醍醐の花見をゆったりと楽しんだあと、まだ午後の時間にゆとりがあったので、
ちょっと足を延ばして勧修寺に立ち寄ってみた。
こちらも桜真盛り、春爛漫、ポカポカした陽気で本当に気持ちが良い。
ここ勧修寺は真言宗山階派の大本山で、
平安中期の900年に醍醐天皇の母・藤原胤子を弔うために、
胤子の母の実家である宮道家邸宅を寺に改めたのが始まりといわれている。
天皇の祖父に当たる藤原高藤の諡号を取って勧修寺(かじゅうじ)と名付けられた。
代々法親王が入寺する門跡寺院として栄えたが天明2年(1470年)に兵火で焼失し、
江戸時代に徳川家と皇室の援助により再興された。
遠くなだらかな山々が見え、広々と明るい境内を
この門から京都市指定の名勝庭園に入る。
市街地ではないところにあるお寺を巡るのも気持ちが良い。
この宸殿は元禄10年(1697年)に明正天皇の旧殿を下賜されたものという。
入母屋造、桟瓦葺き、内部は書院造りとなっている。
明治5年(1872年)9月、勧修小学校が開校時、約9年間ここが校舎となった。
なお、軒下の横木(ケタ)は中央はケヤキ、左右は杉の巨木でできている。
また、手すりは木を曲げたものではなく、その形に切りだされている。
この勧修寺灯籠は水戸黄門の寄進で京都へ来られたら
必ず見て通ろうと言われる灯籠です。
書院南庭・一面に樹齢約750年といわれるハイビャクシンが植えられており、
その中に前述の徳川光圀寄進と伝えられている灯籠が据えられている。
書院から眺める平庭の背後には氷室池越しに南大日山、
さらに遠くには醍醐の山々を臨む。
この観音堂は観音様をご本尊に現在の建物は昭和6年の再建で「大斐閣」とも呼ばれている。
観音堂の周りにもサクラの花が咲き乱れ、とても美しい。
この勧修寺庭園は平安時代以来の由緒を持つ寺院の庭であり、
四季の自然美と人工の構成美を兼ね備えた名勝です。
前方100メートル先に見えるのが京都庭園代表の巨木・千年杉。
この氷室池に数羽のサギが動かずに置物のようにじっと立っていた。
素人カメラマンのスミダマンでもサギだけは上手に撮れるようになった。
勧修寺の山門を出ると見事に整備された石垣塀が
どこまでも続き美しいラインを引いている。
一方向かい側の道には紅枝垂桜の並木道が並び、一幅の絵を見ているようだ。