『危ない1号』(あぶない1ごう)は、かつてデータハウス内に存在した編集部「東京公司」が編集・製作した鬼畜系ムック。
いわゆる鬼畜ブーム・悪趣味ブームの原点となった1990年代を代表するアンダーグラウンド・カルチャー誌である。各巻の特集テーマはドラッグ、鬼畜系カルチャー入門講座(殺人&死体、変態、フリークス、盗聴)、快感、青山正明全仕事など。創刊当初は青山正明が編集長を務めた。
本誌は「妄想にタブーなし」を謳い文句に「鬼畜系」を標榜し、ドラッグ・強姦・死体・ロリコン・スカトロ・電波系・障害者・痴呆・変態・畸形・獣姦・殺人・風俗・読書・盗聴・テクノ・カニバリズム・フリークス・身体改造・動物虐待・ゲテモノ・アングラサイト・カルト映画・カルト漫画・ゴミ漁り・アナルセックス・新左翼の内ゲバ・V&Rプランニング・青山正明全仕事までありとあらゆる悪趣味と違法スレスレの危ない情報を体系的に網羅した伝説的なムックシリーズである。
第1巻「特集/ドラッグ」は「日本全国のゲス野郎に捧ぐ脳天爆裂ブック」というキャッチコピーのもと初歩的なドラッグの知識から海外のドラッグ事情、ドラッグと音楽、解放運動まで幅広く網羅されており、膨大な情報量が詰め込まれたドラッグマニュアルに仕上がっている。第1巻の特集はサブタイトルにもなった「ドラッグ」以外にも「東京ヒットマン情報」「死体処理マニュアル」「ダスト・ハンティング」「クライム・ペーパー」「強姦魔インタビュー」「危険文書探訪」「惰眠のススメ」など一見非合法に思える内容ばかりだが、製作にあたっては法律の専門家と相談しながら編集されており、すべての記事は適法範囲(1995年当時)であるという。
当初は青山正明が編集長を務めたが、第1巻の校了直前に大麻取締法違反で青山が逮捕されたため、副編集長の吉永嘉明が青山の勾留されている留置場と移管先の東京拘置所に通ってガラス越しに編集会議を行った。その後、本誌は1995年7月に編集長の青山不在のまま創刊の運びとなるが(青山は編集後記で「日本で一番大きな某武装集団に拉致・監禁されちゃった」と説明していた)、悪趣味が詰め込まれた本誌は世紀末日本という時代背景とマッチし、シリーズ累計で25万部を超える大ヒットを記録する。編集長の青山正明は鬼畜ブーム・悪趣味ブームの立役者とみなされ、本誌は不道徳な文脈で裏社会を覗き見ようとする「鬼畜系」の象徴となった。なお副編集長の吉永嘉明によれば、意外なことに読者アンケートの半分は女性から寄せられたものだったという。
1996年4月、第2巻「特集/キ印良品」が刊行される(当初予定されていたタイトルは『危ない2号』だった)。この号では「鬼畜系カルチャー入門講座」と称して、殺人/死体から変態・ボディアート・フリークス・コミックス・読書・デジタルネットワーク・盗聴、奴隷男飼育法、東京殺人現場巡礼マップ、山野一インタビュー、強姦チームリポート、村崎百郎の勝手にゴミュニケーション、痴呆性老人看護日記まで多様なジャンルの危ないコンテンツを横断的網羅的に紹介しており、初心者向けの鬼畜系ガイドブックといえる内容に仕上がっている。
これについて青山正明は雑誌『SPA!』のインタビューで「『危ない1号』って最初は“全国のゲス野郎に捧ぐ”みたいな触れ込みで創刊したんだけど、2巻目を作る際、“鬼畜カルチャー入門”みたいなキャッチをつけたらどうかって、村崎に言われたんだよね。だから、そういう刺激的なフレーズがひとり歩きし出したという感じかなぁ。そういう鬼畜の言い出しっぺは村崎だから」と語っており、村崎百郎の最終目標である「この世の腐敗に加速をかけるべく/すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」ことを標榜したようなゲスい誌面となった。
同年には岡田斗司夫が東京大学教養学部で行っていた講義「おたく文化論」に青山正明と村崎百郎がゲスト出演。青山はドラッグをテーマにした講義を担当し、村崎はゴミ漁りに関する講義を行った(村崎いわく「極めて特殊な分野の専門的な話」をしたとのこと)。岡田による一連の講義は後に『東大オタク学講座』(講談社)として1997年に書籍化されているが、青山は薬物使用による執行猶予中だったこともあり、トラブル回避のためか青山の回は収録されず、代わりに村崎の講義「第九講 ゴミ漁り想像力補完計画が掲載されている。」
編集部解散
順風満帆に見えた『危ない1号』であったが、1997年頃から青山は鬱と薬物乱用が原因で実家に引きこもるようになり、第3巻「特集/快感」の企画段階で降板[11]。東京公司もデータハウスに吸収される形で消滅する。その後、副編集長の吉永嘉明が代わりに第3巻の編集長を務めたが、精神的疲弊などを理由に吉永も第3巻を最後に降板する。
吉永は『危ない1号』の編集を降りた理由の一つとして「作り手より読者のほうが過激になっていった」と述べており、本物の薬物依存者や精神疾患を抱えた読者を獲得したことに困惑していたという。青山も「あれはシャレなのにマジに鬼畜と言われてしまう」と葛藤を抱えていたとされ、吉永は愛読者の中に神戸連続児童殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗が居たことを著書『自殺されちゃった僕』の中で明かしている。
青山は本書のあとがきで「この本を過去の自分に捧げるとともに、無へと葬り去り(“危ない”ことはもう飽きちゃったんで、『危ない28号』にお任せてことネ)、今後は、小説、思想書、ワークショップ他、全身全霊を投じて精神世界の開拓・普及に邁進することを誓って、終わりの言葉としたいと思います」と宣言し、過去の仕事との訣別と、新たなステップへと進む決意を述べていたが、結果的にこの本が青山の集大成にして遺作となってしまった。
wikipediaより抜粋
soop「僕の人生の中で一番危険な書籍」
ファーファ「どこで手に入れたの」
soop「三条のBOOK OFFで全集」
ファーファ「現在は28号含め入手困難だね」
soop「そうだね読み物としては面白いけど」