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危険なことがわからん奴はとっとと感染しちまえ! 自分が感染しているとの前提に立って行動すること!

2020年03月31日 | 近況
のんきに旅の話をしてきましたが、志村けんの死は大ショックの服部です。
彼のファンだったわけではないけれど、「知っている人」のあっけない死が
ショックだったんです。それも70歳で。
危機感は持っていたつもりだったけれどやっぱりかなり甘く考えていました。
そしてどこか他人事という意識もあったな、、と現実を突きつけられました。

「危険なことがわからん奴はとっとと感染しちまえ!」と過激な言葉をツイッターで
発信したのは京都大学 ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授。
こちらを読んでください。




Our sentimental journey 京都へ

2020年03月28日 | 近況
服部です。
3月21日(土)倉敷の朝ご飯は倉敷人のソウルフード「ふるいち」の
ぶっかけうどん。讃岐うどん系のしこしこうどんにネギ、揚げ玉、海苔、
うずらたまご、大根おろしにワサビ、ちょっと甘口のたれで。シンプルですが
飽きない味です。
運河沿いの道をぶらぶらして名残を惜しんでから京都へ向かいました。

この日は東山五条の河井寛次郎記念館を訪ねる予定なのでホテルに
車を置いてまず清水寺に行ったのですが、「今なら京都はガラガラや」と
京都の知人が言ってたのに、、連休の土曜日のためか人が多くて驚きました。
三寧坂です。着物を着た若者が一杯。

レンタル着物の店がいっぱいあり、着物を着てデートしてるらしいです。
コロナウイルスの心配はどこへやら。
そういう私たちだってこんなところに来ているわけですが、、

清水の舞台です。ここに来るまでに一回だけ中国語が聞こえました。

民芸運動のリーダーの一人だった河井寛次郎の仕事場と自宅の住居を
公開しているのが「河井寛次郎記念館」です。彼の使った登り窯も残されて
いて、作品ももちろん展示されていますが、住んでいた家をそのまま見る
ことができるのも魅力。重厚でシンプルな家具や生活道具、すっきりとした
なんとも居心地のよい空間です。

ここの館長さんは夫の大学時代からの友人で、彼の信楽の工房にもお邪魔した
ことがありますが、この日は京都に来ていらっしゃるとのことで会うことができ
ました。生保会社のエリート社員から陶芸家に転身したという変わり種です。

せっかくこの時期に京都に来たんだから夜桜でも見に行こうということになり
この後八坂神社を抜けて円山公園までぶらぶら歩いて行きました。
まだ咲いてない木もありましたが 一部はもう満開で美しく、人が少ないので
ゆったりとそぞろ歩きを。


22日(日)は早起きして、小走りに急ぐ先は?
ここです!
イノダコーヒー本店です。7時開店で7時20分に行ったのに!
もう満員で15分待ち。ここに来るのは11年ぶり。変わっていて当然
ですが一番驚いたのは全店禁煙になっていたこと。以前は入り口は
喫煙室で常連のおじさまたちがコーヒーを飲みながらタバコを吸って
いて、禁煙席は中のドアの向こうの庭の見えるスペースにありました。
今回は入り口の広いサロンのテーブルに座って名物の「アラビアの真珠」
というコーヒーとからしの効いた卵サンドでゆったりと優雅な朝ご飯。

ホテルへの帰り道に寄ってみた六角堂です。しだれ桜を見ながら。


この後、下鴨の夫の友人宅へ。早期リタイアして京都の生活を楽しんで
いた人ですが、現在は珍しい難病で自宅療養中。お部屋に三脚が用意
されていて 奥様と4人で記念写真を撮ろうと言われ、ドキリとして
しまいました。夫たちは70歳を越えてそれぞれ健康に問題もあり、
京都は近いとはいえ、私たちもなかなか気軽には来られないし、
今度はいつ会えるのか、と寂しいことも胸を去来します。
若い頃の「また 今度ね!」には無限の可能性がありましたが、ここまで
来ると「命あらばまた他日!」と言う感じ。

この日は義母がショートステイから戻って来る日なので絶対に遅刻
できません。京都から名古屋まで車で2時間ほどですが、余裕を持って
帰りたいので ここから錦小路に急ぎました。恒例のお買い物で
だいたい買う店も、買うものも決まっていたはずが 錦も変わって
いて、(3年ぶりくらいですが)食べ歩き用に串に刺した食べ物やアイス
クリームを売る店やカフェが増えました。いつも寄っていた鯖寿司
の「伊予又」もこの地方も特産品を売るアンテナショップになっていて
ビールサーバーがあったり、、あのレトロな店が懐かしいけれど、これも
時代の流れで仕方がないことなのでしょう。でも私たちにとっての錦市場
の魅力は薄れてしまって残念でした。

