人間は誰しも、多かれ少なかれ何かに依存して生きている。
人に依存する。ものに依存する。
趣味に依存する事も含めて。
依存と言う言葉を、中毒と置き換えてもいい。
煙草、お酒、韓流ドラマ、ゲーム、携帯、ネット‥‥‥。
依存している自分(中毒の自分)をコントロールできていれば何の問題もない。
日常生活に支障はない。
毎日、毎日、まんまるは通常営業をこなしております。
ここからは陸と海の境‥波打ち際のトドのお話。
第一歩目は気づく事。
陸地である「私」の心が、海である「合歓」への感情をコントロールできなくなる状態。
「私の苦労は誰よりも多い」「海は私の苦労を解ってくれない」「私は間違っていない」
…心がこの状態で動き始める時‥相手「合歓さん」に対する共依存症に陥っている。
早く、人間になりたい。船酔いをする私を容赦なく海に投げ込む人でなし。
トドは嫌や。怒りの刃は相手にも向くが自分にも向く。
まずは自分を宥める。
次は自分の中にある知識を総動員して考える。
脳幹が紡ぎだす雑多ではあるが、複雑な感情、特にマイナスの感情は自分の身体にも影響を与える。
長いスパンでの(メランコリー)憂鬱がはじまる。
「メラン」と言う言葉はラテン語で「黒い」という意味だそうだ。
共依存症に陥ると…その状態は「メランコリー‥憂鬱質」
「メランコリー‥憂鬱質」(メランコリア)という言葉は「黒い」を意味する古代ギリシア語の「μέλας」
「胆汁」を意味する「χολή」を合成した「メランコリア」が語源である。
医学の祖ヒポクラテスは著書『金言』の中で憂鬱質を、黒胆汁の過剰により引き起こされる病気。
精神および身体にある種の症状を起こす「病気」であると記述した。
「恐怖感と落胆が、長く続く場合」は憂鬱質の症状である。
依存症も共依存症もこれに似た状態が続く。
心(脳)がしこる。固くなる。しこるとは疑うという字を書く。
自分を疑う。
自分の身体が固くなっている時、頭(脳髄)も固くなっている。
脳が固いと様々な感情を濾過できない。
「メラン」黒色の上には、ピンク色、黄色、赤、どんな色を塗っても映えない。
自分を疑い始めると、結果メラン(黒)‥コリヤ(胆汁)を分泌する状態に追い込んでいくのが共依存症。
胃壁を痛めながら、円形脱毛になりながら…共依存は最後に、「鬱」を誘因する。
心は身体…身体は心‥知識が知恵に形を変えるのは、生みの苦しみを経験した結果の賜物。
原因は海ではない…否、海にばかりあるのではない。
陸だと思い込んで、船酔い以外の‥あれもこれも独楽鼠のようにこなしてきた私。
愚かで、能無し。才なし。と言いながら、その実傲慢で才子で正しい私。
内面を覆い隠して、いつもにこにこ‥元気で笑っている私。
私と云う者の存在も大いなる原因の一つなのかも知れない。
共依存の状態を経験して‥やっとその事に
気づく。
何事にもレベルがある。
気づいた処でただ気づいただけ…というに過ぎない。
気づかないよりは‥ましというだけ。
しかし陸の私は遅まきながらではあるが…気づいたのである。
そうして少しだけ楽になった。
楽になると脳みそ(心)に余裕が生まれる。隙間ができる。
依存と共依存は人生というドーナッツに開いた穴。
穴の大小はある‥こんな些末な差異から大きな問題は引き出せない。
隙間から一条の光が差し込む。
トドは逃げない。っていうか逃げられない。
トドだからである。心の方向が変わる。
これが、余裕なんだと思う。
船酔い人を海に投げ捨てる合歓さん。
家族を大切にする事のない言動。
彼の容赦のなさは何処からくるんだろう?
