準決勝では、相手の方が落ち着いていて差がありましたが、3位決定戦では、どっちもどっちという拮抗した戦いでした。
しかし、最後、落ち着いた集中力で見事10点を射抜き、銅メダルに輝きました。
はっきりとは分かりませんでしたが、解説者の方が、高層ビルからどうのこうのと言われたのが、緊張度合いが伝わってきました。
団体の時の最後の選手のように 並みの精神力ではできないのでしょう。
練習も毎日ハードに積んでこられて、ダブル受賞、おめでとうございます!!!
“津軽のロビンフッド”古川高晴が銅メダル 個人2大会ぶり表彰台(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
◆東京五輪 アーチェリー(31日、夢の島) 男子個人3位決定戦は、ロンドン五輪銀の古川高晴(近大職)を湯智鈞(台湾)を下し、個人では2大会ぶりの表彰台となる銅メダルを獲得した。 26日には男子団体でこの種目で日本初の表彰台となる銅メダルを獲得して勢いに乗っていた“津軽のロビンフッド”。炎天下の中で、5大会連続出場の底力を発揮した。 ◆古川 高晴(ふるかわ・たかはる)1984年8月9日、青森市生まれ。36歳。沖館中時代は英語部。青森東高では弓道部に入りたかったが部がなく、アーチェリーを始める。3年時に世界ジュニア選手権出場、国体優勝。2003年に近大に進むと、04年アテネ五輪で個人2回戦敗退、団体8位。07年以降は母校の職員として競技を継続。08年北京五輪個人1回戦敗退も、12年ロンドン五輪では個人銀メダル獲得。4大会連続となった16年リオ五輪は8位。175センチ、87キロ。
アーチェリー古川高晴が銅メダル 団体銅とダブルメダル獲得【東京五輪・男子個人】(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース
古川高晴(36)=近大職=が湯智鈞(台湾)を7-3で下し、銅メダルを獲得した。古川は団体でも銅メダルを取っており、ダブルでのメダル獲得となった。 ロンドン五輪は決勝に進んだものの銀メダル。目指した色ではなかった。日本のトップランナーは練習の虫でもある。休みは週1回のみ、連日午前9時~午後6時、練習で矢を射続けた。そんな姿勢は後に続く後輩たちを刺激し続けてきた。それが今大会、団体銅メダルとして結実した。 忘れ物を取り戻しにいった個人戦。準々決勝は6―0で快勝したが、準決勝では乱れが取り戻せなかった。しかし、団体&個人でメダルという新たな1ページをもたらした。 ◇ ◇
▼古川高晴(ふるかわ・たかはる) 1984年8月9日生まれ。青森市出身。弓道をやりたかったが進学した青森東高に部がなかったため、アーチェリーを始める。近大に進み、五輪は2004年アテネ大会に初出場したが、個人は2回戦敗退。続く08年北京大会も1回戦敗退となったが、12年ロンドン大会で銀メダル獲得。16年リオ大会は8強入り。
東京パラリンピック内定者が死去…アーチェリー代表・仲喜嗣さん60歳 : スポーツ報知 (hochi.news)
日本身体障害者アーチェリー連盟は9日、東京パラリンピックの車いすアーチェリー代表に内定していた仲喜嗣(なか・よしつぐ)さんが7日に亡くなったことを発表した。60歳だった。
奈良県出身の仲さんは31歳の時に全身の筋力が低下する難病「AAA症候群」を発症。両手足に障害が残り、車いす生活となったが46歳から競技を始めた。パラリンピックは2012年ロンドン、16年リオの両大会で出場を逃し「病気の進行もある。(東京の)次なら年も取る。全てを振り絞って」と奮起。19年の世界選手権では個人で初戦敗退だったが、岡崎愛子との混合で銅メダルを獲得。東京パラリンピック代表に内定し、本大会でのメダル獲得も期待されていた。
遺族の意向で死因は公表されていないが、昨年11月から病気療養中だったという。まひのため、矢を射る傍らには介助する妻・奈生美さんの姿があった。「家内がいなかったら今の自分はない」と語っていた人生の伴侶と晴れ舞台に臨む夢はかなわなかった。日本連盟からは今年も強化指定を受けており、同関係者は「突然のことで驚いている。(新たな代表選考など)今後のことは何も決まっていない」と話した。