図書館へ行こう!

 本は私の人生の友・・・

初不動

2008年01月28日 | Weblog
テスト期間中で早く帰宅した息子が、駅に臨時の改札口が出来ていて、タイヘンな人混みだった、と言ってから、今日は初不動の日だったと気がつきました。
夕食の買い物がてら寄ってみると、混雑は過ぎ去っておりました。

初不動は初詣に次ぐ混雑となり、いつもの出店にダルマ市が加わります。
ダルマは、私の故郷に近い高崎のものだとか。
参道にお店を出す第一条件は、値段表示を必ずすること、だと貫主さんがおっしゃってました。
高くても、それを承知で買う分には構わないけれど、お客さんをダマすようなことはあってはならない、ということですね。
ダルマだけは縁起モノだからか、値段表示はされてませんでしたが・・・。
そうそう、まもなくの節分もスゴイ混雑となりますよ。
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『クリスマス黙示録』

2008年01月26日 | 
著者 多島斗志之

1990出版
「パール・ハーバー」の記憶をいやでも呼び覚まされる12月のワシントンDC。
はじまりは、ある不幸な交通事故だった・・・。
被害者の母である現職警察官は、加害者の日本人留学生カオリ・オザキへの復讐を誓い、姿を消す。
そして、日系FBI特別捜査官タミ・スギムラら警察当局と暗殺者との一大攻防戦の幕が切って落とされた・・・。

主人公は日系人女性だが、小説の舞台はアメリカだけなので、文章の上手な翻訳小説を読んでいる錯覚に陥りがちでした。

1989年出版のタイを舞台にした、宮本輝著『愉楽の園』も、先ほど読了。


このところ、随分前に書かれた、好きな作家の小説を読むのが、マイブーム ??

文章がウマイと、小説の世界に引き込まれてしまいます。
用事をしたり、話しかけられたりして中断しても、また続きを読めば、すぐに小説の世界に入っていける本て、スグレモノ !!
アフガニスタン、アメリカ、タイ・・・ここ数日、この国々にドップリ。
行ったことのないアフガニスタンとタイにも、なんだか行ったような気分になっておりますよ。
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『聖夜の越境者』

2008年01月24日 | 
著者 多島斗志之

1987年出版
アレクサンダー大王の末裔が住むというアフガンの秘境を、2人の日本人学者が学術踏査した。
2年後、1人がアメリカで変死し、7年後、もう1人が突然失踪した。
KGBのおびき出しにひっかかったらしい。
背後には、ソ連軍アフガン侵攻の真の理由が隠されていた。
“一粒の小麦”をめぐる超大国の壮然な死闘・・・。

なぜソ連(当時)がアフガニスタンに侵攻したか、
ゴルバチョフが共産党書記長にのぼりつめるまでの状況などなど、
さもありなん、と思わせられ、ソ連とアメリカの攻防がおもしろく描かれています。

多島さんの著書との出合いは、冒険小説(?)ではありませんでした。
初期の作品は冒険もの(?)ばかりですが、その後書かれた冒険ものではない作品・・・
『もの静かな女たち』 『少年たちのおだやかな日々』 『仏蘭西シネマ』 『感傷コンパス』 『汚名』 『症例 A 』
などを読んでファンに。
新作が出ないので、初期の作品を読んでみましたが、おもしろかったですよ。


昨日は雪のち雨でした・・・




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『青に候』

2008年01月22日 | 
著者 志水辰夫

心ならずも国を追われ江戸へもどってきたものの、なぜか行く手に波紋が起こる。
秘めた想いが心の支え。
自分探しの旅が始まる・・・。

志水さんは、大好きな作家です。
初めての時代小説ということですが、時代物は苦手と思い、読まずにいました。
最近、時代物も読んでみると面白いと思えるようになり、読み残していた志水さんの1冊を読みました。

題名の意味がよく分からずにいましたが、読んで納得・・・人間が「青い」ということなんですね。
宮部みゆきさんの『孤宿の人』でもそうでしたが、藩の領民を路頭に迷わせてはいけない、ということを第一に考える。
でも、藩のことを第一に考えてはいても心ある人間はいて、主人公の青臭さの中にある真っ直ぐさを分かってくれる人もいる。

年はた~くさん取っているけれど、自分にもまだまだ「青い」ところがあると思い知らされましたね。

本の表紙の絵、いいなぁ、着物の質感の描き方がいいなぁ、と何度も眺めてました。

寒い!

2008年01月18日 | Weblog
寒い毎日ですねぇ。
今日はどんより曇った日で、出かけましたが早々に帰って来ました。
雪が降ってもおかしくない寒さ・・・そういえば、17日の未明、雪がチラホラ舞ってましたよ。


昨日の記事の追伸です・・・

引用ばかりの羅列で失礼しました。
今の私の思いに近かったので、つい引用してしまいましたが、考えたいと思うなら自分の言葉で述べなさいよ、と後で思った次第です。
思うことや感じることはたくさんありますが、考えることは難しい・・・まぁ、いいか、と早くもあきらめムードです。


真っ赤に紅葉して散ったばかりのドウダンツツジが
寒さにも負けず芽吹いてました


以前、私が作ったお地蔵?さん

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『知ることより考えること』

2008年01月17日 | 
著者 池田晶子

『週刊新潮』連載コラム「人間自身」をまとめたもの。

『知ることより考えること』とは、決して知ることの否定ではありません。
考えるとは、本当のことを知るために考えるという以外ではあり得ない。
しかし、きょうび「知る」とは、外的情報を(できるだけたくさん)取得することだとしか思われていない。
取得するばかりで、誰も自ら考えていない。
だから世の中こんなふうなのであります。        (あとがきより)
                

