近代京都の名建築、豪商・旧三井家の下鴨別邸は下鴨神社の南に位置し、
三井家11家共有の別邸として三井北家(総領家)第10代の三井八郎右衛門高棟(たかみね)によって建築された。
この地には明治42年(1909年)に三井家の祖霊社である顕名霊社(あきなれいしゃ)が遷座され、
その参拝の際の休憩所とするため、大正14年(1925年)に建築されたのが現在の旧邸です。
別邸の塀の内側に立派なモミジの木が1本ちょうど紅葉の見頃を迎えていた。
風情があったなー。
建築に際しては明治13年(1880年)建築の木屋町三条上るにあった
三井家の木屋町別邸が主屋として移築された。
近代京都で初期に建設された主屋を中心として
大正期までに整えられた大規模別邸の屋敷構えが良好に保存されており、
高い歴史的価値を有していることから平成23年に重要文化財に指定された。
尚、主屋2階・3階望楼は通常非公開になっている。
本別邸は昭和24年(1949年)に国へ譲渡され、昭和26年(1951年)以降、
京都家庭裁判所の所長宿舎として平成19年まで使用されていた。
これは意外な隠れた事実でちょっとした驚きだ。
玄関棟に上がると当別邸の資料コーナーがあり、DVDでの解説も流されていた。
今や人が集まる所は椅子などしっかりソーシャルディスタンスを取っている。
三井家(のちの三井財閥)の基礎を築き、
三井中興の祖といわれた三井高利(元和8年-1622年~元禄7年-1694年)の肖像画の掛軸。
三井11家の基となった人物だ。
三井家の家紋「四つ目結」。
三井家は江戸時代の半ば以来、武家の名門・佐々木源氏の流れを称した。
この紋も佐々木氏のそれを踏まえている。
一方、三井のマークといえば「丸に井桁三」がよく知られている。
これはある晩、三井高利の夢枕に立った亡き母・殊法(祖父・高安とする史料もある)のお告げによるもので
「(江戸の)丸の内に三井」の意であると。
これは店のための紋章(店頭の暖簾に掲げたので暖簾印という)であった。
江戸時代の三井の事業は呉服業と金融業の2つで、
多くの店が三都といわれる京都・江戸・大阪と出身地の松坂に置かれていた。
呉服部門は「越後屋」の屋号と、巨大な店で有名で織物や衣類を主に店頭で販売した。
今のデパート「三越」の原点であります。
一方の金融部門は「三井両替店」といわれ、もっぱら大都市の商人たち相手の融資を行った。
幕府の公金を預かり、その担保として不動産も多数持っていた。
これがのちの三井銀行になった。
この写真は明治後期のもの。
中央上部には木屋町別邸の望楼が見える。
ここに映っている4人の和服の女性達はきちんとした髪を結って凛とした姿が素敵だ。
お伺いした日は丁度、和菓子展2020が行われていた。
本展示会はサンプルではなく生菓子を展示している。
今年のテーマは「禅 ZEN」だそうだ。
建物の前面には苔地の庭が広がり、その南に泉水から水を取り入れた滝流れを持つ、
ひょうたん型の池が作られている。