楠ヶ丘25P仲間の広場

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Масленица и блины

2007年02月23日 | 食べ物・料理
服部@名古屋です。

今年のイースターは4月8日だそうですが そのイースターの7週間前はロシアではМасленица(マースレニツァ)です。キリスト教が広まる前のスラブ民族の春を迎えるお祭りが起源だそうで この時期まだロシアでは雪があって寒いのですが外へ出て盛大にお祝いします。大きな藁人形を立てて 雪合戦やそりで遊び 歌い踊り、ご馳走を食べて大騒ぎ。最後にこの人形(たいていは女の形)を焼いて冬を送り 春を迎えます。ロシア正教ではイースターの前に長い精進期があって この間は肉、魚、卵、乳製品は食べられません。この厳しい精進の前においしいものをたっぷり食べておくという意味もあってマースレニツァにはご馳走を食べるようですね。この祭りに欠かせないご馳走のひとつがблины(ブリヌィ・ロシア風クレープ)です。

2月18日(日)マースレニツァの最後の日にこのブリヌィを焼いて食べる会を企画、ウクライナ人のナージャさんを先生に総勢20人でブリヌィを焼きました。小麦粉、砂糖、塩、ベーキングパウダーを混ぜて さらに卵、生クリーム、牛乳を少しづつ混ぜて生地をつくります。ダマにならないようにいったんこれを漉してから薄く油を塗ったフライパンに薄く広げて焼きます。生地の作り方にはイーストを使うもの、ヨーグルトを混ぜるものなど様々な方法があるようです。



基本のブリヌィは丸い形です。これは太陽のシンボルだから。せっかくの丸い形をナイフで切ったりするのはご法度で手で食べるのがよいのだとか。
右側は豚の挽肉と玉ねぎのみじん切りをいためて塩コショウしたものを中にいれて長方形に折りたたんだものです。これをさらにバターでこんがり焼いて食べます。シンプルですがとてもおいしいもの。高カロリー食でしょうけれどねえ。
ナージャさんは「ブリヌィをおやつに食べるのだったら フライパンの中にブリヌィが泳ぐくらいたくさんバターを入れて焼いて たっぷりお砂糖をかけて食べるとほんとうにおいしいわよ~~」と言うのですけれど、、試してみる勇気がありません。



ブリヌィの折りたたみ方もいろいろです。葉巻のように巻くのもありますし このように円錐形に折りたたむものも。これはサワークリームとロシア製のブルーベリージャムを添えたもの。



「ご馳走といっても クレープ程度ですか?」なんて聞かれてしまいましたが ブリヌィは添えるものによっては大変なご馳走にもなります。高級なレストランではキャビアを添えて出てくるし スモークサーモンやニシン、ハム等を添えて食べるものもあります。

Первый блин всегда комом.(最初のブリンはいつもうまくできない)、つまり何事も最初は上手くいかないものだ、ということわざにもなっているくらいポピュラーな食べ物でもあります。たしかに慣れないうちは分厚くなってしまったり、焦がしたり、裏返す時に失敗したりとなかなかうまく行きませんでした。上手になったころにはもう生地がなくなっていました。

サンクトペテルブルクに行った時 地元の人に教えてもらって 安くておいしいというブリヌィ屋に行ったことがありました。入り口に"Быстро,дешево,вкусно"(速い、安い、うまい!)と書いてあり、中には行列ができていました。カウンターには美人のお姉さんがニコリともしないで立っていて、「えーと、キャベツ入りひとつと紅茶を」と恐る恐る注文すると "Все ?!"(「それで全部?!」)と切りつけるような厳しい声で一言!ああ、恐い。フォークも紅茶のカップもプラスチックで安っぽい店なんですがいためたキャベツが入ってるだけのこのブリヌィがおいしい!値段もひどく安かったと思います。お試しにひとつだけ注文したのですが もっと食べたくなってまた行列に並びました。お姉さんは恐かったけれど。





