Soopllofeiv の日常

管理人soop視点の奇妙な現状

皇太子(没) シルバーブルーメ最高W

2010-04-09 11:37:57 | Weblog
"ULTRAMAN LEO FIGHTING IN FE3

ファーファ「レオのテーマ曲のアーテストの声皇太子に酷似してるね」
soop「それで皇太子が歌っている事にした」
soop「彼はかわいそうな男だからコレぐらいは書いてやろうと思ったよ」
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うしなった子供達

2010-04-09 10:24:21 | Weblog
誘拐はされないが親の債務のために子供が夜の仕事にカリダサレルコトハある

ロリータの性癖を持つ人は意外と多い
処女が欲しい男の性ではあるが・・

今回も犯罪サイト"オワリナキアクム"さんから引用しています
オワリナキアクムの管理人さんすみません

ロリコンの誘拐犯「日本の警察最高!!」

うんこ警察「この国の行方不明者・失踪者がどれだけ年間にいると思うんだね?
だから世論が動かないかぎり君らの世話をずっとしていく事は出来ないんだよw」

以前 加茂前ゆきちゃん行方不明事件を取り上げたが今回は2つの行方不明事件を
soopの介錯で掲示してみようと思う・・

石井舞ちゃん行方不明事件
 1991年7月25日、福島県船引町で建築業を営む石井賢一さんの長女・舞ちゃん(当時7歳)が深夜、家から行方不明となった事件から10年以上経った今も発見につながる情報はない。

ここで事件当日の状況を整理しておく。

 この夜、家には賢一さんと妻ヨシ子さん、夫妻の長男、次男、舞ちゃん、それから賢一さんの両親、賢一さんの姪(当時17歳)、そして賢一さんの建築会社の従業員で姪の恋人のK(当時20歳)の9人の他、ヨシ子さんの友人の子供2人(女の子)が泊まりに来ていた。


 昼過ぎ、姪は実家のある郡山市に出かけており、その後家にはいなかった。

 夕方、Kの部屋で舞ちゃんたちはテレビゲームをして遊んでいた。

 午後9時ごろ、舞ちゃんの祖父母は1階洋間のKの部屋の電気が消えるのを見た。また、同じ頃、2階の部屋で賢一さんは長男・次男が寝始めた。

 9時20分頃、祖父母はタクシーを呼んで、カラオケスナックに行ったこの時、1階玄関を施錠した

 9時30分ごろ、舞ちゃんと遊びに来ていた2人の女の子の3人が川の字となって、2階の洋間で寝た。両親や兄弟の眠る隣の部屋である

 10時30分頃、ヨシ子さんが舞ちゃんの寝ている部屋をのぞき、タオルケットを掛け直した。その後、2階の洗面所を使っていると、「バタン」と1階の玄関扉が閉まる音がしたので、窓から外を見るとKが南の方に歩いていくのを目撃した。ヨシ子さんはたいして気にも留めず、1階にある浴室で入浴した。しばらくすると、再びドアの閉まる音がして、何者かが「パタパタ」と階段を上がる音がした。そしてヨシ子さんは賢一さんや長男らの眠る部屋に行き、横になった

 翌午前2時、祖父母がカラオケスナックから帰ってくる。この時、1階の玄関のドアは開いていたので施錠した。祖父母は2階にやってきて「Kがいない」と賢一さんを起こすが、「明日聞くから」とまた寝てしまった。

 午前5時20分、舞ちゃんと一緒に寝ていた子供が目を覚ますと舞ちゃんの姿がなかった。一家、パニックとなる。

 午前6時30分、Kが外出先から戻ってくる。Kの話によると「夜10時半ごろ、友人に会うため郡山に向かった。船引駅に着くと、最終電車が出たばかりだったので、タクシーを拾って行った。しかし、郡山にその友人は現れず、始発で帰ってきた」というものだった。  Kはその後、2週間に渡る取り調べを受けることになったが、解放されている。ちなみに郡山までKを乗せたというタクシー運転手も現れ、証言した。


【疑い】

 現場検証の結果、この家に住む人物の以外足跡や指紋は発見できなかった。ということは身内の犯行となる。こうしたことから、祖父母、両親、Kなどが揃って疑われることになった。とりわけ、疑われたのはKとヨシ子さんである。また、警察犬を捜査に導入したところ、玄関先で立ち止まってしまった。これは車で連れ去られたことを意味する。
 当日の午後11時前には石井さん宅の前の道路から東へ少し離れたところで白い車が目撃されている。この車は故障車のようにボンネットが開かれており、翌朝には消えていた。石井家周辺の車の所有者はひとりひとりあたっていったが、この白い車だけは持ち主不明だった。
 
