すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

舟を漕ぐ者

2018-02-03 | 心で生きる

季節感ないけど。去年の夏、家から撮った空



前回の日記で
瞑想をやるようになって
近しい人から
「前はいつもアセアセしてたけど、今は落ち着いた」と言われたと書いたけど、


今日は
イヤイヤイヤイヤーどの口が言うとるか―!(# ゚Д゚)w
って自分で突っ込みたくなるような一日でした。 ( ゚∀゚)アハハ

時々はギュ―――ンと気が上がることがあります。
嬉しくて、のときもあるし(←のぼせともいう)
緊張してのときもあるし
忙しくなりすぎて(←キャパオーバー)のときもあるし
そして、「あ~今日大潮やったね~、どうりで!」っていう時もあります。


いずれにしても、
それでも大きく前と違うのは

以前は、何に追われてるのかわからないまま追われてて
混乱に混乱を重ね
いったい私は何がしたいのか
どこから手を付けていいやらわからない状態でした。

今は
追われてる感覚は消え
たまに(今日みたいに)出てくるけど
そんなときは長くは続かずに
いつも結局、
背後から追っかけてるのは誰でもなく
私が決めた、いつ決めたかも知れないルールを
自分で勝手に設定しといて
自分でそれに追いかけられていただけだったと気づく
という、そんなことの繰り返しなのです。


そして
焦って息が浅くなってるときや
余裕がなくなり心身が固くなってるときって
たいてい
うまく立ち回らければ
なんとかやりとげなければ
とか考えて
「力技」でことを「動かそう」としてるときだったりします。

それで自分できつくなってはじめて
あ、自分で舟漕ごうとしてたって気付く。



前は人生って舟は自分で漕ぐものと思ってましたよ。ふつうに。
昔ある高名な映画監督も
「人生とは重い荷物を詰め込んだトランクを引きずってゆく旅のようなものだ」って言ってるのを聞いて
それ聞いたとき、どよ~~~~~んとなりました。
あぁ、そうなんだ、これからトランクはもっともっと重くなるんだ、、
そんな偉いセンパイが言うならやっぱりそうなんだ、、って


でもそれは
勘違いだった



漕がなくていい
引きずらなくていいー
オールは離そうー
トランクは捨てれー


舟は流れに任せておけば大丈夫なのだった。
私はその舟に乗っかって
流れを楽しめばいいのだった。


どちらの変化が先かはわからないけど
「自分で漕ぐ」→から→「オールを離す」 という変化って
「私」とは?ということへの理解が変わってきたときに起こるのだと思う。







ブログランキングに参加しています。クリックおうえんよろしくね↓

人気ブログランキング