すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

夏至2018 前編

2018-06-28 | 心で生きる


夏至、今年は6/21
二十四節気の期間としては、小暑の前日までの7/6までを言う。


日が長いから
毎日 田んぼで 畑で 庭で
やりたいことはいっぱいで一日があっという間

去年も一昨年も
田んぼの除草作業は途中で力尽きたのに
今年はもう少しで1巡するぞ~
私にとってはスゴいこと
だんだん元気になってるってことだもんね


この2年間
畑も庭もほとんど放置してたのは
やっぱり体がきつかったから

不調が次から次と
これでもかというくらい

それがほんとにこの春くらいから
不調はあっても
気が充実してきてるのを感じる。
(おかげで最近は自家菜園の野菜が食べられる(^^♪)



でもこの2年間の不調があったからよかった。
なぜなら
あれもこれもと抱え込んで(物事だけでなく思考も)
混乱を極めてたけど
体のムリがきかなくなったことで
強制的に選ぶしかなくなったから。
だからこそ
私の本音の本音を、
本当はどうしたいのか
本当はどうありたいのか
を、ちゃんと聴いてあげられた
(そしてその作業は生きてる限り続くんだと思う)

この不調を世に更年期障害というのだろうけど 笑
これは障害じゃなくて恩恵だと思った
こんな絶妙な仕組みスゴイ
体の声に従ってれば
(ようは「考え」よりも「感覚」を聴く。まず私が私をホッとさせてあげること。ホッとできる思考、ホッとできる居場所、我慢をやめる、などなど)ぜったい大丈夫だし
そればかりか
自分では思ってもみなかったいい景色のところに運ばれていくんだから

手すりを放して歩いていこー
手すりを放すって「基準、指針を外側に求めない」ってこと


安心があったから放せたんじゃない(放したとき、私にはなーんにもなかった、むしろ四面楚歌 笑 )
放したら、本当ははじめから安心の中にいたことを知れたんだよ



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お知らせ(^^)/

【そらいろガーデンは7/15(日)です】



7月20日~「夏の土用」
土用が明けて、8月7日は「立秋」です。
体感はまだまだ暑い盛りですが
たしかに毎年土用を過ぎると朝夕の風に秋の気配を感じます。
夏は短い!
楽しみましょ~(*´▽`*)






これが起きている

2018-06-18 | 心で生きる
田植え終わって今は田車(※)を押して田んぼの草取りをしている。

(※押して歩いたらコロコロ歯が回って草を掻き取ってくれる道具)
←これね
おととしも去年も、この作業を始めるのが遅れたために
田の土が固く締まってしまい
草の根も深く入り
とっても力が要る作業になり途中で折れて放棄。
結果、田んぼは草ボーボーだった。
(まぁ、それでもお米はけなげにできてくれたのだけど^^)

今年もちょっとうかうかして遅れそうだったけど(田植えが終わるとついほっとして・・(;^ω^))
さすがに学習して
なんとかまだ間に合いそう




一歩一歩 押して歩く
行って帰って
行って帰って
たんたんと
一歩一歩を感じて歩く

止まってぐるりと田んぼを見渡したら
気が遠くなりそうだけど

見ない見ない

目の前だけ見る
でも肩の力を抜いて
ふわっと見て進む。
すると
いろんなものが見えてくる。

場所場所で違う、土の感触や匂い
いろんな生物
風の中の水分

先のほうを泳ぐ波紋
あれは蛇
こちらの気配を感じて逃げていく。


強風
向かい風で
よろけそうになる。

だから
体の芯を意識して
下っ腹に気を込めて

自分の中心に自分がいると
世界の中心はここになる。




どんな作業でも
『私がやっている』 と思うと
「もっと(上手に)もっと(早く)もっと(たくさん)やらねば」と
思考は不足を探し始める。
そして
焦りが出ると体も前のめりになり
上半身に力が入り
とても疲れる。


だけど



『これが起きている』という認識にしてみる。
私も含め「これ」が起きている、と思うと
ただ、たんたんと
これを感じる。
自分の外も内も
今 これが起きている。

呼吸を調え、肩の力を抜き、足腰で押す。

これが起きている

動きそのものに成り切っている状態がやってくる。



こっちのほうがずっとずっと楽だ。

「私がやっている」はうんと疲れる。
ということは
「私がやる」と摩擦と抵抗を生むってことだ。


これ、いろんなことに当てはめてみるとおもしろいなぁ


田んぼで禅定なり


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問いを持つこと②

2018-05-29 | 心で生きる
こうばるでキャンプの後は東彼杵であってた「はじまりのまつり」へ

到着したらちょうどホロヤカンの演奏が始まり
愛すべきホロヤカンの演奏で踊って
元ダンナのノブ君からノブ米を預かる。
※近々佐世保のハナモグラに持って行きます。佐世保近辺の方~無農薬無肥料のノブ米ぜひ買ってくださいな🌸

ノブ君ベイビー誕生おめでとう~
弥彦さんとノブ君が笑いながら田んぼの話とかしてて

いいな
しあわせだなぁって思った(*´▽`*)





ノブ君とは同じ学び舎で学んだ同窓生みたいでもあり
おっきな家族みたいだ
(別にふだん連絡とるわけでもなく、でも生まれたときには「生まれたー!!」「おめでとー!!」ってメール交わした)



こんな日が来るとは夢にも思わなかった


家の中が暗くて重いものに覆われていた日々も
一人でめちゃくちゃに転げまわって泣き叫んだ日も
(一方ノブ君はノブ君で、一人で壁に頭ぶつけながら泣いたこともあったって・後になって聞いた)
家が近づくと心が重たくなって車がゆっくりになって止まってしまって月を見てたことも
(一方、ノブ君は家に帰れなくて畑の軽トラで夜を明かしたり・・)

