スミダマンのほのぼの奮戦記

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2023 葵祭

2023-06-01 06:01:06 | イベント

京都三大祭りの一つ、勅祭葵祭 路頭の儀(行列)を見に京都に行って来ました。

新型コロナの影響で3年間中止になっていたが4年振りで開催が決定。

あいにく5月15日(月)の路頭の儀は天候不順の為、翌日順延に成ってしまいました。

又、この日はTVなどで報道されましたが、上皇ご夫妻も初めて葵祭をご覧になりました。

これが今年の葵祭のポスター。

「源氏物語の世界が都大路を進む4年ぶりの路頭の儀」

路頭の儀(行列)の観覧席は今回チケットが取れた京都御苑内と下鴨神社参道に設けられている。

昨年の祇園祭の教訓から今回は最前列の席をゲットするために知人の家族まで参画して申込みをした。

〆切時間を過ぎてすぐ売切れになったプラチナチケット。

大変ご苦労をおかけいたしました。

前述した様に上皇ご夫妻が来られた為か、警察の警備は大変ものものしいものがあった。

行列は建札門から出発。

堺町御門から丸太町通りに出る。

その御所門最後の

コーナーの所にはマスコミ関係の取材エリアが設けられ、事前準備に追われていた。

たまたま話をしたこのチームは地元TV局KBS京都のクルー。

関東エリアではBS11でレギュラー化している。

御所内には所々テントが張られ、飲み物コーナー、みあげ品コーナーなど設けられていた。

こちらが観覧席の受付。

席は10ブロックに分けられ、約7000席用意されたようだ。

最前列の席(4500円)からスタート地点の建札門方面を臨む。

右奥の白いテントが上皇ご夫妻が御覧になる葵祭ロイヤルシート。

この日は本当に素晴しい天気に成り、少し暑い位の陽気だった。

午前10:30出発。

その前に警察騎馬隊の行進があった。

御所の警備は普段皇宮警察の担当だが、この人達は?

それでは葵祭路頭の儀が始まった。

今回は写真集的にアップいたします。

路頭の儀は総勢511名、馬36頭、牛4頭、牛車2基の行列が平安朝貴族そのままの姿で京都市内を巡行する。

第一列(検非違使・山城使など)、第二列(馬寮便・牛車など)、第三列(舞人・近衛使代など)、

第四列(陪従・円蔵便など)からなる本列に斎王代列が続く。

毎年5月15日に行なわれる葵祭は賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)

の例祭で、祇園祭・時代祭とともに京都三大祭に数えられている。

古くは賀茂祭、また北の祭とも称せられ、平安中期の宮廷の間では単に”まつり”といえば

この葵祭のことであるといわれるほど有名であった。

平安時代以来、国家的な行事として行われたことで、わが国の祭の中でも、

数少ない王朝風俗の優雅な伝統がしのばれる。

祭の起源は、今から約1500年前欽明天皇(在位539~571)の頃、

凶作が続いたため、賀茂皇大神の崇敬者であったト部伊吉若日子を勅使として、

4月中酉の日に馬に鈴をつけ、人に猪頭をかぶらせてこれを走らせ祭礼を行ったところ、

風雨はやみ五穀は豊かにみのり国民も安泰になったことに由来する。

ここで気に成った被写体のアップをご紹介しましょう。

この方は本列の「乗尻」。

行列を先導する騎馬隊で上賀茂神社の競馬会の騎子。

競争相手の為左方と右方で衣装が違う。

頭に飾られている葵はフタバアオイで、毎年両神社から御所に納められている。

検非違便庁の「検非違使志」。

警察、裁判を司る人。

この白馬のたてがみは切り揃えられていて本当に美しいのでびっくりした。

足元に目を向けると平安時代の履物は草鞋だ。

こちらは馬に乗った方の履物をパチリ。

草鞋ではない。

この行列には多くの年配者も参加していた。

この日は素晴しい晴天になり、暑い日射しの中をここ御所から下鴨神社、上賀茂神社まで

馴れない草履で約5時間をかけて歩く。

大変なことだ。

葵祭の様子は「源氏物語」や「枕草子」にも描かれており、近衛使として葵祭に奉仕する光源氏を一目見ようとした、

妻、葵の上と六条御息所との車争いの場面がよく知られている。

この方がどうやら行列中最高位の「近衛便代」(勅使)のようだ。

天皇の御使で現在は宮内庁の掌典がつとめる。

こちらは子供達の行列。

とてもかわいらしいですね。

大きな傘に紺布を張り、これに錦の帽額総などをかけわたし、上にさまざまの造花を盛った「風流傘」

本列に続いて斎王代を中心とした女人の列が続く。

「命婦」といって内待司の中級の女官で小袿、単、打袴を装い、花笠をさしかける。

ここでもう一度、葵祭の歴史を振り返ってみると、葵祭も時代とともに盛衰があった。

明治17年(1884年)、旧儀に再興され、祭日も5月15日と定められた。

賀茂祭が広く葵祭と称されるようになったのは、江戸時代の元禄7年(1694)の再興以降のことと

思われ、路頭の儀(行列)当日に内裏農殿の御簾をはじめ、御所車、勅使、供奉者の衣冠、馬に

いたるまですべての葵の葉でかざるところからこの名があるとされる。

いよいよ最後の列、「斎王代列」の登場だ。

斎王というのは平安時代に内親王が選ばれて祭に奉仕したもので、

現在は在京の未婚女性から選ばれ斎王代と呼ばれる。

今年の斎王代に選ばれた美女は京都府医師会の御嬢さんだとか。

なぜかこの後に馬に乗って来た女官の2人はちょっとボリューム感のある女性で逆にとても新鮮に見えてしまった。

こちらは女官の後姿、

とても優雅で風情いっぱいの風景です。

俗に御所車と云われ、平安朝以来乗用車として用いられていたもので、

これは勅使の乗用として用いられたものだ。

天候不順により翌日(5月17日)に順延された路頭の儀を見ようとほとんど空席もなく

京都御所に設けられた約7000席の観覧席で約40分間の夢のような王朝絵巻を充分堪能することができた。

新ためて1200年の都 京都はすごい所だと感じいってしまった。

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (さくらもち)
2023-06-01 11:58:39
京都人でありながら、葵祭も時代祭りも見たことありません。恐らく住んでいる人の大半がそうだと思いますが。。。祇園祭はメインの四条通を通りますが、それでも鉾巡業を見たのは2回ぐらいですね。
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Unknown (スミダマン)
2023-06-01 13:26:30
さくらもちさん、京都人でなければわからない貴重なコメント有難うございます。 
よく灯台暗しといいますが、京都の人でもそうなのですね。 

我々、よそ者にとってはうらやましい限りです。これからもちょっとでも京都人に近ずけよう京都の素晴らしさをブログで伝えていきたいと思います!
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