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欠乏と幸福

2009-08-13 | 民俗
村上龍が編集長として発行するJMMのメールマガジンを購読しています。
ネット上でも読めるのですが、なんとなく忘れてしまったりするのでメルマガにしています。

今読んでいて面白い物は心理経済学講座セカンドシーズンです。
最新号の第18回では、「欠乏→欲動→空想→幸福」について語られています。


・・・・ 記事より抜粋 ・・・・・・・・・・・ 

飢餓感、貧しさを直接的に埋めようとすることで得られる刹那的な満足ではなくて、空想や幻想、想像の力によって豊かさのほうへ向かおうとしている心の動きこそ、先進諸国を生きる私たちが求めていることなのです。もちろん、その人が主体的に動き出すには、その背景に欠乏と欲望、そして欲動の力の復活、さらには言葉と舞台とが創出されていく必要があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



人間の体は何万年も続いていた狩猟採取の時代と大きな違いはありません。
農業を始めてより大きな社会を作るようになっても、産業革命からITの次代に変わっても、脳や身体の機能はそのままです。
社会のシステムが大きく変わる事で、そこに暮らす人間にはより大きな負担がかかってきます。
この居心地の悪さはいったい何が原因で起こるのか。
私には動物としての人間からの乖離に思えます。

人間の歴史は常に飢餓という不安を抱えながら、生きていく幸福感を味わっていたのだと思います。
狩猟採取の暮らしは最近の研究では思っていた以上に豊かなものだったと判っています。
それでも間引きという人口調節はあり、安全弁の役割を持っていたようです。

衣食住や病気に対する備えなど物質で解決できることをなし終えた後に、まだ大切な事が残っていて、それは物質とは逆行する何かなのかもしれません。
幸せとは何か、答えはやはり心の中に隠れているのだと感じます。
予想とは違うベクトルを持ちながら。