スミダマンのほのぼの奮戦記

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養源院

2022-09-22 06:42:10 | 旅 ~京都

ここ養源院は豊臣秀吉の側室・淀殿が、父・浅井長政の追善のため、長政の二十一回忌に建立した。

開山は長政の従弟で比叡山の高僧であった成伯法印、

長政の院号を以って寺号としたのは文禄3年(1594年)5月である。

養源院の寺院名は浅井長政公の戒名そのものである。

その後、程なくして火災にあい焼失するも元和7年(1621年)に淀殿の妹で

二代将軍・徳川秀忠公正室、お江により伏見城の遺構を用いて再建される。

以来徳川家の菩提所となり歴代将軍の位碑をまつる寺院となった。

上の門は重要文化財の山門。

下の門は北門で勅使門か?

山門を入ると白衣弁財天堂と毘沙門天堂がある。

2つとも小さい棟だが、なかなか味がある建物だ。

山門から本堂までは長い石畳になっている。

秋の紅葉時期は後に紹介しますが、素晴らしい風情になるようだ。

この本堂(客殿)はお江が再建した時のもの。

平成28年2月に本堂(客殿)、護摩堂、中門、鐘楼堂等が国の重要文化財に指定された。

なお、護摩堂、中門は通常非公開だ。

玄関のところに徳川家の三つ葉葵の紋の幕があるが、

創建した時は豊臣家の桐紋、そして再建した時はご覧の徳川家の葵紋、

また、娘・和子が後水尾天皇の中宮として入門して菊紋と3つの紋が並ぶお寺は

日本ではここだけだそうだ。

ここが本堂の入口。

ここからは一切撮影禁止で皆さんにお伝えしたい光景ができないのが残念です。

当院の案内はどうやら住職の奥さんが1つのグループを束ねて進める完全入れ替え制。

この日も多くの来訪客がいたがテキパキとテンポ良くウィットに富んだ説明をし、

その世界に浸らしていく。

その話術、間の取り方はプロの漫才師のようで聞き入ってしまう。

このオバサン(オバアサン?)は名物女性のようだ。

本堂(客殿)の廊下の上の天井は全て血天井となる。

血天井とは関ヶ原の合戦の前哨戦である伏見城の戦い(1600年)で

豊臣方の軍勢に打ち取られる直前に伏見城内の廊下で自刃した

徳川方の兵士らをお弔いされるもので自刃した兵士らの血で染まった廊下を

寺の天井に上げて残されているものだ。

その時の徳川方の大将であった鳥居元忠公御自害の痕と伝わるものもお弔いされ残されている。

また、本堂(客殿)には俵屋宗達が描いた障壁画がある。

杉戸絵は血天井の英霊をお慰めするために御回向にちなんだ絵を描いたもので「白象」や

「唐獅子」「麒麟」等珍しい動物を描いており、

その表現が奇抜で新鮮さに溢れ、大胆な筆遣いと構図でもって描かれている。

とくにこの白象は有名で2015年琳派400年記念祭のポスターに使われた。

キャッチコピーは「日本に京都があってよかった。」だ。

他にも俵屋宗達の襖絵「岩に老松図」は今にも動き出しそうな躍動感ある

松と抽象的な表現の際立つ岩が宗達独特の技法で描かれており、

素晴らしいもので俵屋宗達の現存する唯一の襖絵となっている。

帰路の青紅葉の参道とその参道が真っ赤に紅葉した敷き紅葉の写真。

この時期機会があったらもう一度訪ねてみたくなるような素敵な写真だ。

この1枚の写真を見ると周辺の位置関係がわかると思います。

右側の朱の建物が三十三間堂。

この道の一番奥に見えるのが南大門そして左側が養源院、その先が法住寺だ。

このエリアは京都の意外に知られていないホットエリアだ。

 

 


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