https://news.yahoo.co.jp/articles/54c7f6916973ec11bb46ae408044c87cdf799f59
略
「黄金の細菌」は、前回紹介した肺炎球菌と同じ、丸い形をした球菌の仲間で、ブドウ球菌という集団の一種です。 正式な名称は、Staphylococcus aureus(スタフィロコックス・アウレウス)で、「ブドウの房状」を表す接頭語Staphylo-と「球菌」を表すcoccus、「黄色い、黄金」のという意味のaureusが合わさったものです。日本語では、黄色ブドウ球菌と呼んでいます。 固形の培地で培養すると、黄色いコロニー(肉眼で見える直径1ミリ程度の菌の塊)を作ることに由来しています。 種名のaureusは、金の元素記号Auやオーロラ(aurora)と同じ語源です。まさに、金の菌です。
■庶民派の細菌
さて、ブドウ球菌という名称は、顕微鏡で見たときの形状に由来し、丸い菌(球菌)がブドウの房状に仲良く寄り集まっているように見えます。 黄金なので、さぞ高貴なものかと思われたかもしれませんが、とても庶民的な細菌です。 前回紹介した肺炎球菌がグルメで高貴な感じがするのに対し、黄色ブドウ球菌はあまりこだわりのない庶民的な細菌です(あくまでも個人的な感覚です)。 細菌学的特徴は、病気の起こし方にも関わってくるのでとても重要です。例えば、肺炎球菌は、人の鼻の中や肺の中など、栄養素、温度、湿度など一定の条件が整った場所を好みます。尿の中や、便の中、環境中ではすぐに死滅します。したがって、中耳炎や肺炎などの限られた部位で病気を起こします。
一方、黄色ブドウ球菌は、鼻の中、皮膚、腸の中はもちろん、体外の環境中にも住むことが可能です。最初に述べた通り、みなさんの手のひらにもきっといるはずです。 最近は、新型コロナウイルスの影響で、頻繁に手指消毒をするようになり、だいぶ減ってしまったかもしれません。ただ、非常にしぶとい細菌ですから、完全に消滅しているわけではなく、毛穴などに逃げ込んで、生命の危機が去ると再度増え始めると考えられます。 みなさんは、ペタペタと知らないうちにあちこち触っていますね。テーブルなど、人が頻繁に触るところから発見することができます。ということは、ヒトからヒトに直接乗り移ることが基本となる肺炎球菌と異なり、環境を介して間接的に移ることも可能です。 病気についても同様で、部位を選ばず、全身のあらゆる部位に感染症を起こしえます。 肺炎球菌とブドウ球菌の性質の違いには、いくつかの病原因子が関与しています
その一つがカタラーゼです。カタラーゼは、細菌にとって有害な過酸化水素という物質を無害にする(水と酸素に分解する)役割を担っています。 人体は細菌を退治するために過酸化水素を産生しますが、カタラーゼを持たない肺炎球菌は退治され、カタラーゼを持つブドウ球菌は生き残ることができます。 このような人側と細菌側の様々な要因が病気の起こり方に影響していると考えられます。黄色ブドウ球菌による病気は種類が多く、全部は紹介しきれませんので、ぜひ知っておいてほしい内容を二つご紹介します。
■特徴(1) 食中毒
一つ目は、食中毒です。 食中毒は、感染症によっても起こりますが、必ずしも感染症とは限りません。 黄色ブドウ球菌による食中毒も、厳密には感染症ではありません。細菌が起こす食中毒なのに感染症ではない、というのは不思議な気がしますね。 もう少し詳しく説明してみましょう。 黄色ブドウ球菌の食中毒は、黄色ブドウ球菌が産生するエンテロトキシンという毒素が原因です。食品の中で、黄色ブドウ球菌が毒素を産生し、食品中の毒素によって嘔吐(おうと)などの症状を起こします。分かりやすい例として、おにぎりを例にとりましょう。 おにぎりを素手で握ると黄色ブドウ球菌がおにぎりにくっつきます。菌の数が少なければ病気を起こしませんので、すぐに食べれば問題ありません。でも、数時間放置することで、おにぎりの表面で細菌が増殖します。一般に、塩濃度が高いと細菌が増えにくいと言われていますが、黄色ブドウ球菌は10%の塩分があっても増えることが可能です。 ただし、熱には弱いので、熱を加えると黄色ブドウ球菌は死滅します。 では、食前加熱すればいい、電子レンジで温めればいい、と思ったかもしれませんね。残念ながら、食前加熱では食中毒を防げません。 なぜなら、菌は死滅していますが、この菌が産生する毒素は熱に強いためです。菌は残っていなくても、毒素が残っているのでおなかを壊してしまいます。毒素による食中毒は、比較的短時間で発症します。 この毒素による食中毒は、一般に軽症です。症状は、発熱(多くは微熱)、吐き気や嘔吐、下痢です。通常は薬も不要で1日以内に回復しますので、大事に至るということはほとんどありません。 「病院に行こうかな」と思っているうちに自然に治ります。まれに製造工場などで大量の食品汚染が起こり、社会的な問題となることがあります。 軽症とはいえ、食中毒は起こさないほうがいいです。まず、素手でおにぎりを握らない方が賢明です。特に、傷口で黄色ブドウ球菌が繁殖していることが多いので、けがをしている手で握ることは、絶対避けましょう。 ブドウ球菌は比較的身近に見られる細菌です。みなさんの鼻の中、手のひらにもきっといるはず……。 おにぎりやお団子を作るときには、手をしっかり洗いましょう。
■特徴(2) 薬剤耐性
