第5波は落ち着いたとはいえ先はまだわかりません。
あ、こういう事ってあるんだなぁって、小さく驚いてしまったお話。
場所がどこであれエレベーターに乗る時、例えば乗ってくる人のために既に乗っていてボタンに近い人は『開く』ボタンを押して待っていてくれたりします。乗り込んだ人はありがとうございますと言うか、会釈したりするのが普通です。
降りる時もそうで、ボタンに一番近い人は自分が真っ先に降りることなく『開く』ボタンを押して自分が1番最後に降りたりします。当然先に降りる人は謝意を表します。
というか、それしか見たことありませんし、自分もそうしたりそうされたりします。
これって普通じゃないかと思ってたんです。
ところが本日、あるビルでエレベーターに乗り込むときにマスクで顔を半分隠しても素材があまり良くなさそうな女性がふたり乗り込んで来ました。私は『開く』ボタン押して2人が乗り込んだのちに『閉じる』を押しました。
挨拶なんにもなし!
無視するようにマスクで顔を半分隠しても素材の良さが全くないふたりはコロナ禍にありながら無神経にも喋り続けます。
そして降りる時も同じ。『開く』ボタンを押して2人を先に通しますが、挨拶も全くなし!マスクで顔を半分隠しても素材の悪さが明らかなふたりは何もなかったように去って行きました。
私、もうすぐ定年を迎えるくらい生きていますがこんなことは初めての経験でした。
いやいや、別にお礼を言って欲しいとかじゃなくて、皆普通にやっていることですし、お互い一言お礼を言ったり言われたりしてれば悪い気はしないものだと思っていたので、軽くびっくりしたのでした。
誰にでもできる小さな小さな思いやりだと思っていましたし、ジムのエレベーターで同じビルにある学習塾に通う小学生とも当たり前ににやっていたことでしたので、少し残念なのでした。
いつかマスクを外した素顔をみたいもんだと思ったりしてね。
私、器が小さいんですよ。
私、プロ棋士の藤井聡太先生が大好きであります。
将棋はよくわかりませんが、豊富な語彙で語る聡明で謙虚インタビューを見ているとずっとずっと勉強していることがわかります。
数年前の朝に「めざましテレビ」を観ていると、羽生善治三冠(王位・王座・棋聖)に「炎の七番勝負」6勝1敗で勝利した将棋・藤井聡太四段(当時14)の特集をしていました。
羽生三冠を6-1で破るのですから天才の上を行く天才ですね。
素晴らしい!と感嘆してしまいました。
それもまだ当時14歳、中学生ですよ中学生!そしてプロ1年目の賞金額は300万円~700万円らしいのです。
素晴らしい!
将棋を習う小中学生もかなり増えたのではないでしょうか。
で、特集のVの中でコマを並べている藤井四段が映っていたのですが、まず「玉」を置き、そして次にその左に「金」を置いたのです!左から読むと「金」「玉」です。
多分多くの視聴者はそれに気づいたことでしょう。
天才だけど「金」「玉」でもしょうがないのです。将棋ですから・・。
いやいや、私考えちゃいましたよ、もし「玉」の右に「香車」を置くことがあれば、「金」「玉」「香」ではないかと!
あ、いやいや、茶化しているわけではありません。将棋からあり得るのです。
その朝は長いこと鬱々とした気持ちをアゲようと務めてくだらないことや面白いことを考えて出社したものです。
どうでもいい話でした。
あ〜 やっぱり今でも会社行きたくないっす。
JR藤沢駅の駅ビルがリニューアルされシャレオツになっちゃいました。
小田急線藤沢駅の改札を出ると正面にBecker'sやKALDI、Little Mermaidが入っていた頃の方が好きだったな。なんだか昭和って感じだったしね。
このビルの両入口にはシャッターがあり、早朝6:45頃にギシギシガタガタと音を立ててゆっくり開き、駅へと向かう人達の通路となるのです。それは今も昔も変わらないんですよ。
先週のとある朝、私がシャッターが完全に上がるのを待っていたところ、既に開いた向かいのシャッター側から人が来るのが見えるのですが、その中のひとりが上がり切らないシャッターに思い切り顔面をぶつけてしまったのです。あんなにすごいクロスは打ったことも貰ったこともないくらいです。
その男、イヤフォンで歩きスマホをしていたんですね。もの凄く痛いはずなのですが、周りの眼もあり、何もなかったように去っていきました。
そして翌日、私は昨日同様にシャッターが完全に上がるのを待っていたところ、既に開いた向かい側から人がやって来て、上がり切らないシャッターに思い切り顔面をぶつけてる男を目撃!
