーにも支店はありません。世界中でうちのチョコレートが買えるのはここだけです!」とのことでした。またそれに付け加えて(たずねてもいないのに)「日本の”メリーチョコレート”とはまったくなにも関係はありません!」と力を入れて言う彼。日本で「メリーのチョコレート」と言えば普通はあの「Mary’s」ですよね?社長がここで修行したことがある、とかなにか関係があるのかなと思っていましたが。日本人で同じ事をたずねる人がいるのかもしれませんね。



今度は南の町ナミュールのケーキ屋さんです。ブルベリー、あんず、桃、りんご、洋ナシなど果物のタルトのおいしそうなこと!




同じ店です。デコレーションも美しい! 私は右側のチョコレートとチェリーのケーキが食べてみたかったのですが、、この店に"salon de the"(喫茶室)もありましたし。しかしまだ朝の9時過ぎくらいでしたし電車の中でバゲットのサンドイッチをかじって朝食を取ったばかりでしたので残念ながら断念しました。



お菓子に関しては「監視人つき大忙し旅行」のつらさ、ケーキの取材の提案はいつも「時間がない」と却下されてしまい残念です。この監視人さん、ビールの取材には協力的なのですが 甘いものに興味がないのと妻の健康が心配なのとで(本人の弁)ケーキ屋さんには近づきたがりません。あのケーキを食べた幸運な人は誰だったのでしょう

一年前を思い出しました

2006年09月17日 | 近況
服部さんのブログは《旅行ガイド》を見てるみたいだね!何時だったか、旅行ガイドを見ていて『アッ、このレイアウト、どこか見覚えが・・・』と思って、気付きました。楽しいね、何度読んでも!

昨日は息子の卒業した高校の文化祭のバザーでした。前日にパウンドケーキを3本焼いて、昨朝、7:41の電車で京都の北区まで届けて・・。整理券を貰って、10:00~の販売を待って、手作り品を色々と買って来ました。このところ、毎日忙しくて、お当番学年の方から頼まれてたのを、もう、出すのを止めようとか思ったのですが、60才を越えられたラバディ神父様が『アフリカのプルキナファソ』とか言う国まで行かれて、現地にヴィアトール修道会が建てた学校に『体育館を建てる250万円を・・・』と言ってらしたのを思い出し、少しでも・・と思って届けました。昭和27年に京都に洛星を作られた時は、本部のカナダから沢山の浄財が寄せられたそうだから・・・。

そんな時、帰り道、『去年はどうしたっけ・・」と思って。そうそう、買いに来られなかった分、パウンドを10本も前日に焼いてとどけたな・・、そして、バザー当日は『名古屋に行ったんだ!』と思い出したの!!

小橋さんと名古屋のカテドラルに行って、服部さんに案内して貰って『愛・地球博』に行ったんだったね!懐かしいな。あれから、もう1年。早いね!!

また、もう少ししたら名古屋に行くね!

今日はカトリック草津教会の創立50周年の記念日でした。今まで尽力された、たくさんの方々こられてて、御ミサがあり、パーティがありました。記念誌も出来上がってて、私が知らない47年を垣間見ることも出来ました。感謝、感謝。

そうそう、栗東の新幹線新駅のことが、今日の夕方の田丸美鈴さんのニュース報道番組で特集されてビックリしました。知事が『凍結推進』派に変わったし、10月の市長選挙に興味あるわ。私は『新幹線新駅なんて要りません』派です。        茨木でした。

ベルギービール

2006年09月13日 | 近況
服部です。

「ベルギーと言えばチョコレート」でしたが 最近では日本でもよくベルギービールを見かけるようになりました。去年たまたまChimeyを飲む機会はあったものの 結局よくわからないままでしたが今回はお酒の好きな夫にはできるだけ いろいろなビールを試飲させようと思って出かけました。下戸の私にもあの小さなガラスビン(330ml)に入った、様々なラベルのビールはとてもおいしそうに見えます。私が飲んでみたかったのは"kriek"というさくらんぼのビール。人工的に酵母を加えることはしないで自然発酵させ 熟成させる時にさくらんぼを漬け込んでフレイバーをつけるのだそうです。

ゲントという町のお店で。上から三段、棚は全部ビール。なんでもベルギー国内には800種類以上のビールがあるとか。


ナミュールという町のカフェで。私はもちろん”kriek” を。さわやかなさくらんぼ風味でほんとうにおいしい!夫用にはカフェのマスターに「とにかく”強いの”」と注文したらこのChimeyを勧められました。それぞれ そのビール専用のグラスに注がれます。


夫の2杯目。フランス語で苦戦するも ナミュール特産ビール”La Gauloise"の注文に成功す! 