 舞ちゃん行方不明後、TVでの情報提供依頼など積極的に出演していた賢一さんは犯人の目星はついていた。会社で働き、姪の恋人であるKである。雇っていたものの、Kと賢一さんの仲は良いものではなかった。この日、Kは姪と一緒に旅行に行くはずだったのだが、前日に賢一さんがKに仕事を言いつけ、キャンセルさせた。そのことでKには賢一さんを衝動的に恨んだとも考えられる。また、それまでにも何度かシンナーをしていたKを賢一さんが厳しく叱ったこともあった。

 賢一さんの姪は親が離婚し、荒れて暴走族に出入りするようになる。この時、知り合ったのがKである。Kは姪に賢一さんの建築会社を紹介してもらい、ここで働くようになる。しかも石井家の1階の部屋に姪と同じ部屋に住みこむようになった。

 舞ちゃんが行方不明となってから2ヶ月後、母親であるヨシ子さんは当時遊びに来ていた女の子から 決定的証言を聞き出すことに成功した。その内容は当日の夕方、一緒にテレビゲームをしていた時にKが舞ちゃんに「夜の12時に一緒に遊びに行こう」と言っていというものだ。両親はその証言を警察でも話したが、「無理に引き出させたもの」として相手にされなかった。

 半年以上がたち、賢一さんは従業員10人の再就職を決め、会社をたたんだ。舞ちゃん捜索に集中するためである。賢一さんはKをマークしていた。彼に四六時中つきまとったり、Kの家のまわりに舞ちゃんの行方の情報提供を求めるポスターを貼ったりした。しかし、具体的な手がかりはなにも掴むことが出来ず、ある時、賢一さんはKの顔を見るのも嫌になり、尾行するのをやめたという。

 安全なはずの家から急に少女が行方不明となったこの事件、メディアでもよく取り上げられたりした。しかし、一家にくるのは無言電話やイタズラ電話ばかりで、解決の手がかりのなる有力な情報というのは届けられていない。

 犯人はなぜわざわざ、他の子供達と一緒に寝ている舞ちゃんを危険を冒して連れさらったのだろうか。しかし、身内をよく知る者としては、この家で暮らす者のうち3人が外出しており、普段は両親と寝ている舞ちゃんがこの日に限って子供たちと寝ていたのだから、犯行の日としてこれより良い日はなかったのではないだろうか。大人と違い、子供の眠りは深い。多少の物音を立てても起きることは少ない。だから、連れ去るには持ってこいの夜だったはずだ

soopの意見
どの少女誘拐事件も犯人が家にはいってまで実行することはなくこの事件は
ソノ点では特殊いえるがドウ考えても当時ノ警察がタイマンだったとしかおもえない
soop「いわれるのがくやしかったら調べなおしてみろ!糞警察」

吉川友梨ちゃん行方不明事件

2003年5月20日、大阪府熊取町で町立北小学校4年生の吉川友梨ちゃんが下校途中、行方不明となった。最初に気がついたのは兄だった。午後5時になっても妹が帰ってこない。いつもなら当然帰宅しているはずの時刻だった。一家でこころあたりを捜したが見つからず、午後7時半頃に警察に通報した。警察は誘拐を想定して、自宅に張りついた。しかし一晩待っても電話はかかってこなかったそのうえ、手がかりになりそうな情報も入ってこないこのため翌日、公開捜査を始める

この子を探す両親は団体を運営・警察に頼らずとも娘の捜索を続けている・・

soop「私は自分の借金問題で娘を売り飛ばす親がダイスキだ!」
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死刑賛成

2010-04-09 10:06:54 | Weblog
この事件の実行犯はいま社会に出ている上京都の南区にある市営団地で暮しているらしい
この事件に対して恨みを持つ人がいまもおり2ちゃん等で啓発運動をしている・・

彼女は生前性器にオロナミンCの空き瓶を押し付けられたり、タバコを肌に押し付けられたりしていたことがノチに判明する

事件名:綾瀬 女子高生コンクリートづめ殺人

X子さん(17歳)は埼玉県三郷市に住み、隣りの八潮市の県立高校3年生だった。翌年には都内のデパートへの就職も決まっていたという


 1988年11月25日午後8時過ぎ、X子さんはアルバイトを終えて、自転車に乗って三郷市内を走っていた 
 この少女に目をつけた少年らがいた。オートバイに乗ったAとCである。
 AはCに蹴るように指示、F子さんは自転車ごと道路の側溝に倒れ、Cは逃げた。ここでAが現れ、X子さんに「あの男はどうしようもない札付きだ。危ないから送って行ってあげる」と言って近づいた
 しかし、近くの倉庫内に少女を連れこんだAは態度を一変させ、「俺はさっきの奴の仲間だ。俺はヤクザだ。お前はヤクザに命を狙われている。命だけは助けてやるから、俺にセックスさせろ」と脅し、ホテルに連れこみ強姦した

 事を終えたAは夜10時ごろ、AはC宅に電話をかけ、「お前達もやりたいか?」と尋ねるたところ、そこにたむろしていた少年達は「僕らもやりたいです」ということになって、午前1時ごろ、X子さんを足立区綾瀬にあるCの家に連れんだ