よく見ると昨日の男!
やはりイヤフォンに歩きスマホ!
周囲の眼もあり、昨日同様に何もなかったように去っていきました。
学習しないと言うか、おバカさんと申しますか、恐るべし男だと感嘆した次第です。
みなさま、歩きスマホにご注意ください。
この写真は昨日の朝のものというように1日ずつ遡っていきながら10営業日分のしゃしんです
まさしく定点観測
それはそうと、今朝は早めにタバコ警察とすれ違ったのでいつもの駐車場で一服しようとしていたわけです
で、タバコを咥えた途端、駐車場横のビルのオーナーだか従業員だからわかりませんが、ほうきを持った年配の女性が現れました
で、私の周りをそして足元を掃き始めるんですよ
いつもはそんなことないんですけどね
駐車場のオーナーでもなさそうです
とにかく無言で挑むように掃くわけです
今度はほうきで追い払うように私の後をついてくるんですよ
あ、どうも朴竜です。
緊急事態宣言が明けプチ出張した先週のこと。東武線の新桐生から特急に乗り、北千住で日比谷線に乗り換える時のことです。
私、エスカレーターのどちらに立ったら良いのか分からなくなってしまいました。
東京や神奈川ではエスカレーターの左側に立ち、急ぐ人用に右を開けるものです。これは実家のある北海道も一緒です。確か沼津もそうでしたし、大宮もそうでした。
ところが大阪、神戸、広島、和歌山はその逆です。福岡はどうだったでしょうか?
恐らく関東以北、西は静岡くらいまでが「左立ち右空けルール」が適用されているのだと思います。
ではこのルール何処で変わるかと言えば名古屋かもしれません。何度も名古屋に行っているものの意識していないのでハッキリ覚えていませんが、確か「右立ち左空けルール」だったような気がします。
デパートなどでエスカレーターが上下にクロスして動いている時って、例えば登りのエスカレーターに乗った場合、下りのエスカレーターは右にあったように思います。下りに乗る際には登りが右手に見えていたはず。うる覚えですし、建物の創りによっても違いがあるのでしょうけど。
しかしながら、うる覚えベースで言えば、エスカレーターは日本の道路と同じ左側通行ではないかと考えます。
それを踏まえてエスカレーターの立ち位置を考えると関西の「左空けルール」により急ぐ人のスペースを空ける方が実は自然ではないのかと考えるのです。
あれっ?
書いてる途中でどっちがどっちだったか分からなくなってきました。
ところで、このルールの違いはいつどこから始まったのでしょうね。どうやって広がって行ったのでしょう?
ルール統一してもらえないかなあ~
コロナ禍になる2年前、西へ東へ短時間で移動する出張をした際になんだかわけが分からなくなってしまいましたもの。
いやいや、それは単に加齢からくる物忘れかもしれませんけれど。
オーソドックスからサウスポーへ、またその逆へと変幻自在に変えられて、なんだか距離感の掴めぬまま試合を終え、判定負けしたような錯覚に陥りつつある朴竜でございます。
シェパード (羊飼いの唄)
深い皺の老人は
子供の頃から羊飼い
何になりたいこともなく
何に迷ったこともなく
今日も指笛を
吹いている
優しい眼をした相棒は
老いた今でも羊追い
何を疑うこともなく
何を欲することもなく
今日も指笛を
待っている
Hundred Miles Away
丘を越える 風も雲も
ずっと変わらない
Thousand Years Ago
丘を駆ける 光も影も
ずっと変わらない
嗚呼
遥かなる Evergreen
そっとふたりを
包んでる
少し頑固な老人は
子供の頃から変わり者
誰を愛することもなく
誰に語ることもなく
来る日も遠くを
見つめてる
黒い毛足の相棒は
生まれた時から引き摺って
誰を疑うこともなく
誰を恨むこともなく
今は静かに
横たわる
Hundred Miles Away
丘を越える 風も雲も
きっと変わらない
Thousand Years Ago
丘を駆ける 光も影も
きっと変わらない
嗚呼
遥かなる Evergreen
そっとふたりを
包んでる
深い皺の老人は
ひとりの今も羊飼い
傘をさそうともせず
襟を立てることもなく
寂しい思い
飲み込んだ
癖で伸ばした左手の
先に温もり もうなくて
ひとり笑ってポケットに
想い出ともに仕舞い込む
指で突いてみたら既にことぎれていた