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『猫と五つ目の季節』山田稔明 を読む。
日々のささやかな風景を鋭い感性で繊細に描写した歌詞で定評のあるシンガーソングライター・山田稔明(ゴメス・ザ・ヒットマン)が、
瑞々しい文体で愛猫と暮らした13年を魂込めて綴った自伝的初小説。
ということなのだけれど、
実を申せば、山田さんの音楽を聴いたことがない。
スミマセン。
ではなんで、手に取ったかと言えば・・・
この本の中にも出てくるミュージシャンのファンだからでありまして。
毎日アップされるインスタグラムで山田さんを知り、
この本の発売を知り、
さらにその方が出てくる、と知ったので、ということですね。
(本の中ではエンケンさんとして登場していました)
ふむふむ、と読み進めていき
途中からボロ泣きしました。
猫飼いのかたなら、きっとわかってくださるはず。
山田さんの愛猫ポチが腎不全になり、その闘病を綴ったあたりから
私の先代猫を思い出しまして。
あの時の、つらい思いや、
何もしてあげられない歯がゆさや
この治療をすることは、本当にこの子のためになるんだろうか、
苦しさをのばしているだけなんじゃないだろうか。
いろんな思いが押し寄せてきたことをまた思い出して。
そんな中で、こんな文章に出会いました。
腎不全の猫ってね、痛いとか苦しいっていうのはあんまり感じないらしいよ。
意識がぼんやりして、『なんだか変だなあ』って思うらしいの。
だからポチちゃん、きっと
『最近パパ、ずっとそばにいてくれて変な感じだけど嬉しいにゃあ』
って思ってるよ」
もう、本当に泣きましたね。
そうだったらどんなにいいだろう。
うちの子もそう思ってくれていたなら、と思って。
あと、もうひとつ、ずっとひっかかっていたこと。
それは、先代猫は、ペットショップで運命の出会いをしてうちに来た子。
そのこが亡くなって、もし次に飼うとしたら、ペットショップじゃなくて
譲渡会とか里親募集サイトで出会いたい、と思った。
そして実際、何度も里親募集サイトを見たりもした。
だけど結局、今いる子も、ペットショップで娘が運命の出会いをした子。
かわいいし、大切に思っているけれど、どこかしら引っかかるものを感じていたのも事実。
まさにエンケンさんが
「新しい猫とは、ペットショップじゃなくて、
譲渡会とか里親募集サイトとかで出会いたい」
とおっしゃる場面がある。
エンケンさんの以前飼っていたミーコも、ペットショップからの子だと。
「猫って、絶対自分で飼い主を選ぶものだと思うんですよ。
『この人がいい!』って。」
そんな山田さんの言葉が優しすぎて、
(もちろん、この言葉は、犬をパートナーにしている友人たちからも
何度も聞いた言葉ではあるのですが。
動物ってそういうところありますよね)
またハラハラと涙がこぼれました。
きっと今必要な本だったのですね。
娘と運命の出会いをしたはずなのに、今娘は離れて暮らしていて会えないし、
そして微妙に距離を置く私に世話されるのでは、気の毒というかあんまりな気がするので
本当に私の猫として、これからは接していこう。
ボロ泣きしている間中、隣に座って「大丈夫?」と心配げに見守っている猫のほうが
そんなことは早々に割り切って
「今はママが大好きだよ」
って言っているような気がする。
ごめんね。
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地域猫のTNR活動についても触れられていたりもします。
友達とその活動についても話したばかり。
タイムリーでした。
日々のささやかな風景を鋭い感性で繊細に描写した歌詞で定評のあるシンガーソングライター・山田稔明(ゴメス・ザ・ヒットマン)が、
瑞々しい文体で愛猫と暮らした13年を魂込めて綴った自伝的初小説。
ということなのだけれど、
実を申せば、山田さんの音楽を聴いたことがない。
スミマセン。
ではなんで、手に取ったかと言えば・・・
この本の中にも出てくるミュージシャンのファンだからでありまして。
毎日アップされるインスタグラムで山田さんを知り、
この本の発売を知り、
さらにその方が出てくる、と知ったので、ということですね。
(本の中ではエンケンさんとして登場していました)
ふむふむ、と読み進めていき
途中からボロ泣きしました。
猫飼いのかたなら、きっとわかってくださるはず。
山田さんの愛猫ポチが腎不全になり、その闘病を綴ったあたりから
私の先代猫を思い出しまして。
あの時の、つらい思いや、
何もしてあげられない歯がゆさや
この治療をすることは、本当にこの子のためになるんだろうか、
苦しさをのばしているだけなんじゃないだろうか。
いろんな思いが押し寄せてきたことをまた思い出して。
そんな中で、こんな文章に出会いました。
腎不全の猫ってね、痛いとか苦しいっていうのはあんまり感じないらしいよ。
意識がぼんやりして、『なんだか変だなあ』って思うらしいの。
だからポチちゃん、きっと
『最近パパ、ずっとそばにいてくれて変な感じだけど嬉しいにゃあ』
って思ってるよ」
もう、本当に泣きましたね。
そうだったらどんなにいいだろう。
うちの子もそう思ってくれていたなら、と思って。
あと、もうひとつ、ずっとひっかかっていたこと。
それは、先代猫は、ペットショップで運命の出会いをしてうちに来た子。
そのこが亡くなって、もし次に飼うとしたら、ペットショップじゃなくて
譲渡会とか里親募集サイトで出会いたい、と思った。
そして実際、何度も里親募集サイトを見たりもした。
だけど結局、今いる子も、ペットショップで娘が運命の出会いをした子。
かわいいし、大切に思っているけれど、どこかしら引っかかるものを感じていたのも事実。
まさにエンケンさんが
「新しい猫とは、ペットショップじゃなくて、
譲渡会とか里親募集サイトとかで出会いたい」
とおっしゃる場面がある。
エンケンさんの以前飼っていたミーコも、ペットショップからの子だと。
「猫って、絶対自分で飼い主を選ぶものだと思うんですよ。
『この人がいい!』って。」
そんな山田さんの言葉が優しすぎて、
(もちろん、この言葉は、犬をパートナーにしている友人たちからも
何度も聞いた言葉ではあるのですが。
動物ってそういうところありますよね)
またハラハラと涙がこぼれました。
きっと今必要な本だったのですね。
娘と運命の出会いをしたはずなのに、今娘は離れて暮らしていて会えないし、
そして微妙に距離を置く私に世話されるのでは、気の毒というかあんまりな気がするので
本当に私の猫として、これからは接していこう。
ボロ泣きしている間中、隣に座って「大丈夫?」と心配げに見守っている猫のほうが
そんなことは早々に割り切って
「今はママが大好きだよ」
って言っているような気がする。
ごめんね。
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地域猫のTNR活動についても触れられていたりもします。
友達とその活動についても話したばかり。
タイムリーでした。
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