どうしたら出口が見つかるのか わからなかった
いっぱい いっぱい
お互い苦しんだけど
こんな日が来るんだね

カタチなんてどんなでもよくて
今お互いの幸せを喜べることが嬉しい




出口があったとしたら
たぶんあの日かなって思い当ることはある。(あくまで私の世界での話)



行き詰まりが極に至って
もうこれ以上は無理かもって
以外に冷静に思ったときがあって
そのとき

私の世界を「この私の世界」でよしとしてるのは、他でもない私やん!って気付いた。

「だったらこんな状況に私は私を置いていてはいけない。」
「もっと、明るくて気持ちのいい家に引っ越す」って決めた。
(その時住んでた家は暗い森にのみこまれそうなところにあって、その環境がノブ君の鬱の原因かもと思ってたし
私自身もそこの場のエネルギーに違和感が生まれていた)

ただそう決めて
今できることをやり始めた(家の周りを片付けたり、快適に過ごす工夫したり)
そしたら、探してもいなかったのに
一か月後くらいに友達が今の家を紹介してくれた。

停滞してたことが、動き出した。
まーそれからもいろいろあったんだけど、
あの時の「じゃあ、どういう世界に住みたいの?!」「こんな世界がいい!」って初めて発した望みが
始まりだったような気がする。





問いは
はじめの入り口
自分オリジナルに帰る道の扉
わかったときはもうシフトしてる
発したときとわかったときはもう違う世界なんだ。(だから言葉では伝わらない)

だから問いは財産
わからなくてもわからないままに
思ったことをやればいいんだ


おもしろいな



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問いを持つこと

2018-05-28 | 心で生きる
土曜日は毎年楽しみにしてる川棚町こうばる地区の「こうばるほたる祭り」へ

今年はキャンプインでゆっくり満喫
こうばるのホタルの乱舞はやっぱり見応えあった~
朝は小鳥のさえずりのなか目が覚めて最高だった(ちょっと二日酔いだったけどw)
草ノ尾ハウスも山の中だけど、小鳥の種類が違ってて新鮮だった(*´▽`*)

で、日曜日はこうばる→東彼杵
ジェンベのお祭り、佐世保のAFOと長崎のホロヤカンとの合同イベント「はじまりのまつり」へ
懐かしい顔ぶれにたくさん会えて嬉しかった!(いちお、ホロヤカンメンバーだったからね)(*´∀`*)





東日本大震災で原発が爆発した直後のこと
福岡で阿部さんの講演会に行った時に
阿部さんにどうしても訊いてみたいことがあって
講演が終わっても最後まで残っていた。



私はそれまで原発やダム計画が早く止まるように、
反対運動に参加したり仲間に呼びかけたり、自分にできることをしていた。
だけど、その活動がなかなか人々に伝わらないばかりか
原発が爆発するという最悪の事態になってしまった。

阿部さんがずっと伝え続けていること
いまここにある「これ」がすべてなんだよ・・
あなたはそのままで大丈夫なんだよ・・
起きることが起きていて、それはいつも完璧なんだよ・・


そこに本当のことがある、と感じて惹かれていた。
なのに
これらのメッセージと私が取り組んでいた”社会問題”がどうしても噛み合わない。
これはどう説明がつくのだろう?と、もんもんとしていた。
そして、こんな大変なことが起きてしまった・・と
私は動揺していた。


会場を出ようとする阿部さんに思い切って話しかけた。
私がどんな思いでやってたか
だけど伝わらなくて・・
だけどこんなことになってしまって・・・云々
私が話すことをしばらく黙って聞いた後
阿部さんはでっかい声で

「やればいいじゃないですか!
  やりたかったら!」


それだけ言ってスタスタと行ってしまった。


あのとき私はなにか期待してたんだな。
見事に期待は外れたけどw
スッキリしたかったんだな。
間違ってないよって言ってもらいたかったのかも。


今思えば、うん、それ以外ないよねって思う。



その後もこの問いを宙ぶらりんにさせたまま、やってた。


もし、あの時、言葉でなにか教えられたとしても
あの時の私には、伝わらなかったと思う。
そういうものだと思う。



[問い]は宙ぶらりんにさせておくこと







今はもう
この問いは氷が溶けるように溶けて
私の中に沁みこんでいった。


問いが解けるとき
答えは言葉でやってこないんだな。
もっと深いところに
沁みてくるんだな。








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すべてのみちはここに②

2018-05-19 | 心で生きる
すべてのみちはここに の続きです。



覚えてるいちばん古い記憶では

私はまだ言葉で世界を見ていなかった。


ただ 見ている・・・

そしてただ 感じている・・・



それがキレイとかキタナイとか
良いとか悪いとか
そういう判断がない世界

「私」とか「お母さん」というのも、薄かったように思う。


穏やかで安心感に包まれていて・・・
私がいるというよりも
ただ 在る
任せきっている・・・






言葉を使いはじめる以前の
あの感じ・・・・



言葉は、思考
言葉は、観念
言葉は、レッテル、ラベリング
言葉は、止まっている
言葉は、どんなにがんばったって生(セイ、ナマ)の今から離れる
これが言葉の宿命ではある。




あれ・・・
言葉では表せないけど
「あれ」が存在のベースなんだと、
最近になって思うようになった。
そして
あれはなくなったわけじゃなくて
ずーっと、「ここ」にあったんだ。。。









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