老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

盛り塩 

2020年07月20日 19時33分05秒 | その他
(今日は少し変わったテーマです)
 最近は、「夜の街」という少し見下したような言葉が流行っていますが、繁華街の飲食店の店先で塩を盛り上げたものを良く見かけます。これは、正式には盛り塩(もりしお、もりじお)と呼ばれるようです。

 塩を三角錐型あるいは円錐型に盛り、玄関先や家の中に置く風習で、奈良・平安時代には既にあったとされていますが、これの目的は主に縁起担ぎ、厄除け、魔除けの意味を持ちます。

 大きく分けると
・人寄せのための縁起担ぎとしての盛り塩
・神事・葬送儀礼としてのお清めの塩、また神に捧げる神聖な供え物としての塩
ということになるでしょう。

 さて、その由来となると、諸説ある様なので紹介します。

<日本由来説>
 盛り塩の由来は神事・葬送儀礼から来たのではないかとする見方がある。葬送儀礼では葬式後に塩を撒く風習があり、また神道の方では神棚に盛り塩を供えるといった風習があるためである。これは塩が清浄や生命力の更新といった意味合いがあるからである。日本では『古事記』に海水で禊ぎ・祓いをした記載があり、これを潮垢離(しおごり)と言う。


<中国由来説>
 盛り塩は西晋の初代皇帝の武帝(司馬炎とも、在位265~290年)が起源という説です。
武帝は女色にふけったことでも知られますが、泰始9年(273年)7月には、詔勅をもって女子の婚姻を暫時禁止し、自分の後宮に入れるための女子を5千人選び、さらに呉を滅亡させた後の太康2年(281年)3月には、呉の皇帝であった孫皓の後宮の5千人を自らの後宮に入れ、合計1万人もの宮女を収容した広大な後宮を持っていたとされています。

 毎夜、後宮を羊に引かせた車に乗って回り、この羊の車が止まったところの女性のもとで、一夜をともにするのである。そこで、宮女たちは自分のところに皇帝を来させようと、自室の前に竹の葉を挿し、塩を盛っておいた。羊が竹の葉を食べ、塩をなめるために止まるからである。


 正確な由来は茫漠としており判明としないが、日本においては神事・仏事としての盛り塩から一般に広まったとするのが穏当と見られ、中国の故事由来説は話の面白さのために広まったのであろうと学者間で考えられている。
ただ、神事・仏事のどちらが根本的な由来かはわからず、後代になるほど両者における意味合いが相交渉し、融合するため、明確には区別がしづらいです。

 個人的には、この盛り塩の習慣が盛り場の水商売の店で多く見られることから、中国由来説の方が興味を引きますね。(まさ)