二つ目は、特定の感染症というよりも、我々が注目している話題です。 MRSA(エム・アール・エス・エー)という名前を聞いたことがあるでしょうか。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(methicillin-resistant Staphylococcus aureus)の略で、耐性菌の一種です。 かつて、薬剤耐性菌と言えばMRSAというくらい、古くから知られている耐性菌の代表格です。特に日本では、現在でも最も多く分離される耐性菌です。 北欧や欧州の先進国では、黄色ブドウ球菌に占めるMRSAの割合が、1%を下回る国も多数ありますが、日本では、現在でも40%近くがMRSAです。 メチシリンは、ブドウ球菌用に開発されたペニシリンの一種です。ペニシリンは、アレクサンダー・フレミングが世界で初めて発見した抗生物質で、実用化に成功した抗菌薬です。 開発初期のペニシリンは、ブドウ球菌が産生するペニシリン分解酵素(ペニシリナーゼ)によって分解され、薬としての能力を失います。 そこで、ペニシリナーゼに負けないように改良されたのがメチシリンですが、メチシリンが開発されるとすぐに、メチシリンが効かない黄色ブドウ球菌が出現しました。これが、MRSAです。 MRSAにおけるメチシリン耐性は、メチシリンの分解ではなく、メチシリンの標的の変化であることが分かっています。 抗菌薬は、細菌の弱点を標的にして作用する薬ですが、MRSAでは、mecA(メック・エー)という遺伝子を取り込むことで、その弱点を克服したものであることがわかりました。ある意味、細菌の進化です。 しかも、MRSAの場合、メチシリンだけではなく、作用機序の異なる複数の抗菌薬に耐性化した多剤耐性菌であることも問題の一つとなりました。
■80年代のツケ、
今でも このようなMRSAが、日本では、1980年代に急増しました。その理由の一つとして、抗菌薬の不適正な使用、特に、第3世代セファロスポリン系抗菌薬の使用との関連が指摘されています。 この時の急増が、現在も後を引いている状況が続いています。また、当初に発見されたMRSAは、病院内で分離され、体力の弱った患者に病気を起こす比較的おとなしいタイプでした。これを、院内型MRSA、略して、HA-MRSAと呼びます。 ところが、2000年代以降、新たなタイプが出現しました。これを、市中型MRSA、略して、CA-MRSAと呼びます。 こちらは、健康な人、たとえば、屈強なスポーツ選手などにも病気を起こすことが知られています。 病原性が高く、重篤な皮膚軟部組織感染症や壊死(えし)性肺炎を引き起こします。HA-MRSAとCA-MRSAでは、遺伝子の型がそもそも異なっていることから、別々に進化したことが示されています。 さらに複雑なのは、CA-MRSAが院内にも広がっていることです。院内で分離される半数程度がCA-MRSAに置き換わっている可能性も示唆されています。
■感染制御でいったんは減少も このような疫学上の問題は、感染制御とも深く関連してきます。MRSAは基本的には接触感染によって伝わりますので、HA-MRSAだけであれば、手指消毒の徹底など院内での感染制御を強化することで、ある程度抑制することが可能でした。 実際に、00年から10年あたりまではMRSAの割合が順調に減少していました。ところが、その後減少が緩やかになり、ついに18~20年ではほぼ横ばい、もしくは若干増加の兆しが見られます。 CA-MRSAの増加が影響していると考えられ、院内の感染制御のみではMRSAの制御が困難であることを示しており、現在の課題となっています。 また、家畜関連MRSA、略して、LA-MRSAが知られています。HA-MRSAともCA-MRSAとも、遺伝子の型が異なっており、第三のMRSAと考えられています。 幸い、MRSAの場合には、治療薬の選択肢が比較的多く、現在4系統6種類の薬剤が使用できます。 とはいえ、これらの抗菌薬にも耐性菌が出現する可能性も考えられますので、耐性菌の数そのものをできるだけ少なくする努力は欠かせません。
黄色ブドウ球菌の仲間で、Lyon(リヨン)のブドウ球菌(Staphylococcus lugdunensis)と呼ばれているブドウ球菌が話題になっています。88年にフランスのLyonで発見されたブドウ球菌です。 ヒトの皮膚には、「黄色くない」ブドウ球菌の方が多数を占めます。「黄色くない」ブドウ球菌のことを、コアグラーゼ陰性ブドウ球菌(CNS)と呼びます。 「コアグラーゼ」は血液を固める物質で、主に黄色ブドウ球菌が持つ病原因子の一つです。黄色ブドウ球菌が他のブドウ球菌に比べて病気を起こしやすいのは、コアグラーゼが影響していると考えられています。 逆に言うと、CNSはコアグラーゼを持たないために、病気を起こしにくいと考えられます。 また、CNSの代表である表皮ブドウ球菌は、黄色ブドウ球菌と領地を争うことで、黄色ブドウ球菌による病気を起こしにくくしていることが知られています。 リヨンのブドウ球菌もCNSの一種で、ヒトの皮膚に常在している細菌の一つですが、コアグラーゼを持たないにもかかわらず、黄色ブドウ球菌と同程度の病原性を持っていることが知られています。しかも、近年は、メチシリン耐性(MRSL)も報告されています。 この2年、新型コロナウイルス感染症の流行により、世界が激変しました。手指消毒も、院内だけではなく、家庭や職場などいたるところで普及しました。 手のひらには、悪い細菌やウイルスだけではなく、上記のように病気から身を守ってくれている細菌もいるので、手指消毒が、人類や地球環境にどのように影響を及ぼすのか気になるところです。 一つの問題を解決することで、新たな問題を作り出すということを繰り返すだけなのかもしれませんが、早くかつての世界を取り戻してほしいと願うばかりです。(アピタル・染方史郎)