(この講演会は7月13日(火)に行われました。)
政治記者暦43年、多くの政治家とのつながりを築かれ、
テレビ出演等でおなじみの田崎史郎氏は1950年(昭和25年)福井県に生まれた。
1973年に中央大学法学部を卒業し、時事通信社に入社。
経済部、浦和支局を経て1979年に政治部。
平河(自民党担当)記者クラブで田中角栄元総理が率いる田中派などを担当。
1993年政治部次長、編集委員、整理部長、編集局次長を経て2006年解説委員長。
2015年から2018年まで特別解説委員を務めた。
現在、駿河台大学客員教授を務めている。
演題は「菅政権の行方と衆議院解散・総選挙」
・氏は坂戸市に住む埼玉県民。
ご当地、浦和支局にも勤務した。
・毎週、TV、マスコミで出演して知名度が上がった。
これは自分なりの生き方を貫いてきたからメディアから声がかかるようになったのでは。
TVのコメンテーターは批判することを仕事としているが
自分は政権を叩くことが自分の仕事ではない、と考えており、
それが結果的に良かったのではないか・・・。
自分のやり方は取材をして事実をつかむ徹底した現場主義者だ。
政界では人脈形成をしてきた。
不遇の時のお付き合い、終わったと思われた時、
ダメと言われた時のお付き合いがとても大切。
安倍、菅とは人間関係を築いてきた。
自民党、公明党に比べると立憲民主党とのお付き合いはゼロに近い。
政治記者生活43~44年、政治家1000人以上と会ってきたが、
あの人には敵なしと思ったのは田中角栄だ。
安倍前総理とは病気で第一次総理を退陣したとき、
3ヶ月に1回位の記者を交えた5人位の食事会を提案。
その後また総理に復活するとは思わなかった。
その当時安倍の所に行かなかった記者、去った記者、また来た記者をインプットし、
信用できる人、出来ない人がわかった。
昨年8月28日の退陣表明は掴んでいた。
1996年初当選の菅総理とは1998年から安倍と同じような関係が続いている。
総理とは1ヶ月に1回は会う。
1週間に1回は電話している。
この人は他の議員とは違う。
口が重く、この人の言うことは信用してよい。
この人の言うことを軸に進めて良い。
次にコロナについてマスコミの話題になった羽鳥慎一キャスターのモーニングショーで
玉川徹レギュラーコメンテーターについて相当怒っていた。
コロナワクチンの件で数のことは誰もわからない。
後での講釈は誰でも言えて楽だ。
彼が出演する時はもう出ないとまで。
ワクチンはなぜ遅れたのか?
無料接種についての法律クリアー、ファイザーの日本における治験問題、
誰がやろうが2ヶ月過ぎてスタートになる。
遅くなったのは野党にも責任がある。
次に都議選からの衆議院選の話題になった。
この選挙は勝者なき闘い。
どこも勝たなかった。
自民党は負けた。
どの政党に負けたか、それは都民ファースト。
この件で小泉進次郎から電話があった。
次の衆議院選には都民ファースト的な政党はない。
自民党の次回総選挙の鉄板数は200議席で公明党と合わせて230人が鉄板。
この目標数は菅総理は言わない。
これは恩師の故・梶山静六氏の教えだ。
解散時期についても具体的に予想していたが、
その後の横浜市長選挙で影響が出たのではないか?
早いケースで9/6(月)あるいは9/9(木)解散の10/3(日)投票。
次に菅総理の政策について。
デジタル改革、グリーン社会の実現などがあるが、本当にやりたいことは厚労省の改革。
安倍総理時代、PCR検査を増やせと指示。
厚労省もOKを出したが返事が返ってこない。
どうなっているのだと言うと、ちゃんとやっていると馬耳東風。
菅は「怒りがわいた」と言っていた。
役所の人は権益争いばかり。
コロナで得た最大の教訓は厚労省の改革だ。
国家公務員を減らし過ぎた。
成り手も減っている。
そして最後に次の総理は誰という誰でも興味を示すテーマに移った。
注目は安倍の動きだ。
政治をよく見ている。
安倍は自民党は人材の宝庫と言っている。
そんな中、田崎に対して露骨に3人否定している。
政敵・石破茂は評価していない。
岸田文雄は心の借りがあるが良い人がネック。
下村文博の評価はピント外れで面白くないと一番厳しい。
河野太郎、小泉進次郎は一定の評価はしているが案外仕事ができないナ。
上から見ていると仕事内容がよく見える。
萩生田光一はのびてくる。
茂木敏充は頭が良く優秀だが自民党で一番人望がない。
人間性に問題がある。
加藤勝信は安定感はあるが泥をかぶらない。
立憲民主党の枝野幸男はペーパーのまま記憶する男だ。
私は政治記者を43年間やって言い聞かせていることがある。
政治は川の流れである。
流れている、変化している。
しかし、誰もいなかったらどうしよう。
その時は国家観があるのは安倍だけ。
最後はまた安倍になってしまう。