クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

忘れえぬ人と言われて・・・

2012年09月13日 | 日記
私が実はいつも頭に浮かんでいたのは、初期メンバーのI君だっ たんです。
彼は 元々空手出身だったと記憶しております。
ルックスは押尾学と其処ら辺の一般人を足して2で割ったような、どちらかと言えば男前にカテゴライズされる方でした。

こと格闘技に関してはなかなかのセンスを感じさせ、何より戦う事を楽しんでしまう無邪気さとちょっとした狂気を人懐っこい表情の下に隠した魅力のあるキャラだったと記憶しております。

特に私生活での付き合いはありませんでしたが、練習時間帯が重なるとマスの相手をしたり、オンナの話で盛り上がったり、ゴールドジムのポットラックパーティーでは女子に声を掛けたりと結構はしゃいだりしておりました。

そのパーティーの帰りに、“ドネアさ~ん、これから飲みにいきましょうよ~!”と誘われたものの、翌日仕事が早かった為、その日はそこで解散しました。

当時はそれなりに充実した私生活を送っていた私はそんな事も忙しい日常の中に埋没して、恐らく1年位経ってからの事・・・ふと彼を数か月、見ていない事に気づき、当時のトレーナーに伺うと・・・”ドネアさん、ここだけの話ですが・・彼、自殺したそうなんです・・・”
絶句する私・・・

私、父をやや早めに亡くした事もあって、自らの命を尊ばない輩は基本的には許せないんです・・・が、何ででしょうか? 彼の訃報については理屈抜きで悲しい気持ちになってしまいました・・・きっと不器用でコドモで・・・結構ナイーブだったんで・・・って、出来の悪い近所の子を思うような感情に襲われたんです。


そして時は経って今、私は柴田、小泉両トレーナーの下、楽しいジムメイトに囲まれて、下手ながらも充実したボクシングライフを送る事が出来ています。 
で、最近マニーが書く過去の人物の記事を読む時、よくこう思うんです・・・彼も一緒に練習出来たら痛く激しくも更に楽しい時間を過ごせたんじゃないかな~?って。
そして決して世間的には上級者とは言えない私たちオッサン連中が果敢に(?)小泉さんとかに挑む(そして倒される)姿をみてくれれば、もしかして彼にも違うその後があったのでは?なんて自惚れた思いが過ります。

因みに彼がゴールドジム湘南神奈川に通うきっかけとなったのは何を隠そう柴田トレーナーだったと後で知り、人の縁の不思議さを感じるばかりでした。

忘れえぬひとびと ナミさん編

2012年09月13日 | 日記
忘れえぬひとびと・・・ 

今日はナミさんについてお話しましょう。

ナミさんといっても残念ながらONE PIECEのナミさんとはちょっと違います。



ナミさんはゴールドジム湘南神奈川クラブボクシングで私が知る限り、一番早くメンバーとなったなでしこボクサーではないでしょうか。

8年前、私がメンバーになり、繰り返し単調な基礎レッスンを嫌々こなしていた頃、ナミさんは既に内山トレーナー(いずれ紹介します)相手に華麗かつパワフルなコンビネーションの練習をしていて、それを見るにつけ私は「嗚呼!かっこいいなぁ&凄いなぁ。」とため息をつきつつ「絶対負けねぇ・・」と無用な負けん気を抱いていました。

ナミさんは物凄いスタミナの持ち主で、スキップロープからシャドーからサンドバッグからミットまで全てこなした上に、さらにスタジオプログラムを2コマは出て、ジムを後にするとまた更にロードワークに出かけるという方でした。

にもかかわらず、そんなに痩せないんですねぇ・・。

そのうちに私の基礎レッスンも終わり、ライトスパーリングをしたこともあります。

やはり男女のパワーの差がありますので、私はディフェンスか軽くジャブ程度なのですが、なめてかかっていたら、一度肋骨に強烈な右ストレートを被弾しヒビを入れたこともあります。

ナミさんは付き合いもよくオッサンに混じって酒席にもよく参加してくれました。

東新橋の有名乳製品メーカー本社でバリバリ働いていた総合職で名古屋に転勤となり休会、そして名古屋でめでたく生涯のパートナーと巡りあいました。

そういえば、ナミさんの不運は前に紹介したナカム~ラ氏とのマススパーリングの際、マスの意味を理解しないナカム~ラ氏が手加減せずに(したのだろうけど)打ったパンチが顔面に炸裂したため、以降、私が打つ振りすると、トラウマから目をつぶり顔を背け、次のアクションが出なくなったりしました。

たまに帰ってきてね。

また会いましょう!