先日の、岩手県矢巾町の中学2年生の自殺は、本当にショッキングなものでした。
何より無念に思うのは、彼の自殺は、担任の教師と校長の病理が致命的な原因であり、彼らがもし適切な対応をしていれば、防げていた可能性が極めて高かったことです。
被害者の少年は、何度も何度も、交換日記と言う形で担任に訴えていました。中学2年生の男の子という、なかなかそういうことについて助けを求めにくい年頃の彼が、本当に心を開いて、担任と必死にコミュニケーションを取ろうとしていました。彼は本当に苦しかったのでしょう。
そうした彼の必死のコミュニケーションを、彼の魂の叫びを、ことごとく無視し続けたのが、この担任教師です。私はいくつかのニュース記事を読みましたが、この2人の書簡によるやり取りを見ていて、吐き気にも似た嫌悪感を覚えました。彼女のその深刻な病理に。彼はクラスメイトからの酷いいじめについて、克明に書き続けますが、彼女はそれに無反応であるか、或いは、いじめのところだけ無視して、知らないふり、気付かないふりをして、空々しいコメントを続けていました。
最初、私は、彼女のキャパシティが低く、いじめを認識していたものの、どうしていいかわからず、この生徒が現実的に自殺の可能性があることをなんとなく気づいていたものの、それがあまりに脅威であるため、無意識に追いやり、否認という防衛機制で、このような病的な平常心を保っていたものかと思いました。
この可能性は大いにありますが、問題は、それだけではないということです。ある時、この生徒が、自分をいじめている生徒の名前を彼女に教えると書いたときに、なんとその言い方が気に入らなかったらしく、「上から目線ですね」とコメントしています。
このやり取りから、彼女が単に精神力がないために、否認の防衛機制が働いていただけではないことが分かります。ここから、彼女のサディズムが見受けられます。つまり彼女は、いじめられて、今にも死にそうになっているこの少年の様子を認識しながら、それに対して何らかの対策を考えるどころか、それを冷酷に傍観し、無視するどころか、問題をすり替えて、少年を攻撃しています。ここには彼女のサディズムと、別次元の精神病理を感じます。いずれにしても、彼女の、教師として最低限必要である共感性が、著しく欠けていることが見受けられます。
崖から今にも落ちそうで、その縁になんとか掴まって、助けてと訴えている少年を、彼女は安全圏に立ちながら、彼のその様子を楽しむように、「頼み方が良くないね」と言い放ち、見殺しにしたようなものです。 彼女が何度か少年の訴えに白々しく「誰にいじめられてるの?」などと聞いておいてその後無反応だったのも、どう対応して良いか分からずそうだったのかと思いましたが、こうしたやりとりを考慮すると、実は適当にいじって面白がっていたという可能性も否めません。
もうひとつ奇妙なのは、彼女の危機管理能力の欠如です。教師としては、致命的な能力の欠落です。少年の訴えは、たとえ現実否定の否認の規制が働いていたところで、普通であれば、その無意識の防衛機制が効かなくなる、つまり、「死ぬかもしれない」という可能性という、恐ろしい事実を、無意識に封印する効力が破たんするくらい、自明な訴えがあったのに、何の対策もしなかった、というところです。この少年に何かあったら、彼女自身、責任問題などで、大変なことになることは、決して想像するに難しくないことです。
この危機管理能力の欠落が、彼女の病的な否認によるものなのか、或いは、この少年があるいは本当に自殺するかもしれないと認識しつつ、放置していた、彼女のサディズムによる意図的看過なのか、この点からは、定かではありません。
どこかのコメンテーターが、この事件を、現在の学校のシステムの問題だと言っていましたが、そういう次元の問題ではありません。
この担任教師の病理と、校長の不誠実さによる問題です。
被害者の少年の父親は、息子がいじめられていると校長に訴えていたのに、この担任から何も報告がない、何か問題があれば報告があるはずだと、応じませんでした。まともな感覚のある校長であれば、いじめの可能性について真剣に受け止め、担任に聞いてみたり、独自に調べてみたりしたでしょう。校長の不誠実さも、この悲劇が起きたことの重要な要素であると思います。
もしわが子がいじめられていることを知り、学校に訴えてみても、このような対応をされたら、どうすればよいのでしょう。
やはり、警察に訴えるのが得策だと思います。この事件は、「いじめ」と言われていますが、実際のところ、いじめという次元ではありません。傷害事件です。大切な子供が、学校で傷害事件に巻き込まれているのに、学校は何もしてくれない。
学校を最後まで信じて、頼りにしていたこのお父様には、全く責任はありません。
ただ、今回の事件からも、残念ながら、子供を育てる教育現場にも、このような深刻な病理を持った指導者やリーダーがいるということが分かります。モンスターピアレントなどという言葉が一時期流行りましたが、もっと深刻なのは、こうしたモンスター・ティーチャーの存在です。
つまり、子供がいじめられていることを知った時、最後にわが子を守れるのは、あなたということです。
警察に訴え、こうした破壊的な環境の学校、つまり犯罪現場にわが子を通わせることを、一時的にでも、中止し、必要とあれば、フリースクールや、転校も考慮に入れましょう。とにかく徹底的に、お子様を守り抜いてあげてください。
こうしたことが、その子のこれからの人生において、何らかの大きな影響を及ぼすことになるかもしれません。それにしても、何より大事なのはその子の命ですし、自分がいじめられたときに、親であるあなたが必死になって守ってくれた、というメッセージは、必ずあなたの子供に伝わります。
学校は大切ですが、決して絶対ではありません。
それから、本来安全であるはずの学校の先生たちの中には、教育者失格である人が存在していること、もしかしたら、そうした病的な教師がわが子に当たってしまった可能性についても、頭の片隅に入れておくのは、大切だと思います。