He is my base
母親の乗る自転車の後輪に幼児用のかえるの絵の椅子があり
そこに僕は乗せられ隣町の大きなお寺に
行くそこは保育園も経営していた
ぼくといとうくんはおりがみのじかんに
大きな裁ちばさみを投げて遊び
保育士さんたちにすごく怒られた
そして本堂に閉じ込められ反省されられたのだった
タチキ山に登った時の露店で買って貰った
小さなナイフのキーフォルダーを盗まれた
僕は号泣して悔しくて堪らなかった
いつまでもいつまでも探してた
保育士さん達は焚火の時こっそりアルミフォイルでつつんだ
さつまいもを焼いていた
ぼくが食べるのかというとすごく怒った
その顔が怖かった黄色いジャージと白いシャツを着ていた
僕がコンクリートでできた男性用小便溝に
おしっこしに行くと女の子がパンツはいてなくて
おしりとあそこみせておしっこしていた
おしっこが線をひいて勢いよく流れていた
ぼくは彼女が終わるのをずっと見ていた
便所は西瓜の匂いがした
保育園の三軒となりに駄菓子屋があり
母は帰りにいつも寄ってくれた
そこには福引付きの綿あめが売っていて
いろんな景品が壁につってあった
プラッチックのちいさなベーゴマが当たる
夏の日は小学校までゆきプルーで遊び
水色のタオルケットでおひるねをみんなでした
お遊戯会では全身灰色のタイツを着せられて
ネズミになったが
僕は小学校の池で何者かに押されて
気が付いたら銭湯にいた
このころから何故か命に係わる事故に巻き込まれるようになったんだ・・・
緑の薔薇
紫のミモザ
この世ならぬは乙女の姿
まといつく追憶に似て
といった程度の短いナンセンスをひねくれば
途端まわりから詩人の称号が得られるのだ
中には、
それを名刺に刻む輩迄いるのは
こまったものである
これらの現代ジャーナリズムは
何故か団結精神が堅くお互いに一生懸命に支援し合い
何かにつけて過度に褒めそやしあうのを常としている
詩人とは
読者の心に馴染みのない思考の流れをおこすことにより
何世紀に渉って人間の頭脳と感覚に根をおろしてきた信条や
見解を無情に破壊する者である
60㎝の爬虫類用ゲージに木の捕まり棒を設置
棒に当たるようにセラミックのひよこ球が当たるようにして
プラケースに水を張り中にいれた
ビアク産グリーンパイソンのイエローを飼っていた
このヘビは意外と環境に対して耐性があり
京都の寒さにもひよこ球で耐えていた
餌は冷凍のネズミで食べるだけ与えていた
長く生きたヘビで5年飼っていたが
病院に急遽入院となり放置
帰ってきたら
死んでいた
ファーファ「爬虫類とかタランチュラとか」
soop「うん 飼っていたよ」
ファーファ「また飼うの」
soop「ムハンフトイモリかトルコスジイモリなら飼いたいね」
まえ病院に入院していた時
いつも看護師の投薬が強すぎて
涎を垂らしていて僕らが拭いてあげていた
休学京大生は背が高くてすごいイケメンで
ハスキーボイスの綺麗な音色で鳴く
青年だった
なぜか強力な投薬を受けていることに
自分が気づきそれに激怒した京大生は
病棟で暴れ
専用バスで東京の病院に移送された
僕らのリーダーは京大生に
退院したら雄琴に連れて行ってあげるから
頑張れといっていたがダメだった
残りの僕らにはとんかつ屋のとんきちに連れていってくれると
いっていたが結局退院したらその気が失せた
腕に無数の根性焼きがあって
自分でそれをしていて
病院のご飯を食べづおかしばっかり大量に食べて
看護婦さんに浣腸をせがむ
若い女の子がいた
彼氏と定期的に通話していてその彼氏が悪い人で
彼女に覚せい剤を渡していたことをリーダーにカミングアウトした
それでもリーダーは外出日に大量に買ってきた餃子の半分を
彼女にあげた
僕は退院後一応リーダーにメールすると
リーダーは結婚する相手がみつかったとのことだった
日本ではグルーブイノウ
海外ではライジングハイレコードが好きだった
ライジング・ハイ・レコード(Rising High Records)は、かつてイギリスに存在したレコードレーベル。1990年代初期を代表するテクノ・レーベルの一つであった。
1991年、カスパー・パウンド(Casper Pound)によって設立された。レーベル名はデ・ラ・ソウルの曲「3 Feet High & Rising」に由来する。1990年代初頭のトランスを中心にリリースしていた。また、「Chill Out or Die」シリーズで知られるアンビエントのアルバムもリリースしている。
レーベルのロゴマークのデザインが有名で、ロゴマークを用いたTシャツなどが多数作られた。
インターネットなど新しいメディアへの対応も早く、1994年時点でニュースグループにて「ライジング・ハイのオフィスは今やインターネットの中にある」と記述を残している。その後1995年にレーベルは活動を終了する。なお、設立者であるカスパー・パウンドは2004年4月30日に33歳で亡くなっている。
日本国内へは初期から輸入盤が入ってきていたが、1994年からソニー・ミュージックから多数のアルバムが日本盤でリリースされ、ワープ・レコーズ、R&Sレコーズと共にテクノ3大レーベルとして紹介された。また、1994年にはタンツムジークがアルバムをリリースしている。
Wikipediaより抜粋
soop「けっこうテクノのCDもっていたのに」
ファーファ「いまおもうと後悔してるの」
soop「絶対今聴いたら楽しいとおもう」
T係長
年は僕より若い
ショートカットでボブ
胸はない中性的な女性で可愛い系
仕事は出来るひとで思いやりがある女性
笠原さん
新規社員で雑務職
色んな仕事をこなす社員
顔は綺麗系の普通といった感じだが
かなり太っているのに私服はタイトパンツ愛用なので
すごくケツでかに見える
Rさん
喋ったことがない職員でも病気がある社員職に就く
同じ電車に乗る(笠原さんも乗るが)服装はおしゃれにしてるがダサい
Sさん
眼鏡を掛けてる目がかなり悪いがコンタクトはしない
ショートカットで髪留めで止めてる
伊藤君に「髪留め似合っている」といわれ喜んでいたそうだ
胸はない背は高いほうで可愛い系の顔
好きな職員がいたがフラれた年は僕と同じぐらい
ファーファ「女性職員すくないね」
soop「昔はいなかったよでも今の女性は男性みたいによく働くね」
ファーファ「soop的にはどうよ」
soop「女性がいれば華やかになるからいいとおもうよ
男ばかりじゃ潤いがないね」