素振りブログ。

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注意すべきところでいつも自発的に注意すべしってのは危ないのよな

2019年12月31日 11時14分06秒 | 日記
だいぶ前に亡くなったコラムニストの勝谷さんが、生前「日本は無駄な気遣いが多すぎる」と、事細やかに注意を促すサービスについてダメ出しをしてたのですが。
彼曰く「馬鹿基準」

不注意で電車のホームに落ちないように放送で注意を促したり。

振り込め詐欺の被害に遭わないようにATMの前で携帯が使えないようにしたり、「誰かに指示されて振り込みに来たわけでは無いですね?」等の確認文を表示させたり。

エスカレーターで事故らないように、動作スピードを控えめにしたり。

全部注意すれば問題なく避けられること。
それをわざわざ幼児を相手にするように対応する日本はオカシイ。
まるで最低の馬鹿を相手に基準を作っているようだ。だから「馬鹿基準」

うーん。
言いたいことは分かるんですけどね。

でもさ、人間の注意力って一定じゃ無いんですわ。
HUNTER×HUNTERで、ビスケが

「人間の強さは一定では無い。波があり、調子が良い時期、悪い時期がある。誰かに勝ちたいと思うなら、必ずしも絶好調時の実力を上回る必要は無く、調子の悪い時期を狙い、そこの相手の実力を確実に超えられるように合わせていくことが重要」

ってな指導をゴンとキルアにするシーンがありましたけどさ。
これ、注意力にも言えるんですよね。
注意力にも波があるのよ。
気のゆるみって言い換えてもいいかもしれない。

労働安全の世界だと「気をつける、は安全対策じゃ無い」って言われるんですけど。
理由はまさにこれ。
同じ危険なシチュエーションで、それに対して気をつけることだけを対策にしておくと、運悪く注意力の波が低いときにそこに来た時、それすら忘れてしまう可能性があるから。

だから、そもそも危険なシチュエーション自体を無くしてしまうか、そこに来たとき強制的に注意を促すように何か表示をつけておくか。
そういうのだけが「対策」に数えられるんですよね。

だから、馬鹿にしてんのかと思うかもしれないけど、あった方がいいと思うんですよ。「馬鹿基準」

まぁ、馬鹿基準を無くしても死人と被害者が万単位で増えるようなことはおそらく無いとは思うんですけど。
誰だって、ロシアンルーレットはできればやりたくないですわな。
装弾数6発じゃなしに、確率1/1000000で銃弾が発射されるような拳銃だったとしても。
そんな拳銃の銃口をこめかみに当てて、引き金を引くような作業はできればやらないようにしていくのが良いはずでは。