当山は鷹峯山寶樹林源光庵と号し、今より670余年前の貞和2年(1346年)
臨済宗大本山大徳寺二代徹翁国師の開創によるものであるが元禄7年(1694年)
加賀(石川県金沢市)大乗寺27代卍山道白禅師が当寺に住持せられ、これより曹洞宗に改まった。
おもむろに山門を抜けていくとこじんまりとした本堂と境内に出る。
この山門の上部2階にある2つの丸窓が他寺の門と違った意匠で強くアピールしてくる。
そして山門をくぐる敷石の両サイドにはレンガを細かく砂状にしたものが敷かれ、
すごく印象的でインパクトがあった。
これは一体何を表しているのだろう?
本堂前の境内の風景と見事に紅葉した1本のもみじの木。
紅葉したもみじの林立の光景は多く見てきたが、
このシンボルツリーのような立派な1本もみじも存在感があって素晴らしい。
それでは本堂裏の庭園を中心に紅葉したもみじと敷きもみじの一段と風情ある写真をご覧ください。
この庭園は枯山水であり、北山を借景とし、四季を通じて趣きがあり、殊に今の時期は最高だ。
本堂内の書と木の板が飾られた部屋と江戸時代中期の山口雪渓筆の山水墨画八面の襖絵。
本堂は元禄7年の創建であり、卍山禅師に帰依した金沢の富商、
中田静家居士の寄進により建立されたものである。
本尊は華厳の釈迦牟尼佛、脇立に阿難尊者、釈葉尊者を祀っている。
ご覧のように参拝者は静かにじっと紅葉の美しさに浸っているが、
後述するがもっと動の情景がこの部屋では繰り広げられていた。
その端がこの2枚。
当庵のテーマは窓と窓越の紅葉光景。
さーて、これが当庵を有名にさせた2014年秋のJR東海「そうだ京都、行こう。」ポスター。
キャッチコピーは「紅葉が宇宙や人生の話になってしまうとはね。」
これもすごいフレーズですネ。
これが当庵秋の最大の売り、悟りの窓と名付けられた丸窓と迷いの窓という角窓。
悟りの窓は円型に「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現する。
迷いの窓は角型に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表している。
この2つの窓を撮ろうとご覧のように長蛇の列。
しかも一人一人が哲学者になるのだから、列の進みがイライラするほど遅い。
実に参りました。
この本堂内の血天井は伏見桃山城の遺構であり、
慶長5年7月(1600年)徳川家康の忠臣・鳥居彦右衛門元忠一党1800余人が
石田三成の軍勢と交戦したが、武運拙なく討死し、
残る380余人が自刃して相果てたときの痕跡である。
そういえば今まで多くの京都のブログを書いてきて気になったが、
伏見桃山城の血塗りの板を使った血天井の社寺をいくつかアップした。
この板を再利用した背景には一体何があったのか、是非知りたいものだ。
ということで源光庵の来訪客が実に多かったこと。
ここの駐車場混雑で混乱した状態で静かな一帯はここだけが都会の喧騒状態であった。
源光庵駐車場の向かい側には「鷹ヶ峰光悦美術館」があったが休館中であった。