ちょうどランチタイムだったのでオムレツとサラダを注文。なんでも大盛りなので用心して二人で一人前づつです。卵3個と生クリームを使ったというオムレツ、ほどよい塩味、ふんわりとしておいしい!サラダもハムがいっぱい入っていてボリューム満天。近所の人たちが入れ替わり立ち代りやって来るにぎやかなカフェでした。マスターも注文を取ったり料理を運んだりする合間にお客の肩をたたいたり、おしゃべりしたり、握手したり、小さい子にキスしたりで大忙しです。


桂子さんに連れて行ってもらったブリュッセルのカフェ「ファルスタッフ」にて。アールヌーヴォーのインテリアが美しい素敵な店です。さてウエイターがこの不思議な形のグラスに注いでいるのが"kwak"というビール。アルコール度は8度。


必ずこの木製のスタンド付きです。左側の縦の棒の部分を手で握って飲みます。気をつけて飲まないと ビールがどっと流れ出てこぼれてしまうらしいですね。このビールのことは事前調査で知っていたのですが名前を忘れてなんと注文してよいかわかりませんでした。幸いなことにすぐそばのテーブルでこれを飲んでいた人がいたので 「あのビール!」と注文することができました。私はフランボワズのビールを飲んでみました。おいしいのですが、、アルコール度は5.7度もあり酔ってしまいました。口当たりがよいのでついつい飲んでしまう危険な飲み物です。


この店のメニュー。9ユーロで5種類のビールを試飲できるようです。この後レストランで夕食の予定だったので頼みませんでした。でも結局レストランでまた飲んだので同じこと。


夫はすっかりベルギービールファンになってしまい なんとお土産に6本も買って帰りました!(「そんな重いもの!それに日本で買えるんじゃないの?」とさんざん言ったのですが、、、)
この後オランダに行って ハイネケンを飲みながらも「なんか コクがないなあ、」とベルギーのビールを恋しがり ベルギーのビールを注文したりするのでした。「どのビールが一番おいしかった?」と聞いてみましたが「それぞれに独特のおいしさがあったので どれが一番とは言えない」と申しております。

ベルギーのビールは日本でも買うことができます。ただし値段は現地の2倍はするようです。

9月11日

2006年09月11日 | 近況
ベルギーグルメ旅行報告、楽しそうですね。

我が家でも、家族サービスに全く興味を示さない父親に愛想を尽かし、
12月にパリ・ブラッセルへ母娘での優雅な旅行計画が進行中です。

ブラッセル老舗の三ツ星レストラン”コムシェ・ソア”の予約が
取れたようで、大変盛り上がっております。

今日は5年目の9月11日、この衝撃的な日の記憶はそれぞれ違っても、
誰も忘れることが出来ない日であることは間違いないようです。

世戸


至福の昼食ーブルージュのレストラン"De Karmeliet"にて

2006年09月10日 | 旅行
服部です。美食の国、ベルギーの話の続きを。

9月8日に書いたB&Bは早々に予約したのですが 出発も間近になったある日のことブルージュの地図を見ていて B&Bのすぐそばに有名な三ツ星レストラン”De Karmeliet”があることに気がつきました。せっかくだから行ってみようという話になり 日本から電話で予約。8月29日に桂子さんと3人でブルージュに行き B&Bに荷物を置いた後 予約しておいた12時きっかりにレストランへ。

