1990年代にバンドブームがあり
さまざまなバンドがうまれて
その中でジュリアナ東京のブームもあり
僕は初めバンドの曲のCDを聴いていた
ソフトバレイや電気グルーブを聞いていたときに
ジュリアナ東京のオムニバスCDを購入して
聴くことになる
そこで初めてprodigyと出会い
「これはすごいな」と思った
その後彼らのファーストアルバムを購入
テクノの面白さを知り
その後altrun 8に関心をもち
その後はヴァージンメガストアのテクノの棚を漁る
日々が約5年ほど続いた・・
僕的には始めはLAスタイルから始まったハードコアテクノ
やブレイクビーツだったが
そこからロッテルダム等のハードコアよりBPMの高く攻撃的な楽曲を調べることに
その後は何故かテクノはトランスと呼ばれるものに移行していった
トランステクノはthe orbよりのダンスには向いていないものが多かった
仕舞にはブライアン・イーノ的なアンビエントと呼ばれるものまで発表されるようになり
だんだん踊れるものではなくなっていった
そんな中で少しでも踊れる要素のあるトランスがあり、
そんなトランステクノの楽曲を探す事にやっきになっていた
アシッドやミニマムの楽曲も触ったが
なかなか自分が理解し納得できるものはなかった
当時の僕はテクノをダンスミュージックとしてとらえていた
ライター「いまのテクノはドラックをやってないと聴いても踊れない」
僕「そうなのか?それで素面では踊れないものとゆうわけなのか」
それを聞いてから僕はテクノを聴かなくなってしまった・・
現在の僕とテクノ
テクノは半分あきらめたけど
セカンドサマーオブラブの亡霊に取りつかれている
リスナーの一人
さまざまなバンドがうまれて
その中でジュリアナ東京のブームもあり
僕は初めバンドの曲のCDを聴いていた
ソフトバレイや電気グルーブを聞いていたときに
ジュリアナ東京のオムニバスCDを購入して
聴くことになる
そこで初めてprodigyと出会い
「これはすごいな」と思った
その後彼らのファーストアルバムを購入
テクノの面白さを知り
その後altrun 8に関心をもち
その後はヴァージンメガストアのテクノの棚を漁る
日々が約5年ほど続いた・・
僕的には始めはLAスタイルから始まったハードコアテクノ
やブレイクビーツだったが
そこからロッテルダム等のハードコアよりBPMの高く攻撃的な楽曲を調べることに
その後は何故かテクノはトランスと呼ばれるものに移行していった
トランステクノはthe orbよりのダンスには向いていないものが多かった
仕舞にはブライアン・イーノ的なアンビエントと呼ばれるものまで発表されるようになり
だんだん踊れるものではなくなっていった
そんな中で少しでも踊れる要素のあるトランスがあり、
そんなトランステクノの楽曲を探す事にやっきになっていた
アシッドやミニマムの楽曲も触ったが
なかなか自分が理解し納得できるものはなかった
当時の僕はテクノをダンスミュージックとしてとらえていた
ライター「いまのテクノはドラックをやってないと聴いても踊れない」
僕「そうなのか?それで素面では踊れないものとゆうわけなのか」
それを聞いてから僕はテクノを聴かなくなってしまった・・
現在の僕とテクノ
テクノは半分あきらめたけど
セカンドサマーオブラブの亡霊に取りつかれている
リスナーの一人