考えてる暇などない。時代は目まぐるしく変わってゆくのだ。人は言うでしょう。
むろん、そういう生き方もアリでしょう。
だって、自分の人生は、自分で生きるより他ないのだから。
ただ、目まぐるしく変わる時代に合わせて、目まぐるしく生きなければならないのはなぜなのか。
なんのために、自分は生きているのか。
生涯に一度くらいは、そのことを考えてみてもよかろうと、私は思うものです。
だって、生涯は一度なのだから。    (別著『勝っても負けても』より)
                 

ちょっと考えれば気がつくことだが、我々は字が読めるがために、自力で考えるということをほとんどしていない。
たとえば天才が一生涯かけて考えたことを記した本、これを我々は一時間で読む。
字を読んだというそのことだけで、それを「知ったような気に」なってしまうのである。
言葉というのは両刃の剣で、人を考えさせると同時に、考えさせなくする機能をも併せもつのである。                   (本書より)
                 

先日読んだ永嶋恵美著『災厄』は、少年Aを彷彿とさせるような殺人事件を起こした少年が登場します。
逮捕され、鑑別所での少年の心の中を描いたシーンに興味を持ちました・・・
「自分がいてもいなくても、何ひとつ変わらない。
時刻表どおりに電車が動き、駅のホームは乗客で溢れる。
信号は規則的に変わり、交差点を乗用車やトラックが行き交う。
今、この瞬間に自分が死んだとしても。
・・・
何かとてつもなく不愉快なものに触れてしまった。
・・・
余計なことを考えるんじゃなかった。
何もないと思っていた場所に、何かものすごく“いやなもの”があった・・・。
・・・
外はなぜこんなにも暗いのだろう。
夜の闇はなぜこんなにも黒いのだろう。
叫びたいわけじゃない、本当は怖いのだ、大声で泣きたいのだと、心のどこかで気づいていた。」

『14歳からの哲学』

2008年01月11日 | 
著者 池田晶子

きちんと考えるヒントを与えてくれ、「考える」ことの大切さを教えてくれる本です。

副題として『考えるための教科書』とありますが、14歳にも読めるように哲学の専門用語を使ってないので、じっくり読んで考えることの大切さを分かりたい。

私は去年読んで、今度再読してみて、この本が少しおもしろくなってきました。
次は書店で購入して、ゆっくり、じっくり、考えながら読んでみたいと思っています。
悩まず、考えること!

池田さんのエッセー風の本などたくさん読みましたが、池田さんがこの人変わってると思った養老孟司さんから、アナタは変わってると言われたとか。
こんなケンカ売ってるようなこと書いていいの、と心配してしまうような強気なことも書いてますが、でも、もう心配することもないんですね、ご本人は去年の2月に亡くなったんですから、文句も言われない。
私は好きですねぇ、池田さんの本。

夕べ、掘りごたつに入って本を読んでいましたが、向かいに座ってパソコンしている長男に、思わず言ってしまいました・・・
「親のために大学に行ってる、とか言ってたけど、今もそう思ってる?」と私。
「思ってるよ」と息子。
「親のためであろうとなかろうと、大学に行こうと決めて、行っているのはオマエなんだから、自分で選んで決めたことなんだよ。
親のため、と思ったのだって、それは親が思ったのではなくて、オマエが自分で思ったことでしょう」と私。
言えた~。
ヘリクツばかり言う長男に、理路整然と言い返せなかった私。
これからは、考える力をつけて、言うぞ~。
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雪の白川郷

2008年01月05日 | Weblog
年末から元旦にかけて2メートルの積雪があったという白川郷と飛騨高山に行って来ました。
情報過多社会にドップリ浸かっているためか、景色に新鮮さを感じられなくなってます。
ずうっと前に行った五箇山の集落を目にしたときの方が、新鮮な感動がありました。
帰り道、屋根の雪下ろしをしている光景を何度も見かけました。





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新年

2008年01月01日 | Weblog
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
皆様にとって、よいお年でありますように。


結婚してから続けている真夜中の初詣に行って来ました。
12時を過ぎ新年になってすぐに家を出発・・・川向こうにある氏神様にお参りしてから、不動尊へ。

図書館は10日間のお休み。
読む本が尽きたときのためにと池田晶子さんの哲学の本を数冊借りましたが、意志薄弱の者が池田さんの本を読むと、沈んだ気分がもっと沈むようです。

「お母さんは家庭の太陽」とか言われますが、年末年始に不機嫌になる母、妻を持った子供や夫は可哀そう。
「めでたさも中ぐらいかな おらが春」 という一茶の句がありますが・・・

夫は行事を大切にする人で、結婚してから私も夫に合わせるようにしてきましたが、私個人はそういうことはどうでもいい人間。
二十歳を過ぎた長男は、氏神様ぐらいお参りするように夫に言われ、夜通し過ごすことになっていた友人の家から戻り、氏神様だけお参りして、また友人の家へ。
10時に朝帰りして、お屠蘇、おせち、雑煮を家族と一緒に。
去年から二男が夫のお供をするようになり、不動尊の護摩焚きまで夫に付き合ってくれてます。それまでは、長男がお供をしてましたが。

私は速足で一人、前を歩きますが、二男は夫に歩調を合わせ、会話も合わせてくれているようでした。
久しぶりに、きれいな星々を眺めながら歩いたら、少し私の気分も晴れたよう。
二男も長男も、家の中がイヤな雰囲気にならないよう、協調してくれているのに、私はなんなんでしょうか。

明日は夫と一泊の小旅行に出かけますが、私よ、もっと協調性のある人間になれ! と思います。

新年早々、グチを書きまして、申し訳ありません。
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