私たちが最初のお客、まず 正面奥にある庭を見渡すコーナーでアペリティフを。
(画像フォルダーの写真を見てください)
桂子さんと二人でフランス語のメニューの解読に取り掛かりましたが これが難しい!60ユーロのコースを食べる予定ですので 前菜から一つ、主菜からひとつを選ぶのですが、、さんざん迷い、英語でも質問し(「xxとはなんですか?」ばかり、でも親切に教えてくれました。)結局前菜は夫が冷製トマトスープ、私たちはトマトのファルシーなんとか(トマトに詰め物をしたものかと思ったら全然違っていましたが、、)。メインディッシュは夫も桂子さんもお魚のポワレを選んだので私は別のものにしようと「トマトのタルト」のナントカを頼んでみました。前菜もトマトなのに またトマト、それにタルトって??と疑問がいっぱいですが これも取材の一環です。何が出てくるかを楽しみに。メニューが決まって アペリティフの白ワイン(アルザスのものだったか?)がグラスに注がれると こんな美しいアミューズブーシュ(口取り)がしずしずと運ばれてきました。

ミニトマトとバジルのタルトレット詰め、いわしのマリネにビーツ、大きなスプーンに載っていたのは多分マグロ、白いカップにはムール貝と生ハム、手前の焼き菓子みたいなものはお菓子ではなくて ガーリックの効いた塩味です。

それからいよいよテーブルに案内されたのですが 真っ白なクロス、テーブルや壁際のお花のアレンジメントもスタイリッシュ、格調高いレストランです。ギャルソンたちも品が良く、私たちを迎えてくれてメニューを渡してくれた女性も背が高くて見惚れるほど美しい人でした。私は夫のしわだらけのジャケットや昨日行ったワーテルローの土がついて汚れている自分の靴が気になり始めました。(高級レストランとはいえ ランチなら気軽に行けるかなと思って来たのですが)桂子さんはきちんとしたマダム風の装い。(写真は画像フォルダーに)
前菜はまず眼福!

一番右は ピメント、なす、トマトなどのマリネーにチーズを重ねてかためたもの(まあ、なんというおいしいさ!)、上にのっていたのはアーモンドスライス。一番左がミニコロッケ、ふわっとしたチーズにオリーブなど。夫のところには深い四角いお皿の真中にこんもりとなにかが盛られたのが運んでこられました。「あれっ、スープのはずなのに」と思っていたら ギャルソンの持ってきた小さな銀のポットからトマトスープがお皿に注がれました。ちょっと面白い演出です。

夫と桂子さんが選んだお魚料理。
魚のポワレに野菜各種のソテー添え、手前の白いものはほとんどソースのようにゆるいマッシュトポテト、それに上に載っているのはなにか貝のマリネのようなものでしたよね、桂子さん?


さて私のメインディッシュ、トマトのタルトのなんとか です。この色彩はマティスの絵のよう。タルトにチーズ、肉のトマト煮を入れて上にトマトの薄切りを並べています。その上にアーモンドを散らして。タルトはまだパリっとしていて とろりとしたチーズ、煮たトマト、生のトマトが絶妙のバランス、食べてしまうのが惜しいような素晴らしい美味でした。付け合せのサラダは細く切ったレタスやサラダ菜、万能ねぎにコリアンダーの風味、ドライトマトが入っていました。あまりに感動したためか写真はピントが合っていません。



ワインとおいしい料理とすばらしい雰囲気に陶然としてきたころ デザートの時間に。まず様々なプチフールの盛り合わせと小さく四角に固めてチョコレートをかけたフランボウワズのアイスクリーム。「食べたいけれどもう食べられないわね。でもせっかくだから 一つくらいは」と私は杏のタルトレットを食べました。私はこのレストランを訪れた人の体験記を読んでいたので まだこれからデザートが運ばれてくるであろうと思っていたのですが 他の二人は信じない様子。でもやはり 来ました、魅惑のデザート!これで一人前です。
左から びわ(多分)にシャーベット、チョコレートムース、スフレにラズベリーアイスクリーム。まあ、なんという幸せ、「もう食べられないわね」はどこへやらペロリと食べてしまいました。(まあいいや、帰ったら断食でもなんでもすればいいさ!今は取材、取材!)