只今、入院中

2007年02月17日 | 近況
世戸です

久しぶりに、書き込みします。

1月22日、通勤途上で右足ふくらはぎを肉離れ、これによる大量の内出血が起きため、それ以来入院生活が続いています。
腫れが落ち着くのを待って、ふくらはぎ内の残留血液を取除く外科手術を施し、木曜日からは歩行リハビリに入りました。

病室には通信ケーブルはないので、インターネットへアクセスが出来る通信サービスに加入、会社とのメール送受信は可能となり、病室から細々と仕事もしています。

それでも時間を持て余し、仕事用に購入したラップトップパソコンをフル稼働、見逃したDVD映画鑑賞や読書三昧でしたが、来週の月曜日からは漸く半日出社の予定です。

手元にある雑誌の中に、先日話題になっていたベルギーの国内分裂報道についての記事が掲載されていましたので、抜粋ご紹介します。

僕も、6年以上勤務した思い入れの強い国なので、気になる話です。

(以下抜粋)

「本日、フランドル地方が独立を宣言しました。」
昨年12月14日午後8時、ベルギー国営テレビ局フランス語放送(RTBF)でゴールデンアワー特別番組から流れたアナウンスです。その後、国王亡命の話、国境で検問開始したとの情報や、画面には黄色に黒のフランドルの旗を振り、独立を喜ぶ群衆の映像も登場したそうです。

「これはフィクションです」とのテロップが出たのは、放送開始から40分後のことで、その後の同局の調査では89%の視聴者が、内容を真実であるかもしれないと考えたそうです。
番組の意図はベルギーの二大語圏ワロン(仏語)とフランドル(オランダ語)両地域の対立が最近再燃し、フランドルで独立を求める声が高まっていたために、番組は「ベルギーの将来についての議論を喚起する」のが目的だったそうです。

1830年独立のベルギーは、建国後の長い間事実上の公用語は仏語。言語の平等をうたった最初の憲法が、仏語で書かれたことをとっても、不平等は明らかでした。第一次世界大戦では、ドイツ軍に立ち向かった兵士の八割がフランドル人でしたが、将校の大部分はワロン人で、命令はすべてフランス語でした。フランドル地域は広範な自治、つまりベルギーの連邦化を早くから求めてきました。対立は時に尖鋭化し、60年代には名門のルーバン大学、ブリュッセル大学などで両地域の学生が衝突、広範な学生紛争に発展したために、両大学はワロン・フランドル系の大学に分裂し、現在に至っています。

これに応じ、政府も徐々にベルギーの連邦化に傾いていきました。62年には両者の言語境界線を最終確定し、数回の憲法改正で93年までにベルギーは「連邦国家」に変身しました。連邦政府の権限分野は外交、防衛、司法、治安など。一方、各地域・言語共同体政府には、産業・環境・教育など社会政策全般で広範な自治権があたえられました。

最近、フランドルの極右民族主義政党フラームス・ブラング(フランドルの利益)が大躍進し、穏健派の政党も含めて対ワロン敵愾心がはげしくなり、「ワロン人でオランダ語を理解できるのは19%だけだが、フランドル人は59%が仏語をしゃべれる」といった調査結果が改めて問題視されています。

これらの動きの背景にあるのは両地域の経済格差です。04年の一人当たりのGDPは、フランドルの約2万7千ユーロに対し、ワロンは約2万ユーロと大きな隔たりがあります。経済・産業の中枢部を担っているのは政治的発言権が低いオランダ語地域なのです。「ワロンの怠け者を養うのはいやだ」というのは、フランドルでよく聞かれる言葉です。

(以上、雑誌「選択」2月号より)

ベルギーが抱える問題は、ある意味で欧州各国に共通する部分があり、ひとつは石炭から石油へのエネルギー転換で地域経済力に逆転現象が生じたこと、もうひとつは政治的に線引きされた国家や連合体が、旧ソ連の崩壊後、民族主義に基づいた独立への動きが強くなっていることがあると思います。

