つい癖でやってしまうのですが、あの呪い(まじない)は小さいときに
「霊柩車を見たら親指を中にして手を握って、親指を隠さないと親が早死にするんだよ」
確かそう聞いたような記憶があります。
呪いは小さいときに聞いて、記憶の奥底に沈んでいます。何かの折に不意に思い出し、でもその意味は分からないままでした。
最近になってデーリー東北新聞社の前身の奥南新報で記事になった話をまとめた本があると知りました。
「奥南新報『村の話』集成」というその本は、民俗学の柳田國男も参考にしたという第一級の資料なのですが、その中に指の名前が記載されているそうで、親指から順に
へびかしら
あらあら
おにこぶし
いさぼっこ
かんしろ
体の部分の名前は比較言語学でも使われていたと記憶していますが、戦前の話で地域による変化があるとしても、これはまったく違う言葉です。
指の名前が違っていたのなら、親が早死にしないようにという理由は後付けで、昔の人は違う意味をこの呪いの中に込めていたのかもしれません。
時代の底辺に流れる共通認識は、それが共通認識であるために説明されることもなく、後世の人から見たらまるで意味の分からないものになっています。
昔の人は何を考えながら、どんな理由でこの呪いをしていたのか。
青森に住んでいると、その理由はすぐ近くにあるような、そんな感覚を感じることが多いのです。
「霊柩車を見たら親指を中にして手を握って、親指を隠さないと親が早死にするんだよ」
確かそう聞いたような記憶があります。
呪いは小さいときに聞いて、記憶の奥底に沈んでいます。何かの折に不意に思い出し、でもその意味は分からないままでした。
最近になってデーリー東北新聞社の前身の奥南新報で記事になった話をまとめた本があると知りました。
「奥南新報『村の話』集成」というその本は、民俗学の柳田國男も参考にしたという第一級の資料なのですが、その中に指の名前が記載されているそうで、親指から順に
へびかしら
あらあら
おにこぶし
いさぼっこ
かんしろ
体の部分の名前は比較言語学でも使われていたと記憶していますが、戦前の話で地域による変化があるとしても、これはまったく違う言葉です。
指の名前が違っていたのなら、親が早死にしないようにという理由は後付けで、昔の人は違う意味をこの呪いの中に込めていたのかもしれません。
時代の底辺に流れる共通認識は、それが共通認識であるために説明されることもなく、後世の人から見たらまるで意味の分からないものになっています。
昔の人は何を考えながら、どんな理由でこの呪いをしていたのか。
青森に住んでいると、その理由はすぐ近くにあるような、そんな感覚を感じることが多いのです。
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