すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

ただの日記

2019-02-19 | 日記
言葉は何の 役に立つんだろう

こうして文字を打って
伝えたいことは何だろう



うちは核家族で
家には仏壇も神棚もなかったけれど
子供の頃から
宗教的なものにどこか惹かれていた


法事で行ったお寺で見た地獄絵図が恐ろしくて強烈で、忘れられなかった

寒い日、祖母について行った教会の
石油ストーブで暖かい部屋で
牧師さんと祖母が話してる間、退屈してたら
陶製の小さな人形をもらった
お祈りをする男の子と女の子が対になった人形だった

近所の歴史好きのおじいさんが教えてくれた隠れキリシタンの話にひかれた

18,19の頃はキリスト教や仏教に関する本をいろいろ読んでみた
けどどれも難しくてよくわからなかった

10代後半から20代前半は
強い虚無感がいつもついてまわり
アパートに訪問してきた近くの教会の信者さんのお誘いに応じて
日曜の礼拝に行ったこともあった
行ってみたけど探してるものはここにはないという気がして続かなかった

聖書も読んでみた
般若心経も読んでみた
けどやっぱりよくわからなかった

宗教というより
宗教が指し示しているものは何なのか?に興味があった



絵でも立体でも
祭壇のような
額縁のような作品をよく作ったけど、
いつも
縁どられ奥まっているその真ん中は、空っぽだった
その中心には何が入るんだろう? ってわからないままだった


だけどやっぱりそこに入る“モノ”はないんだと
光が漏れる仕掛けを作った

暖かな家の光だったり
暗い森のなか木々の間から差す光だったり



そうやって
長いこと
憧れていたんだな、、

いつかどこかで
光のきわまで行けるときを
待っていたんだな、、、

待っている、その姿勢こそが遠ざけてるとも知らずに






言葉は額縁のよう
けして“真ん中”は表せない


縁どるだけ
いくらたくさん言葉を使って説明しても
周りを縁どるだけ




私とは何か






存在とは何か






額縁の真ん中の空白は
いま
固定できない、全体
リアル

であって
真ん中の空白は普遍的な
永遠


外側の額縁こそは
カタチはあれど移ろうもの
朽ちゆくもの






いつか光がやってくるんじゃない
いまの
これが
光だ




私とはなにか



この問いは単なる入り口


答えはただ


体験のなかにある




いまここに既にある



人気ブログランキング