スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

松沢幸一元キリンビール社長

2014-09-25 08:05:44 | 地震

「東日本大震災に思うこと」というテーマで松沢幸一元キリンビール社長の話を聞いた

氏は群馬県出身で北海道大学修士課程終了後、キリンビールに入社。

主に技術畑を歩み

2011.3,11の東日本大地震時に社長だった

現在、浦和に在住です。

氏が社長在任中、9年ぶりにシェアトップを奪回(2009年)

キリンフリーの大ヒット、一番搾りのリニューアルに成功している

氏の大事にしていること。そして好きなリーダー・人物

さすが北大卒、「少年よ大志を抱け」のクラーク博士。

そして、ふるさとの近く埼玉深谷出身

「片手に論語、片手に算盤」の渋沢栄一を掲げている。

又、現場主義を強調していた。

キリンビールはサッカー日本代表の大スポンサー。

社長時代は岡田ジャパンからザッケローニジャパンの時期。

又、佐々木なでしこジャパンに立ち会えて本当によかったと言っていた

氏はサッカーが大好きで、会社経営はサッカーと同じだと何度も話していた

いい会社とは?よい組織とは?

「一人一人がしっかりしている。一人一人が考えている

そして自分自身がベストを尽くす、周りの人を生かす

一人一人の力を付け、よくコミニケーションを図る、

よくワークする。まさにサッカーと同じだ」

2011.3.11大地震の震源地が東北地方と聞いた時、仙台工場は

やられたかなと直感したと言う。

仙台工場は写真の様に1983年仙台港から100mの所に建てられた

震災翌日の地元紙「河北新報」の一面記事

右側の写真が共同通信社のスクープ写真

下はそのアップで400tタンク3本が倒壊した

白く見えるのがビールの泡

右上の事務所屋上には481名(うち128名は社外)が避難

翌日、自衛隊のトラックで全員救出された

10分後に工場内に津波がきた、工場長の素晴らしいリーダーシップで

全員、屋上に避難

もし帰宅を許したら犠牲者が出たはずだ。近くの産業道路では

200人~300人車の中で亡くなった

地震発生から時間刻みでの対応記録。

2時間半後には現地対策本部が設置されている。

津波が引いた後の工場内の写真。

6月に私も現地に行ったが、道路に残された傷のすごさを思い出した

参照2011-6-27付ブログ(4枚目の写真キリンビールの前)

3月末から社長が現地へ。上の写真の右側から2番目が松沢社長

88年間仙台で操業していたキリンビールももうだめだろうと地元でささやかれはじめてきたので

メッセージを出さなくてはと4月7日、仙台工場存続の記者会見を行った

トヨタ、日本製紙も現地継続を表明した

そして5月11日に全員出勤命令を出した

4月29日河北新報に出した復興決意広告

被災地の皆さんとキリンビールはもう一度

立ち上がるとメッセージを発信したことは

宮城県民に希望を与え、感動を呼んだ。

この広告を4回出したことにより

2012年9月、日本新聞協会から新聞広告大賞を受賞した。

がんばっぺ仙台工場。5月12日の決起集会

松沢社長の感謝のメッセージ

復旧までの歩み。復旧まで7ヶ月間を要し60数億円の費用がかかった

11月2日の出荷式には村井知事、奥山市長も出席してくれた

特に高圧ケーブルを引き直すのに知事の後押しには

感謝していると言っていた

東日本大震災からの教訓

ここに書かれてあることは大変な体験をした方々から

私達へのメッセージだと思う。

そして松沢元社長からあらゆる組織のリーダーへのメッセージ

キリンビールは今でも、農業、水産業

そしてサッカーを通じて子供達へも

(サッカー教室8万人、日本代表長谷部選手、香川選手らも参加)

支援を続けている。