 Cの部屋は5畳ほどの洋間である。そこには数人の少年がおり、Aは彼らに次々に輪姦させた
 午前2時ごろにCの母親が物音が激しいので「あんたたち、何してるの?」と様子を見に行ったが、戸を閉められ、少女の存在には気づかなかった

 X子さんはこの日から41日にわたって、この部屋に監禁されることになる。連日性的陵辱が繰り返された。暴行により、X子さんが気を失うと、バケツの水をかけて再び犯すということもあった。日によっては自慰を強要されることもあったという・・
 裁判記録によると、暴行に関わったのは主犯の4人だけではなく10人近くいた。Cの家は普段から両親の帰宅が遅いこともあって少年達のたまり場となっており、また少年らも「タダでやらせるから来いよ」などと仲間を誘っていたから、少女が監禁されていることを知っていた少年はもっと多く数十人いたという
 X子さんには常に誰かが見張りについており、逃げ出せる状況ではなかった。少年らは食事は毎日牛乳を1本与える程度、風呂やトイレにも行かせなかったという

 11月30日頃から翌2日までの間に、少年らはX子さんに実家に電話をかけさせ、「家出しているから、捜索願は取り消して欲しい」と言わせた
 それからしばらくして、Cの母親はX子さんを見かけて「早く帰りなさい」と言っている。母親は後で「この時はX子さんのことを家出してきた不良グループの仲間と思っていた」と言ったが、連日暴行を受け、風呂にも入らせてもらえない少女を見て、おかしいとは思わなかったのだろうか?

 12月2日午後、X子さんは少年らが寝ている間に階下へ降りて110番通報したが、Aに気づかれ、激しいリンチを受けた。Aは「どうして警察に電話するんだ。逃げるとこうなるんだ」と言いながら顔面を数回殴り、ライターオイルをかけた足首に火をつけ、B、Cもそれに続いた。一番怒っていたのはBだった。BはX子さんに好意を持つようになっており、「裏切られた」という想いが他の少年らより強かった
 このリンチからX子さんの体のあちこちには火傷ができ、化膿して、やがて異様な臭気を放つようになった。もはや少年達は性的陵辱する気はなく、だからと言って解放するつもりもなく、扱いに困り始めた。

 年末年始の頃には、Aらは高校生であるCの兄(当時17歳)に見張りをまかせ、C宅に姿を見せなくなっていた。しかし、この頃にはX子さんは自力で立つこともできなくなっていた。ちなみに兄は弟ほどは積極的に暴行には関わっていなかったが、監禁中も普段通りに通学し、事件発覚までは沈黙し続けていた

 1月4日、Aは賭け麻雀に負けたことから、むしゃくしゃして、C宅にやって来た。X子さんは失禁しており、そこがたまたまAの「定席」だったことから、激しいリンチが始まった。
 AはBの名字と同じ食品を見せて「これはなんだ?」と聞いた。Xさんが答えると、「Bを呼び捨てにするな」と殴り、「Bさん」と言い直したら、「品物にさん付けするとはなんだ」とまた殴った。
 そしてアイドルの歌に合わせて、X子さんの脇腹を何度も殴った。もはや悲鳴をあげることもできないほど衰弱していた。血まみれの顔にロウソクをたらし、Dは重さ1.7kgの鉄球付の鉄棒で殴りつづけた。Aも鉄アレイを腹に落とし、こうしたリンチは2時間続いた。
 午前10時ごろ、AはX子さんをガムテープでぐるぐる巻きにして、4人でサウナに出かけた。

 翌日、Cの兄が異変に気づき、少年たちを自宅に呼んだ。そこではX子さんが布団の上で絶命していた。少年達は怖がって部屋に入ろうとはしなかったという。

【コンクリート】

 それからすぐ、Aは以前務めていた工場からドラム缶とセメントを持ち出してきた。X子さんの遺体をドラム缶に積めこみ、その上からコンクリートを流し込んだ。それを東京湾の埋立地に持っていき、江東区若洲海浜公園の一角に放棄した。
 

 3月29日、別の婦女暴行罪で練馬の鑑別所に収監されていたAが、前年11月に起こった「綾瀬・母子殺人事件」について関連を訊かれていたところ、女子高生殺しを自供。B、C、Dらが相次いで逮捕された。
 翌朝の新聞では早速この事件が報じられたが、「X子さんは仲間の1人だったが~」と、X子さんがまるで少年グループの1人であるかのように報じられた。このあたりはこの事件から10年後に起こる「栃木・須藤正和さんリンチ殺人」にも通じる。
 その後もX子さんの実名、顔写真、さらには水着写真まで掲載する雑誌があり、問題となった。

今回は伏見にすむボクが犯罪サイト"オワリナキアクム"さんから無断借用した物を利用した
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