冬のつけもの

2007年02月14日 | 食べ物・料理
今枝です。
暖かい冬ですね。

蕪をもらったので、しょうゆ漬けにしました。
ほんとは小かぶで作ると、やわらかくておいしいのですが、おおきな蕪でスがとおっていました。



このレシピは大学時代、母に揃えてもらった、世界文化社のクッキングブックス(
全16巻)12の「つけものと郷土料理」にあります。
同年代の友達は結構持っている古い本ですが、何度も作ったお気に入りレシピです。



<小かぶのしょうゆ漬けの材料>
小かぶ・・・・・4個
塩・・・・・・小さじ2
つけ汁(ひと煮立ちさせてさます)
   しょうゆ・・・2分の1カップ
   みりん・・・・大さじ4
   酢・・・・・・小さじ1

右は金山寺味噌で、麹の袋に書いてあるレシピを見ながら初めて作りました。
秋の終わりにとれた茄子を塩漬けにしたものと、ごぼう、にんじんが入っています。
やわらかいので、介護食向けです。


雪とアリデイ

2007年02月09日 | 近況
織田です。暖冬で終わるのかな・・・と思っていたら、今朝は雪が降りました。朝、明るくなるのが遅いので、カーテンを開けずに電気をつけてテレビをつけるのが日課です。ベルギーの天気予報を見たら、「雨・気温7度」とのことだったので、今日は雨なんだ・・・と思っていたら、カーテンを開けてビックリ、一面雪景色でした。昨年は寒かったけれど雪は降ってもあまり積もることはなかったので、珍しい景色だと思い写真に撮りました。



これは我家の裏の公園に至る遊歩道です。



これは、スヴラン通りに面している我家から通りを写したものです。トラックがいくつか止まっている分離帯のところで今日はマルシェ(市場)が出ているのですが、月に一度ここで骨董市(ガラクタ市?)があり、運がよければ(?)結構良いものが安く買えます。私は大好きなのですが、夫は「またボロ市に行くの?」と冷ややかです。

さて、突然ですが、皆さんジョニー・アリデイという歌手をご存知でしょうか?知っている方は、かなりの音楽通だと思います。私はこちらに来るまで全く知りませんでした。しかし、こちらに来て半年ばかり経った頃、どのチャンネルもよく理解できない(英・独・仏・蘭・伊)ながら、歌番組だけは見ていても楽しいので、「スター・アカデミー」という一昔前の「スター誕生」のような番組を見ていました。その番組にはプロの歌手もゲスト出演するのですが、何だかオジサン歌手が出てきたな・・・と思っていたら、その声と歌の素晴らしさにびっくり!何て力強い素敵な声なんでしょう!何て歌が上手なんでしょう!この人は誰?・・・と一目惚れ(?)してしまったのが、このジョニー・アリデイです。



シルヴィー・バルタンのご主人だった人・・・と言えば、大体いつ頃から活躍している人か分かるでしょうか。その頃からずっとフランスで活躍し続けている歌手で、64歳の今も各地で何万人も集めてコンサートを開いていますし、新しいCDが出ると、必ずヒット・チャート一位になります(近くのカルフール調べ)。フランスの歌手ですが、お父さんがベルギー人だったこともあり、ベルギーでも絶大な人気を誇っています。日本で言えば、(ちょっと違うかもしれませんが)沢田研二が一時の人気を保ったまま、体を鍛え、声を鍛え上げ、今もヒット街道をひた走っている・・・感じかも知れません。欧米(特にフランス語圏)では超有名人ですので、ご紹介した次第です。アリデイはフランス語でHALLYDAYと書くのですが、うっとり聞いている私の傍で、ふくよかになったお腹を強調しながら、「自称ハラデー(?!)なんて言って、夫は雰囲気を壊しますが・・・

興味をもたれた方は、You Tube - Johnny Hallydayで検索して頂くと、若い頃の歌も、現在の歌も何曲か映像と共に聴くことができます。

では、また!