桂子さんは「今度は主人のお誕生日に来たいわ!」また気軽に来られるところにお住まいの彼女がうらやましい私たちでした。食後の飲み物に紅茶を頼んだらこんな鉄瓶で出されてびっくり。「日本のものですか?」と聞くと「はい、日本のです。」とにっこりするギャルソン。この日泊まったB&Bでもこの鉄瓶が使われていたし 鉄瓶を売る店も見かけたのでB&Bのオウナーに聞いてみたら 最近人気なのだそうです。「またこの鉄瓶は高価なので 高級感があるのがいいのでしょう」とのことでした。残念なことに この紅茶ははっきり言ってまずかったので 減点!紅茶にはけっこううるさい私です。すばらしいランチだったのに このお茶でがっかりでした。コーヒーを頼むべきでした。


さて優雅なランチの後でいささか気だるい気分の私たちでしたがこの後またマルクト広場に歩いて行きました。(朝は駅から修道院などを見学しながら広場まで歩いてきたのです。)夫は「腹ごなしに鐘楼(高さ83メートル)に登ってくる」と申します。私は桂子さんと母のお土産を買ったり 広場に面した郵便局を見学したり。外国に行ったら必ず見たいのが郵便局とスーパーなのですが 夫といっしょの大忙し旅行ではなかなかチャンスがありません。今回はどちらも見学できたので満足です。郵便局ではかわいい猫の切手やオランダ語のグリーティングカードを手に入れました。

4時ごろブリュッセルにもどる桂子さんと別れて 私たちはバスでダームという小さい町に向かいました。観光客でいっぱいのブルージュにくらべてひっそりと静かでした。立派な教会があります。私も「腹ごなし」に43メートルの教会の塔に登り、町を散策。古本市(もちろんオランダ語の本ばかり)をのぞいたり アントワープから来たというお年寄りの団体さんに話しかけられたり、カフェでミネラルウォーターを飲みながら絵はがきを書いたり。帰りは船に乗り 運河沿いののどかな景色を楽しみながらブルージュにもどってきました。

夕方になると日帰りの観光客はいなくなって町は静かになりました。駅からまたゆっくり景色を眺めながら朝通った道を歩いていると 夫は「やっぱりお腹がすいてきた、ビールが飲みたいなあ」と言います。私はフルーツにお茶くらいでいいなあ。結局B&Bのそばに小さいスーパーをみつけて夕食の買出しをして帰りました。ひらめの燻製とハムとチーズを少しづつ、パン、ネクタリンとトマト、それにビール。B&Bにもどると オウナー夫妻に「De Karmeliet”はどうでした?おいしかったですか?」と聞かれました。彼らは行ったことがないそうです。「それはそれは おいしかったですよ!すっかり飽食したので夕食はこれです。」とスーパーの袋を見せると 笑いながら「寒くなかったら外のテーブルで召し上がれ」とお皿やフォークを貸してくれました。人懐っこく近寄ってくるオウナー夫妻の猫たちと遊んだりハムをおすそ分けしたりしながら 優雅な庭での夕食でした。一生忘れられない幸福な一日でした。


ふくさしぼり(栗小倉)

2006年09月10日 | 趣味
今枝です。
まだまだ暑い毎日ですね。

今日は午前中町内の総会に行ってきました。
10月8日の運動会の打ち合わせが主な議題ですが、今年と来年は私が公民館の推進委員として選手集めやら進行係りで、今日は私が主役と言われて、気を使いすぎて汗びっしょりになってしまいました。半月前から準備が始まり、あとひと月は気がぬけません。

服部さんのオランダレポートの前に、またひと月も前のお話ですが・・・
お盆の来客用に和菓子を作りました。
7月に習ったので、お盆前に一人で作ったのですが、いつもはみんなでワイワイやってるうちにできちゃうのですが、この日一人で作っていたら肩がこってしまいました。ふくさの中味が余ったので、透明な容器に入れました。
おみやげに持ってきてもらった和菓子やアイスクリーム、果物などたくさんあって、余ったのですが、ふくさのまま持って帰ってもらえるし、好評でした。手作りって喜ばれるし、買うよりずっと安くできる。

画像フォルダで服部さんのご主人発見!?
白い上着の方ですね?
しっかりされた、りっぱな方だと想像します。
また次の報告お待ちしていますよ。
服部さん一人のブログにはなりませんから、遠慮なく、どんどん!どんどん!
他の方の投稿もどんどん!
なんでもいいし、短くてもね!


