【事件概要】
1994年4月23日、東京都三鷹市の「井の頭公園」で切断された男性の足首が発見された
公園の池周辺に設置された複数のゴミ箱から合わせて27個の遺体の断片が見つかった時効成立
【遺体発見】
1994年4月23日、東京都三鷹市の「井の頭公園」の野外ステージ脇のゴミ集積所で女性清掃員が男性の足首を発見する。足首は4枚重ねたスーパーのビニール袋に入っていた。その後、計27個の遺体の断片が見つかった。いずれも半透明のビニール袋に入れられており、池の周囲にあるゴミ箱に転々と捨てられていた。発見されたのは遺体の手足と胸の一部だけで、頭部と胴体の大部分がなかった
※井の頭公園・・・正式名称「都立井の頭恩賜公園」。日本最初の郊外公園として1921年5月に開園された。園内は四区域に分かれており、総面積38万㎡を超える敷地を持つ。JR中央線・京王線「吉祥寺駅」南口から徒歩5分のところにあり、園内には動物園、水族館などもある。2001年10月には園内に「三鷹の森ジブリ美術館」が開館し、平日休日を問わず賑わいを見せている
【奇妙な遺体】
井の頭公園で回収された遺体は、市内の杏林大学病院へ送られ司法解剖された。27個のパーツにわかれた遺体は全部合わせても体全体の三分の一程度、20数kgほどしかなかった。解剖を担当した佐藤喜宣教授が最初に気づいたのはビニール袋の遺体のひとつひとつが同じ長さで切断されていたことだった。長さだけではなく、肉を削ぐなど太さも揃えられていた。従来のバラバラ殺人の場合、遺体の切断は思った以上に時間がかかる。また切断も大変なため、切りやすい関節あたりを切断するのだが、この事件の遺体は関節など関係なく、時間をかけて均一の大きさに切断されていた。
井の頭公園のゴミ箱は縦20cm×横30cmのフタがついたポスト型のものだが、遺体はそのゴミ箱に入れるのにジャストサイズに切断されていた
また、遺体はとてもきれいな状態だった。念入りに洗われ、手がかりになるような付着物は一切残されていなかった。さらに血液までもがすべて抜かれていた。手足の部分では指紋はすべて削られ、掌紋には傷がつけられていた。
血液を抜き取り、指紋まで削られた遺体だったが、事件から3日後、掌紋の一致やDNA鑑定などから遺体は公園の近くに住む一級建築士・川村誠一さん(35歳)と判明した
死因についてはついに確定することはできなかった。毒物で殺害された場合、骨髄に何かしらの物質が発見されるはずだが、それらは検出されなかった。交通事故などの場合、手足にも傷が残るだろうが、発見された遺体には傷らしいものはなかった。そうなると頭部損傷や窒息死が考えられるが、頭部が発見されなかったので分からなかった。
しかし、1ヶ所だけ、生きている間に受けた傷が発見された。肋骨の一部に付着している筋肉組織に、ほんのわずかながら出血があったのだ。だが肋骨が損傷しているわけでもなく、なぜその部分から出血したのかは分からない。
死亡推定時刻も不明。佐藤教授によると「そんなに古いものではない」ということくらいだった
【川村さんのこと】
川村さんは4月21日の夜、昇進祝いということで会社の元同僚と高田馬場で飲んで、カラオケなどを楽しんだのち、夜11時頃に新宿駅で別れてからの行方不明となっていた。まもなく妻が捜索願を出している。
吉祥寺周辺では「川村さんの妻が新興宗教にはまり、川村さんが脱退させようとしたところ殺害された」というような噂が根強くあるが、川村さんも奥さんも宗教団体とは何の関わりもなかった
翌1995年1月11日、川村さんが行方不明になる直前の4月20日午前0時過ぎに、自宅に近いJR吉祥寺駅そばの近鉄百貨店脇で2人組の男に殴られていたという目撃情報が届けられた。
また23日午前4時頃に井の頭公園をポリ袋を持った不審な男2人が歩いていたという証言もあった。
目撃されている2人はいずれも30代と見られる。
2009年4月23日、時効成立。
オワリナキアクムさんより抜粋
soopのこの事件に対する考察
犯人は精肉店の経営者かそれに準じた施設をもった人物で
肉の扱いには慣れている
血液を流し込み内臓を処理するにはそれなりの施設あと大型の冷蔵庫が必要で
そう考えればこの異常なまでに丁寧な殺人事件も理解できる