ベルギーあれこれ

2007年02月04日 | 近況
織田です。ベルギーに来るまでこの国のことはほとんど何も知らず、言語は仏語らしい・・ということだけでした。こちらに来てすぐ、その意味を思い知りました。イノというデパート(?がつきますが・・)へ行って、もちろん仏語は話せないので、英語で品物の場所を尋ねたら、年配の女性店員は理解できなかったらしく、フランス語で人を見下げるように(!)「あなた、フランス語が話せないの?}と言ったのです。その言葉だけは悔しいかな分かりました。悔しさと共に、やはり仏語を勉強しなければ・・・と思った瞬間でした。(英語が話せる人も多いですが・・・)

ベルギーの公用語は仏語・蘭語・独語で、北半分は蘭語圏、南半分は仏語圏、ドイツと国境を挟む地域は独語圏となっています。首都ブリュッセルは、地域的には北の蘭語圏に入るのですが、この街だけは仏語と蘭語混合地域で、街のいたるところ、表記は両方の言語で書かれています。全く違う二つの言語、もちろん、両方理解する人も沢山いらっしゃるようですが、同じ国でありながら、お互いの言葉を理解しない人も多いようです。言語が違う地域をベルギーとして結び付けているものとは、一体何でしょうか?他にも色々あるでしょうが、先ず思いつくのは、カトリックの存在です。どこを訪れても、聖母教会があります。そこで、私の大好きなブルージュの聖母教会をご紹介します。



高さ122m、13世紀に建造され、15世紀まで何度か改築されたという教会です。ブルージュという中世そのままの街並みが残された街の中で中心的役割を果たしているように思います。ここには素晴らしい宝があります。ミケランジェロの聖母子像です。イタリア以外に存在する希少な彼の作品です。



上の二つの写真は、私の作品ではなく、家に遊びに来てくれた人の作品です。芸術家の彼女は、写真も本当に上手です。教会の中での写真撮影は許可されているのですが、私は何となく聖母子像を撮るのにためらいがあり、12回も訪れているのに写真がないので、拝借しました。こうして紹介するときには、やはり写真があった方が良いですね。



これは像だけを拡大したもの。同じく別のお客様の作品です。

次に、やはり王室の存在がベルギーを一つの国にしているのだと思います。独立して177年目の国ですが、王室の方々のご活動を紹介する番組があったり、様々な式典や行事に参加される時には、ベルギー国旗が振られ、大勢の人が拍手で迎えています。次の写真は、普段生活されているラーケン王宮の写真で、ここは年に一度、2週間ほどその見事な植物園が公開されます。その時に撮った写真です。ブリュッセル中心部にある王宮は執務をされるところです。それから、その植物園の温室の中にあった見事な八重のツツジの写真です。





日本は日本語という一つの言語でお互いが理解し合え、世界で一番古い歴史をもつ皇室という存在があり、意識する、しないに関わらず初詣、お宮参り、様々なお祭りなど神道の文化の中に生きていて、日本人としてのアイデンティテイーが保たれていることは、何と有難いことかとつくづく思います。では、また!


小林和男講演会のおしらせ

2007年02月02日 | 近況
服部@氷のような風の吹く名古屋 です。

もとNHKモスクワ支局長、NHK解説委員、で現在作新学院大学教授の小林和男さんの講演会があるのでおしらせします。関西方面の方 ぜひおでかけください。
主催は ロシア語通訳協会関西支部です。

日時: 2月28日(水)午後2時30分~4時30分

場所: エル大阪(大阪府立労働センター)南734号室
    住所:〒540-0031大阪市中央区北浜東3-14
    電話:06-6942-0001
    アクセス:京阪電鉄「天満橋」駅又は
    地下鉄谷町線「天満橋」駅徒歩5分

会費: 2000円

申し込み:渡辺様までメールで nabesan4@bea.hi-ho.ne.jp
     期限は2月23日まで

講演のテーマは「ジャーナリズムと語学」
「語学で失敗もし、得もしました。言葉から広くロシアの裏話や、メディアが見落としている殺人事件などについてもお話しましょう。」とのことです。