実はこの有名な唐招提寺に来るのは全く初めてなので、まずは南都六宗の1つである律宗の総本山であるこの寺院と創立者である鑑真のおさらいです。
鑑真(688~763年)は仏教者に戒律を授ける「導師」「伝戒の師」として日本に招請されたのですが、遣唐使船に同乗し、琉球・薩摩を経て天平勝宝6年(754年)2月、ようやく難波津(大阪)に上陸しました。
同年4月、東大寺大仏殿前で、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇らに菩薩戒を、僧に具足戒を授け、天平勝宝7年(755年)から東大寺唐禅院に住した後、天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受けてこの寺院を創立し晩年を過ごしたとされていますが、大僧都に任じられ、後には大和上の尊称を贈られました。
寺名は当初は「唐律招提」と称していたが、これは唐では官寺でない寺を「招提」と称したことに拠るようで、「唐律招提」とは、「唐の律を学ぶ道場」の意であり、後に官額を賜ってから「唐招提寺」と称するようになったようです。
本尊は廬舎那仏で、奈良時代建立の金堂・講堂を始め、多くの国宝や重要文化財を有している超有名な寺院なので、さぞかし人出も多かろうと覚悟していたのですが、何のことはなく門の前の土産物屋は閉まったままですし、入り口となる南大門も豪華さは全くなくて極めて質素なものですし、参拝客もまばらという所で拍子外れのようなノンビリとした参拝となりました。
ゆっくりと参拝後は少し東側にある秋篠川に沿って、薬師寺まで散策しましたが、細かい説明は省いて写真で紹介します。
南大門 想像以上に質素な門でした
寺碑
金堂
ご本尊の廬舎那仏坐像と薬師如来立像(右)
鼓楼と講堂(左)
講堂
校倉作りの宝蔵(左)と経堂蔵(右)
東堂で乾燥中のウチワ撒き用のウチワの柄となる細竹
(ウチワ撒きは、唐招提寺中興の祖と言われる覚盛上人の功績を偲ぶための中興忌梵網会法要(ちゅうこうきぼんもうえ)が実施される日に、災厄から免れる「魔除け」のハート形のウチワが、参拝客に撒かれる儀式です)
開山堂
松尾芭蕉の句碑
鑑真和上御廟の土塀
同上
苔庭
手水
御廟
ヒサカキ(ツバキ科)の花
戒壇
講堂横の桜
同上
同上とメジロ。メジロの頭が判りますか?
同上
クチナシの実
奈良市の雨水マンホールの蓋
秋篠川 すっかり人工的な川になっていました。