スミダマンのほのぼの奮戦記

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名勝 渉成園

2022-04-13 06:19:17 | 旅 ~京都

https://www.higashihonganji.or.jp/about/guide/shoseien/

名勝・渉成園、別名・枳殻邸はJR京都駅より徒歩10分のところにある

真宗本廟(東本願寺・真宗大谷派本山)の飛地境内地です。

枳殻邸とは周辺に植えられた枳殻(からたち)の正坦にちなんで呼ばれた。

渉成園の園内マップ。

諸建築と名物・景観に分けて表記されていて、とてもわかりやすい。

この地は寛永18年(1641年)に徳川家光から寄進を受けた本願寺第十三代宣如上人が、

承応2年(1653年)石川丈山らとともに庭園を築き別邸としたところである。

当園は約10,600坪の広さを有し、昭和11年に国の名勝に指定されました。

西門を入った正面に立派な紅枝垂桜の棚がある。

残念ながらまだ2~3分咲きといったところで、

その美しい姿を見ることができなかった。

閬風亭で行われている粥膳の受付。

受付の女性は真宗大谷派の信徒の方か?

とても整備された通路を通って園内へ。

右側に気になる蘇鉄の木。

この木を庭園に植えるようになったのは、

室町時代に長州の大内氏が海外から輸入して植えたのが初めらしい。

さらに道を先に行くと大きくはないが立派な枝ぶりの

満開の桜の老木が迎えてくれた。

さぁ、サクラの京都の旅のはじまりだ。

園内に入ると広々とした空間が開け、沢山の桜の花がその美しさを競い合っていた。

そんな中、カップルの男女がさかんにベストアングルを探しては

カメラのシャッターを切っていたのが印象的であった。

特に小川のせせらぎのところでは腰を低くして何を撮っていたのだろう?

京都駅から徒歩10分ということは京都タワーも目の前に迫ってくる。

京都タワーに登る機会があったら

真下の渉成園がどのように見えるか確かめてみよう。

この建物は園内に入って最初に現れる臨地亭と滴翠軒。

そして右にかすかに見えるのが增垣の燈篭。

当渉成園の建物は多くが蛤御門の変による大火で焼け、

明治17年に再建されたものである。

渉成園の東南にあり、いわゆる「池泉回遊式庭園」である

渉成園の中心となる広い園池。

東山から上る月影を水面に映して美しいことからこの名が付けられた。

広さは約1,700坪あり、園全体の約6分の1を占めている。

また、遠くに見える橋は中央部に唐破風屋根がある木橋で「回棹廊」という。

当園は大都会の中の庭園といった感じで東京っぽい匂いがし、

京都らしくない風景で逆にこれが魅力につながっているような気がします。

印月池に架かる木造の反橋「侵雪橋」。

当園を度々訪れた頼山陽は「渉成園記」の中で

雪の積もった橋のありさまを玉龍ににたとえて表現している。

明治25年に再建された「傍花閣」。

庭園内には珍しい楼門作りで左右側面に山廊と呼ばれる階段の入口があり、

階上には四畳半の部屋が設けられている。

奔放で軽快な構成と穏やかな数寄屋造の手法を兼ね備えた、

園内でも特に個性的な建物だ。

傍らには桜並木が広がり、この春にはその名にふさわしい佇まいを見ることができます。

艶やかな桜の木の下には緋毛氈が敷かれた長椅子が置かれ、

のんびりした時間が流れていた。

慶応元年頃に再建された「閬風亭」。

殿舎の南端の大広間で軒を深くさし出し、

規模の大きな建物ながら穏やかな姿を見せている。

明治13年7月14日、明治天皇のご休息に使われた場所だ。

この部屋のガラス越しではマイクを持った男性信徒の方が話をされている姿が見え、

今も生きている建物という印象だ。