今日は家に居ると日が差し込み好天気の様子だったので、淀川河川敷方向への散歩と思って外出しました。
しかし、外に出ると風が結構強く、淀川河川敷は寒そうだったので、いつもの散歩ルートを変更し、毛馬閘門の少し下流側にある毛馬第1閘門跡と洗堰跡の方に回ってみました。
その昔再三にわたり洪水を引き起こしていた淀川は、明治29年より大規模な改修工事が始まりましたが、下流部では毛馬付近から大阪市内に向けて流れていたもの(現在の大川)を、毛馬から下流の川幅を広げ直線的に開削して新淀川として大阪湾に直接注ぐという、大規模なものでした。
このため、水運の動脈であった旧淀川(大川)に流れ込む水量を調節する必要もあり、毛馬地区に第1閘門(明治40年竣工)と洗堰(同43年竣工)を設置しました。
第1閘門は中央の閘室の前後に鉄製の両開(観音開き)扉を設置する構造で、洗堰は9本の堰柱と両側の橋台からなり、10個の水通しを持っていました。
その後、洗堰が改修されると共に、閘門も改修されて現在の姿になっていますが、更に予定されている万博に合わせて洗堰の一部に閘門を新設する工事中で、これが出来ると今後は京都から大川を経由せずにそのまま大阪湾に船で行けるようになります。
現在では、当初の第1閘門と残存する旧洗堰の一部が、国の重要文化財に指定されていますが、訪れる人は少なく、今日も一人だけで重厚な明治の建築物跡をノンビリと見て回りました。
但し、春の先駆けなのか、黄砂が中国から来ているようで、何か見通しの悪いどんよりとした天候でした。(まさ)
洗堰跡の壁のツタの紅葉 10個あった水通しは3個だけが残っています
同上
同上
旧閘門 上流側の扉 観音開き方式です
同上 近付くと巨大な扉です
同上 開閉が大変だと思うのですが、この方式の方が通過できる船の高さに制限がないようです
内部 レンガ造りです
内部から上流側の扉を見る
側面にある係船環 水面の上下に備えて環も上と下にあります
下流側の扉
残念石 ここだけでなくこの近くの河川敷にも結構あります
江戸時代に大阪城を改築するため、廃城となった京都伏見城から運んできた石材が川に落ちてしまったものだそうです。使用されなかったのが残念石の由来です。その後、河川改修で発見されましたが、そのまま毛馬に置かれたとのことです。
淀川改修紀功碑
イチョウの大木
現在の閘門
同上 上から下げる方式の扉です
同上 なるほど、これでは高さ制限が必要です
大洗堰 手前側で新しい閘門の工事中です。 黄砂の影響か少しぼやけています
同上 25mもある鉄製のケーソンが沢山埋め込まれています
河川敷で見かけたアオサギ
スズメの日向ぼっこ