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操山 正木神社・正木城・笄(こうがい)の井戸 2016.03.05「263」

2024-12-01 10:57:01 | 歴史

操山 正木神社・正木城

・笄(こうがい)の井戸 2016.03.05

 

  

 

百間川(ひゃっけんがわ)は、岡山県岡山市南部にある人工河川。旭川放水路とも呼ばれる。

旭川の氾濫から岡山城下を守るため、江戸時代初期に岡山藩主池田光政の命により築造された。

「百間川」の名の由来は、「二の荒手」(中島竹田橋直下流)の幅が堤防を含め百間(約180m)あったことによる。

岡山市北区三野・中区中島付近で旭川と分流し、操山の北を東流する。

岡山市中区米田付近で、東にそびえる芥子山を避けるように大きく南に流れを変え、干拓地の間を通って児島湾に注ぐ。

笄の井戸

米田遺跡の下手には「笄(こうがい)の井戸」がある。百間川遺跡群の南にある操山山塊の最東端部には戦国時代に正木城があり、

天正年間(1573年 - 1592年)城主の正木大膳康正が宇喜多直家に攻められ落城した。その際、康正の妻・玉尾の方は娘の初瀬を抱いてこの井戸に身を投げた。

後年、この2人を供養したところ、井戸より笄と櫛が浮かび上がり、この井戸を「笄(こうがい)の井戸」と呼ぶようになったという伝承が伝わっている。

 

 
      

 

 

 

 

  

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正木神社・正木城

  

 

 

 

 

 

 

 

笄(こうがい)の井戸

 

 

 

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