友人から学芸会に使用する舞台背景画を頼まれました。
演目は「南部駒踊り」との事なので南部小絵馬を題材に描いたところ、反対向きでもう一枚とリクエストされました。
南部小絵馬は左向きの物しか見たことがなくて、もしも自分の知らない言い伝えなどがあれば伝統から外れてしまう危惧が。そう思って色々と調べだしてみると奥が深い。
元々は神様に神馬を奉納していたものの、次第に扱いやすい馬の人形や馬の絵に変遷してきたため、本来の絵馬はその名の通り馬の絵が描かれているものでした。
願い事の内容によって、馬の絵はいつしか他の絵柄に変わっていきます。
なぜ馬なのかは、馬は神の乗り物とする信仰や、馬は神様であるとする信仰など多くの要素が絡み合います。青森県南部地域に多い蒼前信仰は葦毛四白の馬を神様としていますし馬には縁の深い地域です。
現在でも馬の絵の絵馬は奉納されているようで、1700年代に多かった図柄の絵馬が八戸市の岡田観音堂にありました。
岡田観音堂は南部小絵馬が最初に認められた場所です。その後七戸町の見町観音堂や小田子不動堂から同じような図柄の絵馬が見つかり、現在は七戸町立鷹山宇一美術館で展示されていますが、下の写真のデザイン性の高い絵馬絵は「藤右衛門の小絵馬」と名づけられています。藤右衛門とは岡田観音堂を管理していた人の名前であって作者ではありません。しかし1700年代に70年ほど続くこの系統の絵は、南部小絵馬のイメージを形作るほど強烈なインパクトを持っています。
自分で絵馬絵を描いてみて思うのですが、「藤右衛門の小絵馬」のデフォルメはとても親しみを感じさせ、この型の絵が当時も今も何故か人の心を掴みます。
今流行の「ゆるキャラ」の先がけかもしれません。
ちなみに南部小絵馬にも右向きのものはありました。
小田子不動堂と見町観音堂の絵馬では、左向きが252点に対して右向きは4点。
左向きの方が描きやすい、馬は左から乗るから、などと考えられているようですが、圧倒的に多い左向きの絵馬には何かしらの信仰的な理由があるのではと思っています。
・・・・ 追記 ・・・・
現在認められている南部小絵馬の、奉納年代が室町時代のもので「藤右衛門の小絵馬」と同じデザイン性の高い絵柄の数点については、書かれている年号に疑問があるとされているため、「藤右衛門の小絵馬」は1700年代のものだけとしてまとめています。
演目は「南部駒踊り」との事なので南部小絵馬を題材に描いたところ、反対向きでもう一枚とリクエストされました。
南部小絵馬は左向きの物しか見たことがなくて、もしも自分の知らない言い伝えなどがあれば伝統から外れてしまう危惧が。そう思って色々と調べだしてみると奥が深い。
元々は神様に神馬を奉納していたものの、次第に扱いやすい馬の人形や馬の絵に変遷してきたため、本来の絵馬はその名の通り馬の絵が描かれているものでした。
願い事の内容によって、馬の絵はいつしか他の絵柄に変わっていきます。
なぜ馬なのかは、馬は神の乗り物とする信仰や、馬は神様であるとする信仰など多くの要素が絡み合います。青森県南部地域に多い蒼前信仰は葦毛四白の馬を神様としていますし馬には縁の深い地域です。
現在でも馬の絵の絵馬は奉納されているようで、1700年代に多かった図柄の絵馬が八戸市の岡田観音堂にありました。
岡田観音堂は南部小絵馬が最初に認められた場所です。その後七戸町の見町観音堂や小田子不動堂から同じような図柄の絵馬が見つかり、現在は七戸町立鷹山宇一美術館で展示されていますが、下の写真のデザイン性の高い絵馬絵は「藤右衛門の小絵馬」と名づけられています。藤右衛門とは岡田観音堂を管理していた人の名前であって作者ではありません。しかし1700年代に70年ほど続くこの系統の絵は、南部小絵馬のイメージを形作るほど強烈なインパクトを持っています。
自分で絵馬絵を描いてみて思うのですが、「藤右衛門の小絵馬」のデフォルメはとても親しみを感じさせ、この型の絵が当時も今も何故か人の心を掴みます。
今流行の「ゆるキャラ」の先がけかもしれません。
ちなみに南部小絵馬にも右向きのものはありました。
小田子不動堂と見町観音堂の絵馬では、左向きが252点に対して右向きは4点。
左向きの方が描きやすい、馬は左から乗るから、などと考えられているようですが、圧倒的に多い左向きの絵馬には何かしらの信仰的な理由があるのではと思っています。
・・・・ 追記 ・・・・
現在認められている南部小絵馬の、奉納年代が室町時代のもので「藤右衛門の小絵馬」と同じデザイン性の高い絵柄の数点については、書かれている年号に疑問があるとされているため、「藤右衛門の小絵馬」は1700年代のものだけとしてまとめています。
神が宿る木、三頭木の発見にもご協力お願いします。
ご存知の資料などありましたらご教示いただけると助かります。
私を2007年に三頭木の「森の神」に案内してくれた樵から聞いた話から三頭木の調査を始めました。
現在までに解っていることは三叉の木には神が宿るから伐ってはいけないと樵やマタギの間で言い伝えられてきたと言うことです。
「三頭木」と呼ばれる巨木が県内の各地で発見されています。
調査が一番進んでいる十和田市が一番本数が多く巨木が7本巨木にいたらないものが三本,計10本発見されています
三叉の木が神が宿る木「三頭木」であるかどう
かを判定するには「森の神」のようにまわりの
木が全て伐られているのに残されていることだと思います。
それから神社などに残っている「三頭木」はもしかしたら木のほうが先で神社は後でできたのではと思っております。
詳しくは私の始めたばかりの「十和田の熊どんぐり日記」で。
もう少し時間を頂いて調べてみたいと思います。
確かに私も二股の記述を見てこれは間違いではないだろうかと思っております。
現在伝承は、青森、秋田、山形、新潟県、で確認できております。
何故か東北でもその他の県では確認できておりません。情報収集力が弱いだけなのか本当に伝承が存在しないのか調査に協力お願いします。
リンク貼らせてもらいました。事後承諾ということでよろしくお願いします。
もう少し調べる必要がありますが、かなり広い範囲でこのような伝承があると思われます。
林業の記録は少なくてなかなか苦労しております(笑)
人から聞いた話でもしっかりと記録をとっておく事が大切かも知れません。