 ブルージュのB&B

2006年09月08日 | 旅行
服部です。

今回の旅の宿はブリュッセルで織田さんのお宅に泊めていただいた他はすべてB&Bでした。普通の家の部屋を貸し朝食だけを提供する、いわゆる民宿ですね。あたりはずれはありますが 安く泊まれることと現地の人の生活を垣間見ることができたり オウナーと話ができたりすることが楽しく 私たちはよくB&Bを利用します。今回のブルージュの宿は1838年の建物を改装したものだそうで階段を上がった中二階にバスルーム、さらに階段を上がったところが約50平米の客室です。
ベッド、ソファ、朝食用のテーブルと椅子、ティーセットと電気ポットがあって自分でお茶などが飲めるようになっています。ちょっとアジア趣味のインテリア、各コーナーの照明器具もとてもセンスがよい部屋でした。おいしい朝食付きでふたりで80ユーロ(約12000円)というのが信じられないほどの居心地の良さ。


翌朝マダムはお仕事にお出かけだそうで ムッシューのお給仕での朝食は庭のテーブルにて。手前右下の白いボウルには粒チョコ(パンにのせて食べるらしい)、紅茶用の熱湯は日本の鉄瓶に入っていました。Cote d'or の板チョコが添えてあるのが さすがにチョコレートの国ベルギー風か?パンは7時半開店の近所のパン屋のものだそうです。




翌朝バスで駅に行こうとしたら オウナーが車で駅まで送ってくださったんですよ。ほんとうに親切!オウナー夫妻は教師で学校がお休みの時だけB&Bを開いているそうです。マダムはアジアが好きでインドやアラビアには行ったことがある、ムッシューは子供時代の3年間をインドネシアで過ごして やはりアジアが好きと聞きました。オランダ人ならわかるけれどベルギー人の彼がどうしてインドネシアに? 知りたがりの私は気になって質問してしまいましたが「父は医者でインドネシアが独立した後1950年代に治療や現地の医者の教育のためにスマトラ島に住んでいた。オランダ人は嫌われたが 私たちはベルギー人なので問題はなかった。(母国語はオランダ語だけれど)姉はすっかり現地風になってしまい、帰国した時にはオランダ語で苦労したくらい〔笑)私たちはオランダ語、フランス語、ドイツ語、英語、スペイン語を話す。小さい国だからいろんな言葉を覚えざるを得ない。」とのことでした。


夢なら覚めるな!ベルギーの四日間

2006年09月07日 | 旅行
服部です。9月4日朝に名古屋にもどってきました。

8月28日11時過ぎ ブリュッセル・ミディ〔南)駅で織田(市来)桂子さんと感激の再会!すぐにタクシーで彼女のアパルトマン〔日本風に言えばマンション)に向かいました。すぐそばに大きな美しい公園があり 地下鉄の駅まで歩いて10分足らず、大きなスーパー(カルフール)はあるし とても便利な場所です。築3年とのことでとてもきれい、私たちは清潔で快適なベッドルームとバスルームを使わせていただきお言葉に甘えて3泊もお世話になってしまいました。

28日の午後と30日の午後は桂子さんがブリュッセルを案内してくれました。定番の王宮、グランプラス、オルタ美術館はもちろん、アールヌーヴォーのインテリアが素敵なカフェやマネ劇場も。日本からしょっちゅうお客様だそうで 彼女のガイド振りもまるで本職のようです。お土産のチョコレートを物色した時も 「予算がxxだったら こちらの方がおすすめ、」などと的確なアドヴァイスをしてくれて 注文もフランス語でスイスイ、楽させていただきました。

28日の夕方 仕事を終えて帰ってこられた織田さんのご案内でワーテルローを見学に。(うちの夫が行きたがったので特別にお願いしました。)その後四人でグランプラスのそばの”La Rour d'Or"(金の車輪)というビストロに行きましたが、、、「これぞ美食の国!」と納得するような美味ばかり!
小エビのコロッケ、ムール貝ワイン蒸し、鮭とタラとムール貝のワテルゾーイ(ベルギー名物のクリーム煮)、牛肉の煮込みを一皿づつ注文して四人で分けて食べたのですが量もたっぷりで とてもデザートにはたどりつけませんでした。初日からこんなにとびきりの美味を体験してしまうと 後はがっかりすることばかりでは、、と心配になりかけた私でした。

これが"waterzooi" (ワテルゾーイ)です。


ゆっくりと食事をした後 ぶらぶらと歩いてグランプラスの夜景を楽しみました。ぐっと冷えてきて私はマフラーを巻いています。トロピカルな名古屋から来たので 「これが8月?」と不思議でたまりません。

