京都に5つある(正確には6つ)花街(かがい/はなまち)の1つ、
宮川町は宮川筋で2丁目から6丁目までという限られたエリアにある。
平成11年、宮川筋3丁目から6丁目の一部、西御門町にかけて
祇園町南歴史的景観保全修景地区に指定された。
17世紀前期(1600年代)、出雲阿国の歌舞伎踊りの時代から始まり、
当初は遊女が接待したり、若衆歌舞伎の小屋と茶屋が立ち並び
10代の少年(陰間)が接待をしていた花街であった。
その後、明治、大正そして昭和33年、売春防止法施行までは遊郭であり、
今でも遊郭時代の建物が残っている。
祇園甲部の都をどりについては昨日詳しくアップしましたが、
ここ宮川町でもほぼ同じ時期に京都府立文化美術会館にて
令和4年の「京おどり」が行われていた。
宮川町のマークは三つ輪の紋章。
五花街にはそれぞれ紋章があり宮川町ではこの「三つ輪」の紋章を使っている。
三つ輪の由来は芸妓育成機関の女紅場(にょこうば)が府立となっており、
社寺・町家・花街の三者が合流して学校施設とした記念とされています。
明治の中期から使用されており、一説には宮川の故事から三体の神興を象徴したとも、
宮川の「みや」を語呂の合う三つ輪として考案されたともいわれている。
お茶屋の「駒屋」さん。
玄関の横には芸妓・舞妓の名札が下げられていた。
よく見ると「とし〇」という源氏名の妓が多い。
宮川町の舞妓数は祇園甲部に続いて20人以上の大きい数を誇っている。
宮川町の粋な味のある街並みの中で、
一際目立ったのがこの建物「京都日本酒倶楽部」。
どうやら完全予約制の懐石を中心とした軍鶏鍋が食べられる和食屋さんらしい。
祇園甲部の歌舞練場と同じように宮川町の歌舞練場も建物の老朽化のため
旧新道小学校跡地の開発プロジェクト計画の一環として
建替え工事が施工中で2025年開業予定らしい。
開発事業者はNTT都市開発だ。
町屋の2階の屋根の上に鐘旭様ならぬ、かわいらしい竜の鬼瓦を発見。
本当に京都には街の中に色々な発見をすることが多い。
この瓦の上には例によって旧漢字(戦前からの)長い長い住居表示が。
そして定番の仁丹のマークが。
宮川町の花街を上っていくと祇園甲部エリアに出る。
ひょっとしてここら辺がその境目か?
都をどりと京おどりのポスターが隣り合わせに貼ってあった。
ちなみに宮川町の舞踊の流派は現在は若柳流、そして祇園甲部は京舞井上流だ。
ついでのおまけといっては何ですが、京都でよく目する鬼門除けを発見。
敷地や建物の北東の隅に角を作らないよう「缺け(かけ)」を設ける。
角が無くなるので鬼門自体が消滅するという考え方。
そうすることで鬼が出てくる門の存在自体を消すことができると考えた。