今回も『〇〇年前の今日』シリーズです(汗)
いまから20年前の今日、1996年5月24日。
この日は北九州にいました。
こちらは門司港の駅舎。
国鉄時代から殆ど駅舎の写真は撮っていませんでしたが、
この”風格”にはカメラを向けずにいられませんでした(笑)
こちらは若松駅構内にて。
朝の通勤通学輸送を終え、一休みの50系客車。
牽引機はDD51 1031号機。
九州のDLの特徴だった”赤ナンバー”がイカしてました♪
こちらが、たぶん若松駅の全景かと思われます。
駅構内には石炭運搬貨車のセム1000が保存展示されて
いましたが、平成の世に石炭産業華やかなりし昔日の
面影を探すのは難しかったようです。
いまから20年前の今日、1996年5月24日。
この日は北九州にいました。
こちらは門司港の駅舎。
国鉄時代から殆ど駅舎の写真は撮っていませんでしたが、
この”風格”にはカメラを向けずにいられませんでした(笑)
こちらは若松駅構内にて。
朝の通勤通学輸送を終え、一休みの50系客車。
牽引機はDD51 1031号機。
九州のDLの特徴だった”赤ナンバー”がイカしてました♪
こちらが、たぶん若松駅の全景かと思われます。
駅構内には石炭運搬貨車のセム1000が保存展示されて
いましたが、平成の世に石炭産業華やかなりし昔日の
面影を探すのは難しかったようです。
本題とはいささかずれて申し訳ないのですが、オハフ50の三枚目のサッシは何で埋まっているんでしょうかね?
とても気になりますね~。
やはり気になりますよね^^;
うろ覚えなのですが、冷房化に伴う窓埋めだったように思います。
窓埋めというと、旧客改造の応急車などでよく見られましたっけね。
私も、お写真の前年秋に門司港へ行きましたが
やはりその威容に圧倒されて写真を撮りました(笑
その門司港から、恐らく直方行きであったと思いますが
50系客車に乗りました。折尾で降りてしまいましたが・・・
青函の「海峡」以外では、最後の50系乗車だったと思います。
窓埋め部分は、冷房化で1ボックスつぶしてダクトを通したの
でしたね。
若松駅、駐車場の辺りもかつては駅構内だったような
雰囲気ですね。「セム」や「セラ」が埋め尽くしていたの
でしょうか。
門司港駅は趣のある駅舎ですよねぇ♪
細部なども観察してくれば良かったと、今更ながら後悔しています^^;
若松駅周辺の駐車場は、やはり”それっぽい”ですよね。
嘗ては9600などが忙しなく動き回っていたのでしょうねぇ。
50系客車の窓埋め部分にはダクトが通っていたのですね。
車内も覗いてみれば良かったです(悔)
東北の客レ亡き後、北九州まで50系客レを追いかけて行ったなんて、
現在の自分からは考えられません(苦笑)