29日は桂子さんと夫と3人でブルージュに出かけました。毎回日本からのお客様を案内するのだそうで彼女はブルージュまでの回数券を持っていました!ブリュッセルからちょうど1時間の美しい町です。この日は私と夫はブルージュ泊、30日はさらにゲントという町に向かいました。

31日は早朝に織田邸を出て夫と二人でブリュッセルの南、ナミュールへ。有名な城砦からの眺めもすばらしいのですが 田舎の町の風情がとても楽しく 片言のフランス語で町の人と話したり カフェで地元のビールを飲んだり、、ここでラジオ局の人にインタビューも受けました!この日はさらにその先のディナンにも足をのばし、織田さんのアドヴァイスでタクシーを飛ばして古いお城も見てきました。
お夕食は桂子さんの手料理!ミニトマトを薄切り肉で巻いてフライしたもの、海老と野菜各種のマリネーなど心づくしのおいしいご馳走で 強行軍の一日の疲れも癒され 夫はベルギービール各種にワインも頂いてご機嫌。〔織田さんは飲めない体質だそうなのに ビールは夫のためにわざわざ買ってくださったのでした。)

夢のように楽しいベルギーでの四日間、「夢なら覚めるな!」と思いつつあっという間に過ぎてしまいました。9月1日出かける前に急いで 桂子さんのパソコンの前に座ってブログに書き込みをした後 ご出勤途中の織田さんにブリュッセル・ミディ駅まで車で送っていただきました。本当に最初から最後までお世話になりました!ありがとう!



ブリュッセルから

2006年09月01日 | 近況
みなさん、今日は!
服部和@ブリュッセルです!

28日に来て ブリュッセル通になられた桂子さんの案内で
あちこちご案内していただき楽しく過ごしています。
憧れのグランプラスもついに歩いてきました。こじんまりして

いますが 格調高く美しい広場でした。


昨日は夫と二人でナミュールという小さな街に城砦を見に
出かけたのですが なんと街角でブリュッセルのラジオ局の
記者にインタビューされてしまいました。
日本人が街を歩いていたのでびっくりしたそうです。
なぜナミュールに来たのか,日本ではナミュールは知られて
いるのかなど訊かれました。

残念ながら これから駅に向かう時間になってしまいました。
電車でアムステルダムに向かいます。


秋到来

2006年09月01日 | 近況
八月も終わり雨上がりの神戸です。
今夏の暑さは相当でしたが皆さんお変わりありませんか
ずーっとご無沙汰の齊賀です。便りの無いのは良い便りと言いますが、、、。
年明けは二人の息子の大学受験で始まりました。
結果は一人前期合格一人浪人となり、合格した子に祝杯をあげられず少し辛い春となりました。
5月はじめ兄は家から通いきれないので一人住まいを始めました。
私たちの親四人のうち三人が施設でお世話になっていると以前申し上げたと思いますが いつ誰に何が起こるかわからないからと無理やり夫婦25周年記念と旅に出ました。
織田さんのベルギーも考えましたが結局パック旅行に参加して,織田さんに会えなかったのは残念なことでしたが。
帰国後私の父が入院しました。二週間で退院と聞いていたのに三週間目で亡くなってしまいました。
元気な父でしたが母が調子悪く二人で自宅生活は無理とケアーマネに太鼓判を押され泣く泣く老健に入所したわけです。
病気はある父でしたが見守りさえあれば一人で過ごせる父を入所させあっという間にあの世に送った私は本当にすまなく辛く思っております。
同じく調子の悪い母をお通夜に連れ帰ったもののどうしようもなく無理だったので施設に送り届け急な喪主となりました。
一人っ子の上お葬式の経験もほとんど無く宗教土地柄と何も親任せだったもので年は取ってても何も分からないどうしようもないことを痛感させられました。
こんな風に年を取っていくのでしょうね
父の死後一週間目に母も入院して現在に至っております。
父の二の舞は踏むまいと一週間に二泊くらいで広島に通っています。
これからは皆さんも何か起こる年代となりつつあると思います。
どうぞお体には気をつけられて。夏の疲れもしっかりおとりください。
かく言う私は全然やせません。恐るべし中年。
           ではまた