まずは迎え撃つ事。
次回は海洋(合歓)オン・ザ・ロード。
人に依存する。ものに依存する。
趣味に依存する事も含めて。
依存と言う言葉を、中毒と置き換えてもいい。
煙草、お酒、韓流ドラマ、ゲーム、携帯、ネット‥‥‥。
依存している自分(中毒の自分)をコントロールできていれば何の問題もない。
日常生活に支障はない。
毎日、毎日、まんまるは通常営業をこなしております。
ここからは陸と海の境‥波打ち際のトドのお話。

陸地である「私」の心が、海である「合歓」への感情をコントロールできなくなる状態。
「私の苦労は誰よりも多い」「海は私の苦労を解ってくれない」「私は間違っていない」
…心がこの状態で動き始める時‥相手「合歓さん」に対する共依存症に陥っている。
早く、人間になりたい。船酔いをする私を容赦なく海に投げ込む人でなし。
トドは嫌や。怒りの刃は相手にも向くが自分にも向く。
まずは自分を宥める。
次は自分の中にある知識を総動員して考える。
脳幹が紡ぎだす雑多ではあるが、複雑な感情、特にマイナスの感情は自分の身体にも影響を与える。
長いスパンでの(メランコリー)憂鬱がはじまる。
「メラン」と言う言葉はラテン語で「黒い」という意味だそうだ。
共依存症に陥ると…その状態は「メランコリー‥憂鬱質」
「メランコリー‥憂鬱質」(メランコリア)という言葉は「黒い」を意味する古代ギリシア語の「μέλας」
「胆汁」を意味する「χολή」を合成した「メランコリア」が語源である。
医学の祖ヒポクラテスは著書『金言』の中で憂鬱質を、黒胆汁の過剰により引き起こされる病気。
精神および身体にある種の症状を起こす「病気」であると記述した。
「恐怖感と落胆が、長く続く場合」は憂鬱質の症状である。
依存症も共依存症もこれに似た状態が続く。
心(脳)がしこる。固くなる。しこるとは疑うという字を書く。
自分を疑う。
自分の身体が固くなっている時、頭(脳髄)も固くなっている。
脳が固いと様々な感情を濾過できない。
「メラン」黒色の上には、ピンク色、黄色、赤、どんな色を塗っても映えない。
自分を疑い始めると、結果メラン(黒)‥コリヤ(胆汁)を分泌する状態に追い込んでいくのが共依存症。
胃壁を痛めながら、円形脱毛になりながら…共依存は最後に、「鬱」を誘因する。
心は身体…身体は心‥知識が知恵に形を変えるのは、生みの苦しみを経験した結果の賜物。
原因は海ではない…否、海にばかりあるのではない。
陸だと思い込んで、船酔い以外の‥あれもこれも独楽鼠のようにこなしてきた私。
愚かで、能無し。才なし。と言いながら、その実傲慢で才子で正しい私。
内面を覆い隠して、いつもにこにこ‥元気で笑っている私。
私と云う者の存在も大いなる原因の一つなのかも知れない。
共依存の状態を経験して‥やっとその事に

何事にもレベルがある。
気づいた処でただ気づいただけ…というに過ぎない。
気づかないよりは‥ましというだけ。
しかし陸の私は遅まきながらではあるが…気づいたのである。
そうして少しだけ楽になった。
楽になると脳みそ(心)に余裕が生まれる。隙間ができる。
依存と共依存は人生というドーナッツに開いた穴。
穴の大小はある‥こんな些末な差異から大きな問題は引き出せない。
隙間から一条の光が差し込む。
トドは逃げない。っていうか逃げられない。
トドだからである。心の方向が変わる。
これが、余裕なんだと思う。
船酔い人を海に投げ捨てる合歓さん。
家族を大切にする事のない言動。
彼の容赦のなさは何処からくるんだろう?
まずは迎え撃つ事。
次回は海洋(合歓)オン・ザ・ロード。