3時前に無事帰宅。
ショートステイからもどった義母と京都のお土産で夕ご飯。
丁度庭の山椒に葉が出てきたところなので粟麩と蓬麩で
田楽にしました。料亭ならお上品に一人二切れ、というところでしょうが
家ではたっぷりと。春の味と香りを満喫しました。








Our sentimental journey 倉敷へ

2020年03月26日 | 旅行
服部@名古屋です。
毎日毎日新型コロナウイルスの話ばかりで心配なことが多く、楽しくない春。
学校は休校、ジムは閉鎖、イヴェントや行事も中止ばかり、とうとうオリンピ
ックも延期になりましたね。息苦しい毎日ですが、それでも桜は咲き出し、
我慢できずにお花見に出かける人も多いようですね。

こんな時期ですが19日から22日まで夫婦でセンチメンタルジャー
ニーに行ってきました。

昭和の終わりごろ、夫の転勤で倉敷に引っ越し、小学校と幼稚園の
子どもを育てながら三年半を過ごしました。夫は化学会社の新入社員
としての初めての赴任先が水島工業地帯にあった工場だったこともあり、
倉敷は特別に懐かしい町です。

倉敷は白壁の街並みや大原美術館で有名な観光地として知られていま
すが南部には水島工業地帯があり、天災が少ないこともあって大規模な
化学工場がたくさんあります。多くの従業員のために公園、プール、テニス
コート、スーパーなどのある大きな社宅団地が作られていて、私が3年半を
過ごした社宅もその中にありました。

3月19日(木)白壁の家々と運河、変わらない美観地区の風景です。
天気がよかったのと連休だったせいかけっこう観光客もいました。


岡山市に住んでいる中学時代の友人が来てくれていっしょに
大原美術館へ。久しぶりにあの「受胎告知」の絵と再会です。
工芸館のバーナード・リーチや濱田庄司の作品、倉敷にいたころ
何度も見に来ていたものです。展示室もそれぞれ工夫が凝らされて
いて、、今回は棟方志功の展示室に感動!棟方の版画はあまり
好きじゃなかったのに、、壁には丸太が埋めこまれていて彼の版画
にピッタリ。
夕食はアイビースクエアのお店で夫の同期のTさんご夫妻と
一緒に。倉敷時代は二家族で大山でキャンプしたこともあり、
私たちが名古屋に来てからは蓼科に来てもらっていっしょに上高地に
行ったりしています。Tさんはワンゲル部出身で独身の頃の夫の山登
りの先生でもあったそうです。

20日(金)は宇野港からフェリーに乗って直島へ。
久しぶりに見る海の景色は最高!

直島はアートの島として最近注目されているところです。
今回私たちが行った地中美術館の他にモダンアートの
美術館がいくつもあり、外国からのお客様も多いです。
地中美術館は安藤忠雄の建築とモネの睡蓮で知られて
います。なぜ「地中」美術館かというと景色を損なわないように
建物が半分地下に埋め込まれているからだそうです。
ここは予約制で15分刻みで8名ずつ入館します。前もって
ネットでチケットを買って予約して行きました。

コンクリート打ちっぱなしの建物の中は面白い構造になっていて、
カフェもあり、ここから海の景色が楽しめます。
モダンアートはあまり得意ではない私ですが、ここに展示されて
いるウォルター・デ・マリア(今回初めて見ました)の作品が素敵
で感動!礼拝堂のようです。ずっとその場に座っていたくなりました!

宇野港に戻り、遅いランチは古い漁師町の下津井で特産のタコ料理!
プリプリのタコのお造り!

タコ飯も美味!

直島にも観光客がけっこういましたが、この店も満員でした。

この後、かつて住んだ社宅を見に行きました。人数は激減したそう
ですが 建物はまだ残っていて住んでいる人もありました。子どもたちの
通学路や梅林、畑を作ったり、バーベキューをしたりした中庭も懐かしく
眺めました。

夕食はやはり夫と同じ会社に勤めていたMさんご夫妻と美観地区の居酒屋
で瀬戸内の魚料理。鰆が最高!
この社宅で知り合って親友になったM夫人は彼らが名古屋に赴任した時には
私に生け花を教えてくれました。
私も彼女も引っ越しが多かったのですが 子供が小さかった時からの
長いお付き合いは30年以上になりました。前回東京で会ってから6年ぶり
の再会です。
長々と食事をしておしゃべりして、それでも名残が尽きず、路地の奥にある
老舗のジャズクラブへ。

夫は新入社員のころこの店に通っていたそうで、実に50年ぶりの再訪
とのこと!スタンダードナンバーを聞きながら倉敷の夜は更けていきました。